世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】サミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」

今年119冊目読了。アイルランド出身の劇作家・小説家の筆者による、現代演劇最大の傑作、あるいは問題作とされる一冊。


一度は読んでみたい、と思っていたが、確かにこれはよくわからない。なんでこれが傑作と呼ばれるのだろうか…


気になったフレーズは「いろいろな人に会えるというのは、実に幸福だ。ごくつまらん人間でも、なにか教えられる。それだけ心が豊かになる。自分の幸福をよりよく味わえるわけだ」「世界の涙の総量は不変だ。誰か一人が泣きだすたびに、どこかで、だれかが泣き止んでいる。笑いについても同様だ。だから、今どきの世の中の悪口を言うのはやめよう。昔より特に今のほうが不幸だというわけじゃないんだから」のあたり。


訳者のあとがき「まことに全篇矛盾だらけ、隙間だらけである」「ディディたちがしゃべるのは『考えないため』であり、また空中に満ちている『声たち』を『聞かないため』である。人物たちの会話は、非連続(コミュニケーション・ギャップ)に満ちている」「それにしても、演ずべき『物語』がないではないか。(中略)演ずべきことのない、この手持ちぶさたと不安感は、しかし、えも言われぬ自由な浮遊感を与えてくれはしないか」「『ゴドーを待つ』という、あるようなないような枠組(大いなる物語)は、過去と未来のあいだに宙づりにされたこの現在あるいは現代の瞬間を生き生きとさせるための仕掛けにすぎないのかもしれない」で、なんとなくモヤモヤが見えてきたような気がする。


この本の真髄は「よくわからないものを、よくわからないままに受け入れる」という、意味づけが大好きな人間という生き物に対する挑戦、なのかもしれない。

【読了】山口広「検証・統一教会=家庭連合」

今年118冊目読了。弁護士として、長年「全国霊感商法対策弁護士連絡会事務局長」を務めてきた筆者が、霊感商法・世界平和統一家庭連合の実態を暴き出す一冊。


もともと『統一教会って、怪しくて近寄るべきでない存在』という認識ではあったが、ここまで違法性が強いというのは衝撃的だ。2022年の安倍元総理射殺事件で一気に政教癒着が明らかになったが、2017年に執筆されたこの本がすでにはっきり認識していたのに放置されていたことが悔やまれる。


そもそも、統一教会の指導者が「文鮮明韓鶴子夫婦とその子、孫らは理想家庭とされてきたが、全くの崩壊家族、利権の奪い合い家族」という体たらくで、全くふざけている。


なぜ、統一教会が問題なのか。「通常の宗教団体は、霊界信仰や先祖供養で信者の心に平穏をもたらすのであって、決して金儲けの手段にはしない。霊感商法の『商法』たるゆえんは、霊界や先祖供養をことさら強調して相手を不安におとし入れて法外な現金を支払わせることにある」「日本から送金された金のかなりの部分は、韓国における文鮮明の不動産購入や建物建築費用にあてられている。さらに、統一教会グループ企業が軒並み大幅赤字のために、その赤字補填資金として使われてきた」「統一教会の『伝道』は、情報と判断の自由のいずれか一方が、あるいはその両方が欠如もしくは極めて制限された中で、入信を決意させるものだ。これを破壊的カルトである統一教会によるマインドコントロールだと言うこともできる」「自らは『統一教会』と呼称していたが、『教会』としての宗教団体というよりも『統一教会』と称するさまざまな顔を持つ営利・事業団体、ブラック企業と考えたほうが実態に近い」という指摘を受けると、これは本当に許せない集団だ。


なぜ、現代にこんな怪しい集団がはびこるのか。筆者は「欲望をあおるだけの消費社会の中で、人々は、自己を正面から見つめさせてくれる、自分の心を高めてくれる、心の空白を埋めてくれる宗教を強く求めている」ということが背景だと推察する。
その入信パターンは「①自己啓発型②逃避型③孤独型④人生の壁型⑤親との軋轢型⑥男女関係の悩み型」に大別されるとし、いずれにせよきっかけはアンケートなどの声掛けから始まる。そこで「感謝と前進、笑顔と賛美。『勢い』で迫ってくる彼らに負けて、つい話に乗ってしまう人は100人中2、3人はいるという。彼らは毎日200人を目標に、通行人に声をかけているのだ」と言われると、ゾッとする。


その教義もかなり歪んでいる。「すべての事物は男と女、陰と陽、メシアとサタンに二分される。物事はそう単純ではないが、統一教会は強烈にこの二分法を若者に植え付ける」「統一教会の信者は『一億円もっている人が100万円出すよりも、80万円しかもっていない人が100万円出す方が救いは大きい』と聞かされている。つまり、大切なお金であればあるほど、これをまきあげるべきというおそろしい論理がまかりとおっている」「なぜ日本人信者はこれ程までに韓国組織や文鮮明のために奉仕しなければならないのか。教義上、日本はエバ国家つまり女性の立場に立って、韓国やアメリカの組織を金銭面でも人材面でもサポートする使命と責任を担わねばならないと教え込んでいる」などは正気の沙汰ではない。


自民党との癒着も酷い。報道で指摘されている通り「文化庁は2015年8月26日、唐突に名称変更の認証をしてしまった。どうしてこれまでの運用を変更してしまったのか。統一教会の政治家への働きかけが奏功したのではないか。統一教会と近い関係にあると目されていた安倍首相や下村博文文科大臣(当時)が担当課に圧力をかけたのではないか」「安倍晋三首相は、統一教会の各種会合に才さん祝電を送るなど近い関係にあった。認証時の主務大臣だった下村博文文部科学大臣統一教会との交流があった。しかも当時、国家公安委員会委員長として警察組織を統括する特命担当大臣だった山谷えり子も、かねて統一教会信者の組織的選挙応援を受けていた」や、元信者の「参議院選挙での選挙運動もさせられました。統一教会が推薦する自民党の議員候補者の為に、知り合いに葉書を出したり、また電話をかけるように指示されたのです」という証言は重い。日本の与党が、日本を食い物にするカルト教団と癒着しているというのは本当に許しがたい。


他方、騙された被害者への筆者の眼差しは慈愛にあふれている。「あなたが悪いのではない。家族のことを大切に思うあなたのやさしさに付け込んで、誰もが抱える悩みを、まるで先祖の因縁のせいであなたが何とかしないと大変な事になると思い込ませた統一教会が悪いんです」は、まさにその現れ。それは、被害者家族に対して「『心配してるよ。何がそんなに君を夢中にしているか説明してよ。本当にいいもんなら反対しないよ』そう言って、心を開いて話し合ってほしい。『馬鹿なことはやめろ。お前は騙されているんだ。なぜ、それがわからないんだ』と上から目線で迫るのは最悪だ」というコメントにも見て取れる。


信教の自由として捉えられないのは「人はなぜ生まれるか、どう生きたらよいのか、だれにでも来る死をどう考えたらよいのか。これらのだれでもかかえる問いに、とりわけ若者がつきつける問いに、宗教家を含めて正面からだれが答えられるのだろう。カルトの教祖の思い付き的な答えにまかせておいてよいはずがない」「これは決して信仰の自由の問題ではない。信者の人権の問題であり、家族の崩壊を防ぐ緊急事態であることを認識してほしい」という点なのだろう。分厚い本だが、読み応え充分。

【読了】伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」

今年117冊目読了。シカゴ大学公共政策大学院ハリススクール助教授の筆者が、因果関係分析に焦点を当てたデータ分析の入門を紹介する一冊。


筆者は、現代において「ビッグデータが存在するだけでは実務の改善には至らず、ビッグデータを解析しビジネス現場の意思決定に利用できる形にする分析力(アナリティクス)が重要」としたうえで「バイアスの問題については、データ観測数がどんなに増えても解決できない」「『因果関係の見極め方』においては、データの量が増えても根本的な解決にはならないので、私たち自身がデータを見極める力をそなえる必要がある」と指摘する。


因果関係立証の困難性の理由について「①他の要因が影響していた可能性がある②逆の因果関係だった可能性もある」とし「怪しい分析結果に基づく単なる相関関係が『あたかも因果関係のように』主張され、気をつけないと読者も頭の中で因果関係だと理解してしまっていることが多い」と警鐘を鳴らす。


では、どのようにすればよいのか。筆者は実例を挙げながら、幾つかの手法を紹介する。


<RCT(ランダム比較試験):現実の世界で実際に実験してしまう>
鉄則1:分析で明らかにしたい因果関係を測定できるような適切なグループ作りをする
鉄則2:グループ分けは必ずランダムに行う
鉄則3:各グループに十分なサンプル数を振り分ける
強み:因果関係が科学的に示せる、分析手法や結果に透明性がある
弱み:実験に費用・労力・時間がかかる


<RDデザイン:世の中の境界線をうまく使い因果関係に迫る>
鉄則1:「境界線」を境に1つの要素Xのみが「非連続的に」変化する状況を見つけ出す
鉄則2:境界線付近でX以外の要素が非連続的に変化していないかのチェックを行う
強み:仮定が成り立てばあたかもRCTが起こっている状況を利用できる、理解がしやすく透明性がある
弱み:成り立つであろう根拠は示せるが成り立つことを立証できない、境界線付近のデータに関しての因果関係しか主張できない


<集積分析:階段状の変化をうまく使い因果関係に迫る>
鉄則1:何らかのインセンティブが階段状であることを分析に利用できないか検討する
鉄則2:階段状で変化するのは分析で明らかにしたい要素Xだけであり、他の要素は階段の境界付近で非連続的に変化しないことを確かめる
強み:仮定が成り立てばあたかもRCTが起こっている状況を利用できる、理解がしやすく透明性がある
弱み:成り立つであろう根拠は示せるが成り立つことを立証できない、階段状に変化するインセンティブに反応した主体に対しての因果関係しか分析できない


<パネル・データ分析:複数グループに複数期間のデータが入手できる場合に検討する>
鉄則1:介入が起こった時期の前後のデータが、介入グループと比較グループの両方について入手できるか確認する
鉄則2:「平行トレンドの仮定」が成り立つかどうかの検証を行う
鉄則3:仮定が成り立つと判断できた場合、2つのグループの平均値の推移をグラフ化して介入効果の平均値の測定を行う
強み:RDデザインや集積分析以上に広範囲に利用できる、理解がしやすく透明性がある、介入グループに属するすべての主体に対して介入効果の分析が可能
弱み:成り立つであろう根拠は示せるが成り立つことを立証できない、平行トレンドの仮定は非常に難しい


これだけ手法があっても、「データ自体に問題がある場合は優れた分析手法でも解決が難しい」というのは言わずもがな、なるほど納得。


データ分析と簡単に言っても、実に難しいことなんだな、ということを痛感する…

伊坂幸太郎「ホワイトラビット」

今年116冊目読了。ベストセラー作家の筆者が、因幡の白兎やレ・ミゼラブル、オリオン座をモチーフにしながら不思議な事件とそこに隠された人々の思惑を描き出す小説。


最近、すっかり伊坂幸太郎にハマっている。この本も、ワクワクしながら、世界観に浸り、ストーリーに振り回され、最後の見事な伏線回収にアッと言わされた。悪事に手を染めつつも不器用で一生懸命な人たちも、また魅力的。この本を読んで、「レ・ミゼラブル」が読みたくなる、という本末転倒(苦笑)。


ネタバレ回避で、気になったフレーズを抜き書きする。


「自分が正しい、って思っている奴は怪しい。俺の言うとおりやれば間違いないのに!と考えている人間は、そのためには手段を選ばなくなる」「どのような人間関係においても大切なのは対等であることだ」「悪いことをして、自分だけは安全地帯にいる人間は、困るじゃないか。集団の規則を平気で破る奴は」


「人間はもちろん動物には、攻撃性がもともと備わっており、大事なのはそれをゼロにすることではなく、うまく発散させ、折り合いをつけることなのだ」


「社会において、人の行動を自重させるのは、法や道徳ではなく、損得感情だ」「一人ずつはいい人間でも、集団や会社になったら、倫理や道徳よりも別のものが優先される」


「犯人の提案や要求に対しては否定的な言葉を遣ってはいけない。交渉術の基本だ。『でも』『だけど』『ただ』といった接続詞一つで、立てこもり犯が逆上したケースは少なくない。相手の言葉を受け容れることが第一だ」


「無駄なところが、物語を豊かにする」


「深海よりも暗い光景がある。それは宇宙だ。宇宙よりも暗い光景がある。それは、大事な人を亡くした者の魂の内側だ」


「星ってのはやっぱり、夢がある。昔は夜にやることなんてないだろうから、見えるものといったら星くらいだろうし、深夜テレビもスマホもないんだから、時間は無限にあった。だから、空を見ながら想像力を膨らませていたんだろうよ。今じゃなかなかできない、壮大な遊びだ」

『読了】田中辰雄、浜屋敏「ネットは社会を分断しない」

今年115冊目読了。慶応義塾大学経済学部教授と、富士通総研・経済研究所の研究主幹である2人が、ネット上の議論の実態を計量分析で掘り下げていく一冊。


佐渡島庸平が本で紹介していたので、タイトル的にも気になって読んでみた。統計的手法をかなり使っているので慣れていないと読みづらいが、中身と主張はなるほど納得だ。


分断がなぜ悪いのか。「分極化すると極端な意見が多くなるので相互理解は困難となり、罵倒し合う事例が増えてくる」としたうえで「個人レベルではなく、社会全体として見た時、分極化が進み過ぎることは民主主義にとって問題を生む。第一に、分極化が進んで意見の相違が大きくなると、議論して知恵を出し政策案を改善していくという努力が放棄されてくる。第二に、意見の相違があまりに大きくなり、相手の言うことが理解できなくなると、人は民主的意思決定事態に疑念を持ちはじめる」と、それが民主主義を揺るがすからだと主張。


なぜネットが問題となるのか。「分断のネット原因説は、選択的接触(ニュースの需要側の要因)とパーソナルメディア化(ニュースの供給側の要因)に大別される」としたうえで「同じネット利用と言っても、ヤフーなど大手ネットニュース利用者は分極化しておらず、分断されていない。分極化が起こっているのはフェイスブックツイッター、ブログといったネットメディア」「テレビ・新聞とソーシャルメディアで選択的接触は同じようなもの。ただ、テレビ・新聞ではメディアの数が少ないために、選択的接触がやや強い」と指摘。


筆者たちは、データから「分極化しているのはネットを使う若年層ではなく、ネットを使わない中高年」ということを読み解き「①ネットメディア利用開始で人々は過激化せず、穏健化する傾向にある②穏健化するのは20代~30代の人がブログを使い始めた時、女性がブログを使い始めた時、元々穏健だった人がツイッターを使い始めた時③過激化するのは、元々過激だった人がツイッターを使い始めた時」という結論を導く。
どうも、体感と違うような気がするのは「一部の現象が誇張されて見えるネットの特性」によるとし「ネットを使っている人の意見が分極化している事実はないが、一部の極端な意見の人の発言が拡大され、大勢であるかのように見えてしまう。これがため、ネットは罵倒と中傷の場になってしまう」と、からくりを説明する。


実態としては「ネット草創期の人々は、ネットの上で多様な意見や智恵の興隆が起こり、互いの理解が進むことを期待した。その期待は、まさに若年層を中心に実現しつつある。時間の経過とともに若年層が社会の大勢を占めていくのであるから、長期的にはネットの良い面が広がっていくことになる」と述べるところは、かなり驚いた。


現状と今後についての「ネットで接する相手の4割は自分と反対の意見の人であり、人々は自分と異なる意見にも耳を傾けている。その結果、ネットを使う若年層ほど穏健化しており、分極化していない。これは民主主義にとって良い変化である」「両端の意見だけでなく、中間の穏健派の意見を代表するソーシャルメディアが現れれば問題はかなり解決する。すなわち、分布の中間の人々の言論空間をつくることが最大の対策になる」という提言は、意外だがなるほどと感じさせられた。


意外な結論を納得させるにはデータが必要。だが、その読み解きが少ししんどい。そんな感じの本だ。

[読了】奥田祥子「男が心配」

今年114冊目読了。ジャーナリストにして近畿大学教授の筆者が、男性たちが人生の節目で直面する問題を取り上げ、理不尽ともいえる現実を明らかにする一冊。


2022年にオッサンと呼ばれる世代にとっては、これは本当によくわかる。逆に、女性が指摘してくれないと、こういうことにすら気付けなかったかもしれない。筆者が実際に取材している男性たちには、実に共感できる。


なぜ、男が心配なのか。「『男らしさ』には、ほぼ同義の『男性性』(男性の特徴・特性)の意味に加え、性別によって『こうあるべき』という規範的な要素が含まれている」という点に触れたうえで「最も深刻なのは、『男らしさ』規範を実現できていない男性たちが現実から目を背け、モテないことを認めようとしない点にある。『男はモテなければならない』という『男らしさ』の固定観念にいまだ囚われているがゆえに、モテないことは男としての敗北を意味するからだ」「モテ信奉がエスカレートして『モテる男になれない』自己嫌悪として跳ね返る気持ちが逆に、頑張っても実現できない『男らしさ』への執着を招いている」と、その自己撞着ぶりが自らを苦しめている、ということを指摘する。


さらに、イクメンや介護もやるべきと言われていることによって「長時間労働が実質的に是正されず、パタハラも横行する現状で、『イクメン』が新たな男性像として称賛されればされるほど、その理想の父親像を具現化できない多数派の男たちは苦悩を深めている」「『男も介護して当たり前』といった世間のプレッシャーを感じ、『他人を頼る弱々しい男と思われたくない』という思いで意固地になる」と男が追い詰められている点に言及。
その結果「『デキる男』であらねばならないという『男らしさ』の呪縛は、デキる男の実現可能性が低くなればなるほど、逆に強くなっている」「男たちは『負け』を認めることができない。『男らしさ』から逸脱した"落伍者"の烙印を押されることを極度に恐れ、目の前の現実を受け止めることができないまま、つらさを背負い、立ちすくむ」「深刻な問題は、生きづらさを抱えてもなお、自ら『男らしさ』を志向している点にある。その背景には、女性たちや、少数派の『男らしさ』を実現している男性たち、そして社会全体からの要請、プレッシャーが根強い」「男性の生きづらさを考えるうえで、男性間に支配構造があり、『支配される男性』がいることを看過してはならない」となる、というのはまさに然り。


では、どうすればよいのか。「定年後の現実は、思い描いた理想通りにいくものではない。それにもかかわらず、男としてこうあらねばならないたいうジェンダー規範と決別できないがゆえに、なおいっそう己を追い込んでしまう」「仕事一筋で出世を目指して全速力で突っ走った定年までの働き方、生き方からのギアチェンジが必要」という事実に向き合うことを筆者は提唱。
そのうえで、打開のために「他者や社会からの評価に惑わされず、自分のものさしで自己評価し、ありのままの自分を受容する。つまり自己承認しつつ、少しずつでも自信をつけていくことが、『男らしさ』からの解放につながる」「自己の一貫性に固執せず、多元的な自分を認めることが重要だ。一貫した『男らしさ』を備えていなくてもよいのと同時に、『男らしさ』の要素すべてを捨て去る必要もない」と答えているのは、立ちすくんでいる男性たちに寄り添う発言だ、と感じる。


取材に対応した男性たちの「たったひとつの父親像に執着きていたことは大いに反省しています」「誰にだって弱さはあるんだから、人を頼っていいのだと考えを改めないと、いつまで経っても心身ともに楽になれない」というコメントが胸を衝く。


女性にも読んでほしいし、男性が「心の荷を下ろす」助けにもなる本だと感じる。

【読了】藤原和博「僕たちは14歳までに何を学んだか」

今年113冊目読了。教育改革実践家にして、東京都初の民間校長を務めた筆者が、学校では教えてくれない新時代の必須スキルを紹介する一冊。


前田裕二、キングコング西野、ホリエモンら「時代の寵児」たちにインタビューをしながら、という実に独特な掘り下げ方をしているのだが、筆者らしく上手にまとめている。こんな教育本はなかなかないぞ。


現代を生きる子に育てるには「ユニークな特徴を持った子に育ってほしいなら、その孤独に耐えるだけの『根拠のない自信』を育ててあげなければならない」「自分の子の精神的基盤に、義務教育を修了する15歳くらいまでに、最低限『根拠のない自信』が芽生えていればよい」が大事だ、と説く。


そして「親の役割は、見返りを求めないパトロンみたいなもの。よく『わが子に投資』というけれど、投資するのではなく、あげる」ことだ、とホリエモンが喝破しているあたりはけっこう納得だ。


勉強のみならず、子育てでもビジネスでも通じることとしては「ほめられることと、教える側になるってことは、成績が伸びるのにすごく効果がある」「『自分がいいと思っているもの』を一方通行で伝えても、なかなか人の心は動かない。それよりも、『相手がいいと思うもの』が何なのかを真剣に考えて伝えていかないとだめなんだ」のあたりが面白い。


成功者からの学びを、筆者は「ユニークな仕事で、その業過構造や人々の行動が変わってしまうような突出した業績を上げている人に共通するのは、『情報処理力』が高い(仕事が早くて正確)だけでなく、『情報編集力』も高い(アタマが柔らかく未知の問題に対する解決力がある)。それに、10歳までにちゃんと遊んだ人。遊びは『情報編集力』の基盤を作る」「世界観を作り、変更をかけるのは『情報編集力』」と定義。
その「情報編集力を鍛えるのは5つのリテラシー。①コミュニケーション(人の話が聴ける)②ロジカルシンキング(筋を通せる)③シミュレーション(先を読んで行動する)④ロールプレイング(他人の身になって考える)⑤プレゼンテーション(気持ちや考えを表現できる)」と分類する。


では、それがわかったとして、結局、何が有用なのか。「誰かに強烈に愛された経験のある人は一歩を踏み出すことができる」「直接の利害関係のない第三者との関係を豊かにする」「10歳までにいかに遊んだかが大人になってからの『情報編集力』の基盤を作る」という指摘は、今の難しい時代だからこそ大事なように感じる。


今の時代には「『希少性』を磨くことこそが、ネット社会からあなたの子どもとあなた自身が他者からアクセスされ、味方を増やす条件になる」とはいいつつ、「親は子に育ててもらうようなものなのだ」という原理原則は変わらない。実に難しい時代だが、それだけにやりがいをもって子育てをしたいと感じさせられた。