世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】伊坂幸太郎「あるキング」

今年126冊目読了。ベストセラー作家の筆者が、天才野球選手とその周囲を描き出す不思議な小説。


天才野球選手といっても、その天才のレベルがあまりにも違いすぎる。が、決して輝かしいわけではなく、裏道を行く人生から数奇な流れになっていく。
凄いな、と思ったのは、雑誌版・単行本版・文庫版それぞれに微妙にテイストを変えているあたり。やっぱり筆者は天才だな、と思う。シェイクスピアの「マクベス」をうまく織り込むあたりも、巧みだ。


ネタバレ回避で、気になったフレーズを抜き書き。


「策を弄して変化球ではぐらかすよりも、正面から直球で勝負をするほうが遥かに効果がある」


「恐れてはいけない、正気を失って取り乱してはならない。まわりの雑音や攻撃に流され、自分の人生を失ってはいけない」


「どうにもならないことを鬱々と悩み、天気予報に一喜一憂するくらいであれば、どんな天気であっても受け入れて、雨が降れば傘を差し、晴れたなら薄着をしていこう、と構えているほうがよほどいい」


「深い川は静かに流れる」


「有限実行ってのは、人を惹きつけるんだよ」


「見てくれのよい、清潔感のあるほうが正義で、不恰好で醜い姿のほうが悪者だと決めつけるのはもしかすると、偏見かもしれない。まさに、それは正しい。そういった先入観こそが様々な悲劇を生むのだ」


「できることしか、人はできないよ」


「『頑張る』ってのは、もともと、『我を張る』って意味だったらしい」


「個性を大事にしろと言われるが目立った人間は潰される」「正直でまじめな人間を、約束を破る奴らがみんなで潰そうとする。自分たちが縛り首になるのを怖がって、フェアに生きようとする人間は、アンフェアな人間たちに先に虐げられちまう。なぜなら、なんだかんだ言って、アンフェアな奴らのほうが人数も多くて、強いからだ」


余談ながら、架空の弱小プロ野球チーム『仙醍キングス』の「負けて当たり前、連勝すればよくやたと感心されるチームだった。優勝はもとより優勝争いですら目的ではないため、勝利へのこだわりは他球団のそれに比べれば微々たるものだ」「私たちが恐れるべきは、負けることではなく、負けることを恐れなくなっていることだ」が、1990年代から2003年までの千葉ロッテマリーンズとあまりにも酷似しており、笑えなかった。2022年も5位に沈んだマリーンズ。山田王求のような強打者、現れないかなぁ…

【読了】伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」

今年125冊目読了。ベストセラー作家が、首相暗殺について、殺人の容疑をかけられた人物の側から描き出す会心作。


これは本当にスリリングで、圧倒的。首相暗殺、という『見えている』ストーリーを、裏側から見せるという形で凄まじいドキドキ感を味わえる。スピード感がたまらなく、ついついページをめくってしまう。そして、最後は色々なピースがピッタリとハマって完結する、という伊坂幸太郎らしい終わり方。本当に圧倒される。


それにしても、元首相とはいえ、2022年に読むと、やはり安倍晋三暗殺と結び付けてしまう。実は、この事件も裏に何かあるのかも、と妙な勘繰りさえ入れたくなってしまう。それほど、よくできた小説だ。


ネタバレ回避で、印象に残ったフレーズを抜き書き。


「ネーミングっていうのは、大事なんだよ。名前を付けるとイメージができるし、イメージで、人間は左右される」「聞こえがいい名前はたいがい怪しい。思いやりとか、ふるさととか、青少年とか、ホワイトカラーとか」


「人間の最大の武器は、習慣と信頼だ」「むしろ、人間の最大の武器は、笑えることではないか?どんなに困難で、悲惨な状況でも、もし万が一、笑うことができれば、おそらくは笑うことなどできないのだろうが、笑えれば何かが充電できる。それも真実だ」


「大した根拠もないのに、人はイメージを持つ。イメージで世の中は動く」


「感情的に喚くのは誰のためにもならない、と分かっていた」


「絶対にやりそうもない奴がやった、ってのは盛り上がりますね」「人の気持ちなんてそういうものです。相手の態度が悪ければ、意地悪したくなるんですよ」


「マスコミってのは、無茶はしないんだ。ノリで行動はしても、ジャンプするのは安全地帯の中でさ。叩くのはいつだって、叩いても平気だ、と分かってから」「多数意見や世論、視聴者の興味や好みに沿わない情報は流さない、流せないのがマスコミの性質なのだろう」


「動物ってのは、大きな声とか音が急に聞こえたら、そっちを気にするようにできているんだ。危険がないかどうか、そっちを見ずにはいられないんだよ」


「政治家とか偉い人を動かすのは、利権なんだよ。偉い人は、個人の性格とか志とかは無関係にさ、そうなっちゃうんだ」


「結局、最後の最後まで味方でいるのは、親なんだろうなあ。俺もよっぽどのことがない限り、息子のことは信じてやろうと思ってんだよ」

【読了】伊坂幸太郎「砂漠」

今年124冊目読了。ベストセラー作家である筆者による、学生生活の関わりを描くことで人の縁の妙を味わう青春小説。


どっぷりとハマっていて、個人的には『伊坂幸太郎にハズレなし』と思っていたのだが、これはなんだかしっくりこなかった。イマイチ感が強い。期待度の高さを考慮しても、うーん…という感じだ。まぁ、青春小説を読むには、アラフィフのオッサンの心は荒み、疲れているのかもしれないが…やはり、本にはタイミングというものがあるんだな。


以下、ネタバレ回避で、気になったフレーズを抜き書き。


「人間は、他人に自分の心を見る」


「もしかすると強靭さとは、自信や力や技などよりも、穏やかさに宿るのかもしれないな」


「驚かないといけないのはね、一人の人間が、本気で伝えたいことも伝わらない、っていうこの事実ですよ」


「売れる小説の条件は、ユーモアと軽快さと、知的さだ。洒落ているだけで、中身はない」


「逃げるための理屈をこねてはいけない」


「みんな正解を知りたいんだよ。正解じゃなくても、せめて、ヒントを欲しがってる」「でも、結局さ、新興宗教とかに頼らず、『自由演技って言われたけど、どうすればいいんだろう』って頭を掻き毟って、悩みながら生きていくしかないんだ」


「おだてて、屋根に上らせて、飽きたら梯子を外すのが、マスコミや野次馬の趣味だ。困惑して、屋根からそいつが落ちるのを、にやにや見て、楽しむんだ」


引用とのことだが「人生にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」は、なかなか心に響く言葉だし、この小説の根幹を為している気がする。

【読了】荒木博行「自分の頭で考える読書」

今年123冊目読了。株式会社学びデザイン代表取締役社長の筆者が、変化の時代に、道が拓かれる「本の読み方」を提唱する一冊。


イラスト入りで、肩の凝らないような読み口ではあるものの、主張はかなり重厚。これは読んでよかったと感じさせられた。


筆者は「著者の話を無条件で呑み込むのではなく、何らかの新たな『問い』を持つことで私たちの頭を駆動させる」ことが読書で大事だ、とする。
そして、そのためには「過去のスキルセットを生かし続けるために、過去に培ったものの中から大事なものを抽出してその本質を見出し、未知の世界に生かす」「本に向かう前には、まず過去を忘れて没入から入る。そして、その次に自分の経験を使いながら解釈していく」という姿勢が大事だ、と述べる。


なぜ、他のコンテンツではなく読書なのか。筆者の「本を読んでいる間の私たちは、さまざまなことを思考しながらページをめくっている。動画や音声とは異なり、自分でコンテンツを消化するペースを決めることもできる。つまり、本には五感的にも時間的にも、思考できるだけの『余白』が十分にある」「本は受け身ではなく、こっちからそっちの世界に出向いていく必要がある。そして、自分の経験や思考をフル動員して言葉や文と向き合い、その意味を解釈せざるを得ない」「本には余白があるからこそ、その余白を読者がいろいろな色で塗りつぶしていき、塗りつぶされた色によってその本は新たな命を与えられていく」という見解は、読書の『余白』を埋めるという読み手側の特性をわかりやすく示してくれる。


読書に向いた環境についても「それぞれの本は、どういう『コンテクスト』とセットになると威力を発揮するのか、考えてみる。それは、本を読む『場所』と『タイミング』。できるだけ、その本のメッセージと符合する空間で読んでみる。『タイミング』とは、どういう心境のときに読むかということ」「読書に最も適しているのは、自分がつらいときや傷ついたとき、気分がへこんでいるとき。満たされない感情があり、それを自分で満たすことができないからこそ、他者の力を使って満たしていく。そのために、本というのはとても頼りになる存在」と述べているのは、本好きなら納得の記述。


読書の効用を「本は『問い』と『答え』が自分にとって新しいかどうかを整理することで『問いの発見』『答えの発見』『既知のリマインド』に分けられる」「『問いの発見』は、それまでの自分の考え方や認識をいったん否定することにもつながるため、かなりのストレスや負荷がかかる」「自分がすでに『問い』や『仮説』を意識していながらも、その『答え』を見事に裏切ってくれるカテゴリーの本は、新鮮な驚きを与えてくれる」「既知のことであっても、定期的に自分に対してリマインドを入れていくことは必要」とし、「常に『今の自分』を客観的に見つめながら、そのときに最適なポートフォリオを組んでみる」ことが大事だ、と指摘する。


そのうえで、「本の抽象度を高める前に、自分の『問い』の抽象度を高めておく」「重要なのは、本からもらった抽象的なヒントを、最後に自分で具体レベルまで落とし込むこと」と主張したうえで「行き詰まり感があるときこそ、『本』という道具を活用して抽象の世界にジャンプする。そして、新たな具体に着地する」と、細谷功『具体⇄抽象トレーニング』と同じような結論に辿り着く。


では、読書の効用を実際にどう定着させるのか。「まずはアウトプットの場を定義する。そして逃げ場がないようなかたちに仕立てる」「読みっぱなしにせず、書く、もしくは話す」「読んだまま放置するのではなく、自分なりの読後のルーティンを定義してみる。それを愚直にやり続けることによって、沈殿はアクティブに動き始める」は、部分的にはやっているのだが、やはりそれでも難しい部分があるよなぁ・・


生きる意義についても「私たちは『問い』を抱え、育てることに対して努力しなくてはならない」「『自分とは何をする存在なのか?』という答えの出ない『問い』を持ち、その『問い』を抱えながら、『答え』を発見しようとチャレンジしていく」と、かなり積極的な投げかけがあり、とても面白い。


ついつい多読にふけりがちな自分にとっては「本当に自分にとって大切な『問い』や『答え』を発してくれる本に向かい合うことのほうが、年に300冊読むよりよほど価値のあること」「無理して完読しない。でも単に読み捨てるのでもない。このちょっとした工夫の積み重ねから、適切なタイミングで適切に本に巡り合う可能性を高めていく」「『熱狂7割・懐疑3割』こそが『本に読まれない』ための、大切な自我の確立」のあたりが耳に痛い…今後、留意しよう。

【読了】山口裕之『みんな違ってみんないい』のか?

今年122冊目読了。徳島大学総合科学部教授の筆者が、相対主義と普遍主義の問題を、標題に沿って掘り下げる一冊。


ちょうど、『みんな違ってみんないい』では物事が進まなくなってしまう、ということを体感している時期に読んだので、非常に納得性が高かった。哲学的で、ちょいと頭を使わないといけないが、それだけの価値はあると思う。現代社会への警句という観点からも、意義深い。


現代の風潮について「多くの人は『人それぞれ』の相対主義か『真実は一つ』の普遍主義かという二者択一に陥りがちだが、相対主義も普遍主義も相手のことをよく理解しようとしない点では似たようなもの」と鋭くえぐる視点は見事だと感じた。


社会の様々な捉え方については「西洋文明は、普遍性を偏重する特殊な文明」「新自由主義は、個々人の自由を偏重して平等を軽視する。個々人は、他人に迷惑をかけない限りは何をしてもよいと考える。これは、一見すると他人を尊重しているように思うかもしれないが、要するに他人と関わらないでおこうということ」と、その特徴を明確化。そのうえで「多様な個人が個人単位でバラバラになってしまっては、社会的な力を発揮することができない。しかし、集団を形成することは個人の多様性を切り捨てることになる。どうしたら多様な個々人が抑圧されないようにしながら多数の人たちが連帯できるのかという困難な課題が、私たちに残されている」と、問題を提起する。
筆者の「他人を巻き込むことについては『人それぞれ』で済ませるわけにはいかない。他人と合意を作っていかなければならないことについて、『人それぞれ』などといって十分に話し合う努力をしないでいると、社会は分断されてしまう。分断された社会で何かを決めようとすれば、結局のところ暴力に頼るしかなくなる」という問題意識が、この本を支えている価値観だ。確かに、分断を独裁でまとめようとする2022年現在の風潮は物凄くこの流れに依っているなぁと感じる。


多様性について「言語や文化の多様性は人間にとって理解可能な範囲にとどまる」とし、その理由を「人間が生物として生きていくうえで必要なことは基本的に同じであり、社会はまずそれらを満たすために構成されるから」と見るのは、なんとなく理解できる。


では、どうすればよいのか。筆者は「『事実は人それぞれ』でも『真実ははじめから一つに決まっている』のでもなく、『正しい事実はそれに関わる人達の間で作っていくものだ』」「道徳的な正しさを作るための対話の出発点は個々人の道徳感情だが、正しい事実を作るための出発点は感覚器官による知覚」と言及する。
そのうえで、解決への提言として「『正しさ』は個々人が勝手に決めてよいものではなく、それに関わる他人が合意してはじめて『正しさ』になる」「人間は、おそらくは生物学的に感じてしまう感情を出発点として、それを自分たちなりに意味づけ、他人にその意味づけを伝え、話し合うことで『正しさ』の体系を自分たちで作っていく」「なるべく暴力をなくして、『より正しい正しさ』を作っていくように努力することが正しい」という姿勢を持つことを主張する。


なるほどなぁと思わされたのは「人間がいなくても自然界には自然法則が実在するかのように思えるが、それらが作られている過程を見てみると、人間の思い付きや試行錯誤によって法則や事実が創造されている」「『意味の場』を開くのは人間の欲求や関心の持ち方、つまりは人と物の関わり方」というところ。幅広い視野を持ちつつ、合意への努力を諦めない。勇気を貰える一冊だ。

【読了】永野裕之、岡田謙介「統計学のための数学教室」

今年121冊目読了。大人の数学塾である永野学習塾塾長と、専修大学人間科学部准教授の筆者が、数学と統計学の繋がりと違いが腑に落ちることを目指した一冊。


少しばかり統計を学び始めた文系人間としては、なかなか読み解くことに苦労したものの、なかなか読み応えはあった。「統計の目標は、世の中にあるさまざまな『自然』の中に法則性を見出し、その法則性を使って部分から全体を推し量ること」という目的を、改めて認識せんとな…


割り算の2つの意味として
A)aをn等分すると1つあたりp個である。違う単位どうしの割合(等分除)
B)aをnずつに分けるとp個になる(aはnがp個分である)。違う単位どうしの割合(包含除)


グラフの特徴として
ⅰ)棒グラフ:大小を表す
ⅱ)折れ線グラフ:変化を表す
ⅲ)円グラフ:割合を表す
ⅳ)帯グラフ:割合を比べる


ばらつき具合の表し方として
・四分位数&箱ひげ図:中央値を基準とする
・分散&標準偏差:平均を基準とする


相関関係について注意すべきこととして
1)得られた傾向が一般的であるとは限らない
2)相関関係があっても因果関係があるとは限らない


…などは、改めてなるほどと感じた。


数学と統計について「統計は道具として便利なのでその使いかただけを覚えてしまおうという人が多いようですが、いろいろな統計量に対しての『理解』がないと、自分が何をやっているかがわからなくなって勉強が先に進まなくなります」「数学は、そして統計はやり方を知っているだけではやがて必ずわからなくなります」という指摘は、ツールとして利便性のみ欲しがる文系人間には耳が痛い…


その他、参考になったのは「無限というものを何か完結したものとして扱うのは反対です。それは数学では決して許されません。あくまで『無限に大きくしていく』というプロセスとして使う」。そんな認識、まるでなかったな…


筆者がまとめとして語っている「数学ができるようになるコツはただ一つ、丸暗記をやめて結果よりもプロセスを見る眼を育てること」があまりに重い。やっぱり、数学は難しいな…

【読了】伊坂幸太郎「バイバイ、ブラックバード」

今年120冊目読了。ベストセラー作家が、5人の女性と付き合っていた男性が巻き込まれる数奇な運命を不思議なタッチで描き出す一冊。


それぞれの女性に対して、不思議なやり取りが繰り広げられ、結果的になぜか良い結末になる、というのは伊坂ワールドだなぁと感じる。面白いは面白いのだが、ワクワクやスリリング感がなく、ちょっと自分の趣味とは合わなかったかな。


ネタバレ回避で、気になったフレーズを抜き書き。


「想像力が豊かな奴は生き残れねえよ、いまどき。やりきれないことが多すぎる世の中なんだから、何にも考えないほうがいいさ」
「終わりは遅かれ早かれ来たわけだ。なのに、何も悪いことをしていないのに僕ちゃん悲劇に遭遇しちゃった、みたいな態度を取るんじゃねえよ」
「人間ってのはな、死ぬ直前まで、自分が死ぬことなんめ受け容れられねえんだよ」
「いいか、人間が最後の最後に見捨てられないためにはな、『自分は必要な人間です』『役に立てます』と主張するしかねえんだ」


「人の存在は、統計や確率とは関係なくて、ただ、その『一人』だ」
「どこからどこまでが演技か分からなくて、どれが自分の本当の感情か判断できない」