世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】鈴木規夫「人が成長するとは、どういうことか」

今年122冊目読了。社団法人Integral Vision & Practice代表理事の筆者が、発達志向型能力開発のためのインテグラル・アプローチについて読み解き、人の本質的な成長の実現を提唱する一冊。


あまりの分厚さに怖気付き、あまりの難解さに絶望感を覚える。しかし、大事なことが書いてある感触は満々。これは、凄い本だ。


「新たに『何か』ができるようになるという『Doing』の領域の成長だけでなく、それらの行動をしている主体である個人の『Being』そのものを変化・変容させることが求められ始めている」「世界の複雑化に対応するためには、関係者の内的な成長や成熟が必要となる」


「発達とは単純により幸福になる事ではなく、それまでには経験することができなかったより質的に高い光と深い闇を経験できるようになるということ」「『インテグラル』という言葉には『全体の構成要素として必要なものを見究めて、それらの統合を志向することで、その取り組みの価値や効果を高めようとする』という意味が込められている」「人間の発達とは、世界の複雑性をよりありのままに受容・尊重することができるようになるプロセス」「発達とは究極的には人為的に起こせるものではなく、それは『起こる』もの」「成長や発達と言われるものが本質的には利己性という人間の本性と対峙し、それを他者の視点を取得することを通じて克服しようとする力学も内包している」


「この世界をいかなる場所として把握するのかに応じて、そこにおいて自己にいかなる役割や責任が課されているのかに関する認識も大きく変化することになる。そして、その結果として、われわれが経験することになる心理的な葛藤の内容もおのずと変化する」「自らの生きる時代や社会に流通する価値観や物語や世界観を無批判に受容して、それを基盤として人生を生きるのではなく、そうしたものに影響され、洗脳され、条件づけられた状態を少しでも克服し、そして、自分の内奥から立ち上がる『声』に耳を澄ませて生きようとする」「一般的には、こうした発達段階は、人生の後半期において、自己の死を意識し始めることを契機として創発することになる。それまでの人生を通して獲得・創造してきた多くの物(成功・名誉・財産)が、最終的には、死の瞬間において全て奪い取られ、自らが塵に返っていくことを宿命づけられた存在であることを認識するときに芽生える」


「個々人の成長や発達とは、本質的に独自のものであり、その軌跡を把握するためのひとつの物差しが、発達理論が示す発達段階であるにすぎない」「発達理論は、他者を判定・分類するための道具ではなく、他者を効果的・効率的に支援するためのもの」


「段階的な成長においては、皮肉にも、現在の自身の欲求を最終的に否定することが求められる」「人間の発達とは、『死を拒絶』しようとする根源的な欲求に支えられたものであり、そして、一生を通じて創発していくそれぞれの発達段階は、そうした欲求をより効果的に満たすための『創造』と言える」「意識の拡張を通じて、それまで『存在』していなかったものを意識の中に存在させるというダイナミクスは、われわれの生涯にわたる成長や発達のプロセスを貫いていく」「発達が高次の段階に向かうプロセスの中では、それまでの人生の中で構築してきた人格構造と向き合い、それを今新たに創発しようとしている高次の構造の中に統合することが必要とされる」「垂直的な成長とは、水平的な成長では対処できない高い難易度の課題や問題と直面したときにやむにやまれずに起こるものである」「独自の才能が捉えた真実を明らかにするためにさまざまな探求を始める」「特定の『型』や『方法』や『技』の実践者として自己を規定するのではなく、一人の個として『どのような価値を創造する者として自己を成長・成熟させていくのか?』という問いと対峙することを通して、『意志』や『思考力』や『想像力』や『胆力』をはじめとする内的な探求と成長を支える重要能力を鍛錬することは、それに続く段階に向けた変容プロセスに飛び込むための貴重な準備作業」


「われわれの自己とは、われわれの言語の構造に大きく規定されることになる」「われわれは往々にして関係者の視点を十分に理解できていると錯覚してしまう傾向にある」「卓越した思考力は、あくまでも自らの主張や判断を正当化するために用いられる傾向にある」「私の幻日はあくまでも私が自らの意識の中に再構築した『現実』であり、それはこの時代に生きる他の人々が経験しているものとは異なる」


「組織のリーダー的な存在には、思想や構想を自らの思考や行動の中に体現することが求められるが、それに加えて、内外の関係者と効果的に意思疎通を支、その理解や共感を得ていくためには、異なる価値観や世界観の間を機動的に行き来する柔軟な意識が必要となる」「われわれの意識が高まり深化するほど、それが生み出す影は大きくなるということを、そして、現在の自己の限界を超克して高次の発達段階に向かうためには、影に意識を向けて、それを探求・統合し続けることが求められる」「『今』に意識を向けるとは、半ば無意識のうちに営まれている心の性癖を『妨害』する実践である」


発達段階として、アンバー、オレンジ、グリーン、ティール、ターコイズ、インディゴと挙げているのだが、ティールあたりから意味が取りづらくなり、インディゴにおいては全く理解できない。「『思考』という行為そのものが脱構築かされてしまうとき─そして、そうした行為を積み重ねることを通して確立されてきた、生きていくための指針や基盤そのものが溶解してしまうとき─われわれは果たしてどのようにして、そうした『虚無』を克服していくことができるのだろうか?という問いと格闘することを求められる」という言葉の意味は理解できるが、全く体感を伴わない。「世界の美しさは、既に与えられているのであり、それを認めるためにわれわれがしなければいけないことは何もない。われわれが為すべきことは、それを認めることだけ」と言われても、概念はともあれ、具体的にはチンプンカンプン。


「発達理論とは、まずは他者を他者として尊重しようとするところに成立する」「発達理論とは、人間の意識の質的な深化のプロセスを探求する営み」
「バランスのとれた人格的な成長・成熟を実現していくためには、真善美の3つの価値領域の全てを包容して、それぞれの領域が突きつけてくる問いと格闘し続ける必要がある」としつつ「『真』の領域は、『善』や『美』に比べて、総じて非常に明確であり、また、より広い範囲の人達に開かれている。同時に我々が注意すべきは、『真』の領域の価値(量の価値)が、まさにそうした突出した明確さゆえに、特権化されてしまい、質の論理が蔑ろにされる危険性がある」