世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】ビョンチョル・ハン「疲労社会」

今年105冊目読了。ベルリン大学教授の筆者が、透明性があらゆる場面で要求される社会の現状を批判する一冊。


「透明社会」と対になっている一冊であり、こちらも文章自体は少ないものの、非常に深い思索がなされており、相当歯ごたえのある本だ。正直、読みこなせたとは思えないくらいの深みがあるのだが、その中でも気になった言葉を。


現代についての「こんにちの社会を特徴づけているのは、他性と異質性の消失である」「二十一世紀の社会はもはや規律社会ではなく、能力社会である」「規律社会の否定性が産み出したのは、〔禁止や命令に従わない者としての〕狂人や犯罪者であった。それに対して能力社会が生み出すのは、〔然々することができない者としての〕うつ病患者と無能な人間である」という観察は、確かにそのとおりだと感じる。


能力が求められる現代に対しては「能力の主体は自分の能力を発揮して成果を最大化するために、強制する自由ないし自由な強制に身をゆだねている。労働と能力の過剰によって、自己搾取がはじまる。自己搾取には自由の感情が伴うので、自己から搾取する方が、他者から搾取するよりも効率的なのである」「能力社会における疲労とは孤独な疲労であり、それは人々を離れ離れにし、孤立させる」「ヴァーチャル化とデジタル化によって、自我に抵抗する他者という現実は、ますます失われていく」と、激しく警告を鳴らす。


さらに、過剰という観点でも「肯定性の過剰は、刺激の過剰、情報の過剰、衝動の過剰としても現れる。こうした過剰によって、私たちの注意の構造と注意の経済は根本的に変化し、知覚は断片化し散漫となる」「活動は過剰に活動的なものへと先鋭化すると、かえって過剰に受動的なものへと転換してしまう。そして、この過剰に受動的な状態において、私たちはいかなる衝動や刺激にも抵抗できず従ってしまう」と、その行き過ぎを戒める。


では、どうすればいいのか。「深い退屈は精神的なリラックスの頂点である。せっかちなだけでは、新しいものは何も生まれない。せっかちは、既存のものを再生産し、そのスピードを加速させるだけである」「重要なのは、合間の時間である。合間の時間とは、労働のない時間であり、遊びの時間である」というあたりは、参考になろう。


訳者のことばは、かなり読みやすくて理解しやすい。「私たちは、みずからの能力を絶えず発揮し、成果を求めて活動し続けねばならないというプレッシャーに苛まれている。他者からの強制ではなく自由によって、私たちは自分自身と競争を続け、自分自身から搾取を続けているのだ」「本質的に何か新しいことを為すためには、いま為していることを一度止める必要がある。『無為の時間』が『創造的な刺激を与えてくれる疲労』ともいわれる」「無為において他の人々と疲労を楽しみ、お互いの疲労を理解し和解すること。そして、そのように無為でいられるための保障を社会に求めていくこと。こうしたことこそが、日本のコロナ禍の『疲労社会』において求められているのではないだろうか」のあたりは非常に共感できる。


現代社会に呑まれることなく、自分の「無為」を大切にする。それは留意したいところだ。