世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】藤井保文「アフターデジタル2」

今年87冊目読了。株式会社ビービッド東アジア営業責任者の筆者が、人がその時々で自分らしいUX(ユーザーエクスペリエンス)を選べる時代へ移行することを推奨する一冊。


前著「アフターデジタル」が素晴らしかったので、こちらも読んでみた。往々にして、この手の本は二作目がレベルダウンするのだが、「時流をつかまえる」という特性ゆえか、この本は十分に読みごたえがあった。


アフターデジタル時代の基本的な考え方として「UXを議論しないDX、顧客視点で提供価値を捉え直さないDXは、本末転倒である」「データやテクノロジーを正しく理解し、正しくビジネスに活用することでサステイナブルなビジネスと顧客関係を両立させる『能力』と『方法論』が必要になる」「日本のDXは、『リアルを中心に据えて、デジタルを付加価値と捉える』という『ビフォアデジタル』的な考え方に根差している例がほとんど。『店舗でいつも会えるお客様が、たまにアプリを使ってくれる』といったイメージ。このリアルとデジタルの接点の主従関係を逆転させて考える必要がある」などを提言する。これは、今までの思考回路が一切通用しなくなる(むしろ害悪になる)ということを物語る。


ユーザー側の行動特性については「『便利か、楽か、使いやすいか、楽しいか』といったUX品質が他のサービスよりも良いかどうかが最重要」「ハイタッチ、ロータッチというリアル体験で新たなベネフィットを提示されると、よりロイヤルティーが高まってアプリを引き続き利用したり、新たな機能を使い始めたりする」「人を動かす力や行動を規定したり変えたりする力は『法』『規範』『市場』『アーキテクチャー』の4つ」などを挙げる。


リアルとデジタルの捉え方については「感動的な体験や信頼を獲得するといったことは、デジタルよりもリアルのほうが得意。リアル接点は『今までよりも重要な役割を持つが、今までよりも頻度としてレアになる』と捉えるのが正しい」「属性データの時代は『人』単位で大雑把に捉えていたが、行動データの時代では、人を『状況』単位で捉えることができるようになり、人間の自己認識や社会における人の在り方にこれまで以上に近づくことができる」「最適なタイミング、コンテンツ、コミュニケーションを捉えて価値提供するには、ユーザーの置かれた状況を把握してそれに対する解決策や便益を提供し、ユーザーと定常的な接点をなるべく高頻度に持つ必要がある」「『リアル接点を軸に、デジタルをツール的に扱う』という従来型から『デジタル接点を軸に、ユーザー状況を捉え、リアル接点をツール的に扱う』という考え方に変化している」と述べる。まさに、頭の発想を転換する必要があるんだろうな。


この時代に企業が念頭に置くべきことは「ミッションがすべてを規定する」「『売ること』『成約させること』にフォーカスするのではなく、顧客にずっと寄り添うことを重視することで、他社を圧倒し、人が人を連れてくるというモデル」「サービスの利便性や世界観が優位性を持ち、商品の購買がサービスのジャーニーの中に埋め込まれていく状態が進んでいる。これは『コマースの遍在化』」「DXを行う企業は、まずシステムの先行導入やビジネスモデルの変更を考えてしまいがちだが、顧客との関係性の変化を捉えて価値を再定義することは何よりも率先して行われるべき」「高頻度接点の検討は、コア体験とセットで考え、『コア体験に隣接する領域』で高頻度接点を作ることが肝」などが挙げられる。これまた、既存の延長線上とは全く異なる世界だ…


UXについては「UXとは、ユーザー、ビジネス、テクノロジーの3つがそれぞれ関わり合うときに生まれる体験・経験である」「行動データを活用してUXをより良くしていくには、大きく分けて『①ユーザー側の体験向上』『②ビジネスプロセス側の効率向上』『③双方を助ける付加価値』の3つのパターンがある」とする。
そのうえで「UXの精神としては①テクノロジーとUXによって、人の行動を変えうる『アーキテクチャー』を設計していることを自覚する②これを悪用することは、テクノロジーによる社会発展を止めることと同義であると認識する③データは金儲けではなくUXに還元し、ユーザーとの信頼関係を作ることを最優先する④『多様なジャーニーの中から最適な生き方を常に選べる』という社会の中での選択しとして自社を位置づけ、新しい世界観(コンセプト)を持って事業・サービスを構築する」「重要なのは、『状況』を『出来事』として捉えるのではなく、『こんがらがった構造やシステム』として理解する。そして『不幸せな状況』のどこをどのように変えたら、幸せなサイクルを生むことができるかをひたすら考える」「『なぜそのような行動をしたのか』『なぜ行動に違いが出るのか』という理由と状況を考え、想像し、理解することで、提示するソリューションは全く異なり、本当にターゲットにすべきユーザーたちに向けたUXが企画でき、成果も出るようになる」と述べる。


人とテクノロジーの関係は「人が行う業務は『ユーザーの状況理解を基に、今までにないものを追加すること』であり、具体的には『新機能の追加』『新たなコンテンツ作り』『サービス上の導線変更』『新しい自動化条件の追加』」「テクノロジーの役割は①ユーザー行動のパターンや状況分類の整理・提案②仮説や施策結果のチェック」となる、と整理する。


「企業論理・企業都合によって実現できていないといった現状を打ち破り、UXを中心に置いてすべてを設計し直さなければならない。それが『OMO(Online merges Offline)を実現する』ということであり、だからこそ実現した結果、強い競争力を持つ」「リアルビジネスのプラットフォームというよりは、同じ絵を作り上げるエコシステムのように見ている」「アフターデジタルとは『
UXの視点から社会変化を見直す』という試み」という世界が、立ち現れようとしている。その変化を起こす側にいないと、生き残れない世界。面白いが、乗り遅れる恐怖もある。やはり、この本は秀逸だと感じる。

【読了】沢木耕太郎「テロルの決算」

今年86冊目読了。人気作家が世の中に出ることとなった、大宅ノンフィクション受賞作。社会党委員長・浅沼稲次郎と、その暗殺を行った山口二矢の二人について、人生の背景と当日、その後を描き出した一冊。


正直「深夜特急の筆者」というイメージしかなかったのだが、たまたま佐藤優のお薦め書籍のリストに入っていたので読んでみた。そしたら、あまりの深さに、グイグイ引き込まれていった。


犯人の山口二矢が右翼活動に傾倒していく背景を「彼には『強いもの、流行するもの』に対する反発心が強かった。彼にとっては左翼こそが強者であり、流行に便乗するもの、と映っていく。それらのものに対する反発心は父親が自衛隊に勤めている、ということの負い目をはね返すために、さらに屈折した、さらに鋭いものになっていった。自衛隊を批判する人、それを二矢は左翼と見なしたが、彼らは強者だった。自分が少しも傷つかぬ位置から自衛隊を否定し、父親を否定し、だから一家を否定していると思えた。深い被害者意識が、逆に攻撃的なものに転化した」「『右翼の団体に参加して左翼と対決する』学園で深い孤立感を味わいつつあった二矢に、そのことはかつてないほど魅力的なものと映った」と読み解く。
そして、右翼の中でも満足できず、個人テロに走る流れについては「右翼運動の中で次第に孤立感を深めていた二矢には、支えになる絶対的な何かが必要だった。それを探し求めていたといってもよい」「彼はテロルを夢想する中で、しだいに運命論的な世界に搦め取られていった。彼がテロルと死をこれほど直截に結びつけたのは、他者の死を自らの命によってあがなうという古典的なテロリストの倫理以外に、自分の運命は定まっているのだという強い予感があったからである」などの記述が興味深い。


浅沼稲次郎については「ある意味で哀しすぎるほど哀しい浅沼の一生を、二矢は『戦前左翼であったが弾圧されると右翼的な組織を作り、戦後左翼的風潮になると恥ずかしくもなく、また左翼に走り便乗した日和見主義者』としか見ようとしなかった。彼の指摘の中には、浅沼の奇跡の不思議さの、その一端を突いている部分が確かにある。だが、それはあくまでも『一端』にすぎなかった」とし、彼が二度も精神を壊したことについては「かつて抱いていた純粋な社会主義者としての魂が、現実を是認し追随しているだけの彼を撃った。やがて、その矛盾を、浅沼はひとりで支えきれなくなる。彼の内部の精神のきしみは、次第に他者の眼にも明らかになってくる」とみる。
そんな彼が「人間としてですね、悩みを持ちつつ生きるということは尊いものだと私は思っています。悩みがない人間というのは、ウソなんじゃないでしょうか。生き方にウソがあるんじゃないでしょうか」と述べたところには、その苦しみを感じ取ることができるが、他方「浅沼の眼には、建国の意気に燃えた中国六億八千万の民の姿が、強烈に映った。とりわけ彼らと共に同じ道を歩むことのできる指導者たちの幸せが羨ましかった。かつて戦前のある時期、彼にも大衆の中で大衆と共に闘えばよいという日々を迎えたことがある。それは単純で、明解で、だから至福の日々だった」ということから中国共産党への共感を深める様は、あまりにも不足の補いであり、幼すぎるという気がする。やはり、それではいい方向には向かわない、ということだろう。


浅沼委員長死後の社会党が「のちに構造改革論と呼ばれるその構想は、委員長のしかばねを乗り越えて、という全党をおおったヒロイックな気分の中で、空虚な認知をされる。それは、構造改革論者ばかりでなく、社会党にとっても不幸なことであった。やがて、それは党を二つに分断する派閥抗争の最大の火種になっていく」という状況に陥ったことは、組織論としては警句になるだろうと感じる。


筆者の「現実の出来事に本当の意味での終わりが訪れることはない。映画のように、一篇の最後に《完》とか《END》と字幕が出るとそれですべてが終わる、というわけにはいかないのだ。当事者が生きているかぎり、いやその人びとが死んでからも、現実はその続篇とでもいうべき物語を持とうとする」「ひとつの作品はその作者に見合った身の丈しか持つことはできないもの」という世界観には非常に共感できる。題材の事件自体が1960年(奇しくもプロ野球日本シリーズ第二戦の最中であり、大洋ホエールズ大毎オリオンズというカードがその旧さを物語る)であり、相当過去のことではあるが、人間の本質に迫る筆致は全く色褪せない。ぜひ、一読をお薦めしたい。

【読了】田原総一朗「日本の戦争」

今年85冊目読了。テレビジャーナリストとして評論活動を行う筆者が、「なぜ、日本は無謀としか思えない太平洋戦争に踏み切ったのか?」を江戸末期の流れから解き明かそうとする一冊。


「開国、倒幕、そのための富国強兵…それまで、同じ尊王ではありながら、開国と攘夷に分かれて敵対していた、薩摩と長州の足並みをそろえたキーワードは、両藩が力を入れている富国強兵だった」「もともと、大和魂といえば『世渡り術』。小回りのきく、小才な知恵とか、あるいはずるさだとか、接待だとか…まぁ生活の知恵」のあたりは、意外に思える。幕末から明治のことすら、はっきり知らないんだな、と反省させられる。さらに「憲法などの法律に束縛されず、いわば超法規的に国民を縛り得る戒律、これが教育勅語だった」というのも、コロナ禍で「自粛要請」ばかりで乗り切ろうとする政府の姿勢にも一脈通じているようで空恐ろしい。


日清戦争の際に「伊藤博文内閣の命運はもはやこれまで、と追い詰められていた。こうした状態を突破するには、無理にでも、外でコトを起こすしかない。つまり外憂。そうなれば国内の対立など吹き飛んで、誰もが愛国心民族意識をかき立てられて国内は一丸となる。そんな状況が、伊藤が意図しないのに東学党の乱で出来上がった」、日英同盟が成ったのは「ボーア戦争に予想外の兵力を取られたため、イギリスは同時期に起こった北清事変に存分の軍隊を派遣することができず、日本に大量派兵を求めた。ボーア戦争については国の内外から激しく批判されて、大英帝国はすっかり弱気になっていた。」という背景は、実に興味深い。


明治初期の「政府は、ことが難航すると、最後は天皇を持ち出す」は、昭和初期の軍部の統帥権干犯理論と同じだ…そして「明治天皇は、後の日露戦争に対しても強い拒否反応を示し、昭和天皇も太平洋戦争を何とか回避しようと努めた。いずれの天皇も戦争を忌避しようと努めたのは興味ある事実だ。しかし、どちらかの場合も日本は戦争に突入している」のが悲しい事実。そして「日清、日露戦争に勝利した結果、初めて不平等な条約改正ができたというのはぬぐえない事実である」ということも見逃せない。


政党政治についても「世界恐慌に対して、政府は有効な、国民を納得させる手立てが打てなかった。それどころか、金解禁、緊縮財政が致命的な失政と映った。これが、政党政治に対する信頼性を失墜させた何よりの原因だった」「政党としては、軍が政治に介入する危険性が生じれば、対立党とも協力して、懸命に介入の阻止を図るべきなのに、政友会はその逆をやってしまった」「わが国は政党政治のいうのが、はなはだ評判が悪い。相手党を攻撃するために、事実とかけ離れたスキャンダルの捏造も躊躇せず行うし、また金をめぐるスキャンダルも頻発する。そしてマスメディアは、とくに政権政党を徹底批判するのが、まるでマスメディア自身の『良心』読めたのように考えている」のあたりは、2021年の今もって変わらない。
そんな中、「昭和の政治家たちは、結局、軍のテロの恐怖に脅かされながら国の舵取りをせざるを得なかった」ところに、昭和初期の閉塞感の中で近衛文麿が総理になる。「『受けやすい』論理というものは、実は危険なのだが、あるいは近衛の主張は、受け狙い、つまり人気取りも計算に入っていて、だから政界登場が歓迎されたのではないか」とし「聡明で論理的であまりに人間的なゆえに『ぶれ』の大きい人物をリーダーとし、また彼に対する国民の人気が異様に高かったことが、日本の昭和の歴史の不幸だったといえる」と指摘する。
そして、「近衛新体制とは、私利私欲に拠る資本主義を止め、経済に動かされる政治から、政治が経済を動かすという体制に切り換えることだった。露骨な貧富の差、そして金がらみのスキャンダルに明け暮れる政治にうんざりしていた国民の多くは、近衛による変革を強く求めた」。これこそが、皮肉なことに「護送船団方式、官僚主導体制、企業別労働組合、下請け制度など、戦後の復興期、日本経済の快進撃、高度成長期を通して、一貫して根幹であった『1940年体制』」だと鋭く指摘する。これは、2021年の日本とも似ており、危険だ…


終盤、運命のアメリカとの交渉から太平洋戦争突入まで。「日本がアジアの国々を全て視野に入れた新秩序を構築しようとすれば、何とかしてソ連アメリカの脅威を抑え込まねばならず、日独伊ソ四国同盟こそが必要とされたのだろう。だが、それには2つの前提があった。一つはイギリスがドイツに降伏すること、二つ目は独ソ関係が悪化しないこと。この二大前提が崩れれば、つまり英米ソが連合し、日独伊は、単なる『持たざる国』の集まりになってしまう」という認識の中で口承に入る。しかし当然ながら「アメリカが日米交渉に本気だったのは、ヒトラーのドイツがソ連を打ちのめし、アメリカが日独の両国と戦う破目になるのを避けたいと考えていた時期までだった」。「日本側が、情けないほどアメリカを疑わず、一方、ハルやルーズベルトが、強い日本不信感を抱いていたのは、決定的な情報格差のためであった」という情報戦の弱さは今もって変わらないし、それに対する日本の決断に至るまで右往左往したあげく、最後は東条英機が首相指名を受けてから「『聖慮』を重んじて、戦争回避に転じ、『聖慮』を重んじて、また戦争突入を決めた。そこには、国民も国家も東條自身さえも存在していない」。これはコロナ禍の日本政府の対応と重なるように感じる。「そして、日米開戦の12月8日、ヒトラーはモスクワ攻撃放棄を指令した。ドイツの『敗北』の始まりである。日本はドイツがソ連にもイギリスにも勝つことを国策の前提にしていたが、皮肉にもそれが日米開戦の日に崩れたのである」。


歴史を教科書ベースではなく振り返ることの大事さは「敗戦以前に、わたしたち国民が見、聞き、教えられた日本という国家がねじ曲げられた情報によるものであったことは十分に知っている。だが、敗戦後にあらためて学校で教えられ、あるいは本で読んだ日本の歴史が、必ずしも実像ではなかった」「敗戦まで、日本の軍人には選挙権が一切なかったこと、日韓併合の時点では、世界の中で植民地政策をとることが悪いという認識がなく、アメリカをはじめ、欧米の列強が例外なく日本の行為を支持していたことなど、数多くの事実を、今回の取材で初めて知った」のあたりの記述からもひしひしと感じる。


政治のそもそもについての「運動というのは、論理的に詰めれば詰めるほど細かく分裂してしまう」「(日露開戦前夜に)どの新聞も『戦争やるべし』に転向していたのだが、これは政府の弾圧のためではなく、どの新聞も『反戦』報道では部数が激減したからである。部数の激減はマスコミにとって弾圧よりも致命的」あたりの指摘も非常に納得できる。


この流れを、今もって引き摺っているのは、コロナ禍における日本政府のまずい対応をみても一目瞭然。非常に重たい本だが、これは押さえておくべき一冊だ。

【読了】宮城谷昌光「劉邦(上中下)」

今年82・83・84冊目読了。歴史小説を得意とするベストセラー作家が、無頼から漢王朝の開祖となった劉邦の数奇な人生に迫る小説。


劉邦の気性などについては、賛辞を惜しまない。「劉邦の目のよさは、勘のよさとつながっている。」「この世でもっとも尊敬できる人物は、士をよく知る人である。士とは、いのちがけで信義を表現する者である。そこには学識の優劣がはいり込む余地はない」「劉邦は行動に美をみる者であり、思想は体現してはじめてその佳良さが輝く、とおもっている。─命懸けになったことのない者に、なにがわかろうか」「死者にも手厚い人が、生者に手厚くないはずはない」「困っている人を助けてやろう、という精神が劉邦を動かしている。その情にふれた者は、利害をこえて、劉邦に結びつこうとする。劉邦軍の比類ない固さと柔軟性は、それに由来している」と、どれだけ神だよ!?というくらい。確かに、日本の秀吉の比ではないので、それもわからんでもないが、「戦場にあっては、劉邦は猜疑をあからさまにせず、むしろ大胆に諸将を信用してみせた。が、皇帝になってからの劉邦はおのれの猜疑心に苦しむことになる」のとおり、秀吉と同様、晩節を汚すことになり、そこに繋がる部分がまったく描かれていないのは残念。


他方、敵役である項羽には手厳しい。「内に優しく、外に厳しい、というのは、人として成熟していないあかしである。もしもそのまま項羽が君主となれば、甘辞を呈するだけの佞臣にかこまれることになろう」「奴隷でないかぎり、人はなんの報酬も求めずに他人のために働くことは、稀有である。その稀有なことを項羽は配下に強いている」「常勝の人である項羽にとって、属将がなぜ負けるのかがわからず、負けることは赦し難いことであった。こういう無理解と寛容のなさが、諸将を委縮させ、失敗のすくない用兵と策戦をえらばせ、かえって失敗させた。そういう軍事の実情が項羽の目には映らなかった」「おそらく項羽には、恐れるという感情が欠如していたのであろう。恐れることが智慧を発達させるひとつの要因であるとすれば、それがない項羽の知識は増えず、兵術も巧緻にならず、予見力も平凡なままであった。敗れることを知らない者の未熟さがここにあり、それを自覚しない哀しさもここにある」と散々なこき下ろしよう。でも、百戦百勝というくらい強かったのは間違いなく、そんな人物がなんの魅力もないわけがない。そこの掘り下げが甘いのも、これまた残念。


とはいえ、全体的には人の心の機微などが面白く描かれている。組織論としても面白い。「人民がのびやかさを失うことは、国力が衰退してゆくことになる。人々は心の豊かさも見失っている。─それがわからない凶悪な皇帝は、人民の敵であり、消えてもらうしかない」「怨みの感情を集め、積もらせると、巨きな力となる」「おのれの疲れをもって、敵の疲れをはかってはならぬ」「道理を積み重ねていった先に、玄妙な兵法がある」「こちらが奇襲を考えて実行しようとするとき、敵もおなじように考えて動こうとするもの。人はおのれの奇想にうぬぼれてはならない」「大将には、戦うまえと戦っているさなかだけではなく、戦ったあとにも、冷静な観察眼が必要」「組織がかたむく、ということは、偏重があるからである。行政でも軍政でも、均衡がすべてであるといってよい」「勝って驕れば、それが隙となり、敗亡を招く。過去にいくたびもくりかえされたことであるのに、当事者になると、それを忘れてしまう」「なにごとにおいても、民は複雑さを嫌う。わかりやすい政治を喜ぶ」「知識としてわかっていることでも、行動として表さなければ、百事の禍いとなる」などは、まさに今の組織においても同様と感じる。


人間観という観点でも、含蓄のある言葉が多い。「行動は正しい認識の上にあるべきだが、正しい認識がつねに正しい行動を指示するとはかぎらない」「侠とは、勝敗を考えず、弱者を助けるために強者と闘うことである」「苦難は人に智慧を与え、勘を育てる」「人は危殆に瀕すると本性が出る」「怒らせておいてから納得させると信用度が増す」「人は憎まれているうちはまだよい。が、恨まれるようになってはならない」「策とは、人を深く知り、人を読むことから生ずる。主観とは、あえていえば感情であり、客観にこそその人の精神が表れる。そういう適切なつりあいがあってはじめて策は、人の常識を破って、高みに駆けあがって光彩を放つ」などは、どこかで使ってみたいところだ。


人生の構えについても「自分が願ったことを、信じるのだ。その願いが強ければ、かえって苦しむことになるが、苦しまなければ、願いはかなわないともいえる。だから強く願うことも、苦しむことも、畏れてはならない」「むだに生きたという経験こそが、もっとも貴重となる時がある。無益の積み重ねが、有益の上限を超える」「生まれた限り、こうなりたい、という憧憬があり、実現不可能でも、その容を追い求める情熱を失わなかった。この情熱があるがゆえに、独りの力では動かしがたい現実があることを痛感する。それがくりかえされると、人は希望と絶望のあいだをただよう。そういう時を経て、人は独自の思想を持つ」などは、留意しておきたい。


その他「天に命じられれば起つ。その声がきこえないかぎり、起たない」「無から生じた有はいつでも無へたちかえることができるがゆえに、無限。それに対して有から生じた有は、有限」「にぎっているものを棄てないかぎり、あらたにものはつかめない」のあたりは、傾注しているU理論にも通じるところであり、興味深い。


非常に面白く読めたのだが、故に残念なのは、晩年をばっさり斬り捨てて「神のような劉邦」を祀りあげているところ。なぜ、そこまで立身出世した劉邦が、晩節を汚したのか。NHK大河ドラマ「秀吉」が、朝鮮出兵などをいっさい描かずに終わったような気持ち悪さを感じる。人間、そんなに簡単に割り切れるものではない。劉邦が囚われてしまった闇に斬り込んでこそ、完成するような気がする。とはいえ、全体的にはワクワクしながら読めた。

【読了】久江雅彦「米軍再編」

今年81冊目読了。毎日新聞から共同通信に転じ、ワシントン特派員を務めた記者である筆者が、2005年11月に、日米秘密交渉で何があったか、その経緯を書き記した一冊。


この後、鳩山某の愚かしい「ひっかきまわし」もあってグチャグチャになった「普天間飛行場辺野古移転」。その傷のほうが激しいので、つい忘れがちになるが、この問題は入口段階から日本側の対応に問題が多かったことが浮き彫りになる。


米軍再編は「基地のある地域に米軍を固定して、そこで戦う、あるいは睨みをきかせる冷戦期の戦略では、テロなどの『予期せぬ脅威』に迅速に対処することが難しくなったから」起こってきたことであり、中心的課題は「①米陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間移転②第五空軍司令部のグアム移転③沖縄の基地問題普天間飛行場の移設)」である。「平時からの現地情勢の正確な把握、同盟国と連携した情報の収集や分析、作戦の立案機能や相互運用性の向上、そしてなによりも有事の際に戦闘の最前線と司令部との時差をできるだけ少なくして、時々刻々と変化する情勢に即応できるという観点から、前線に司令部を置く重要性は、軍事技術が進展した今も大きく変わっていない」ということだ。「米政府は海外の米軍基地再編を通じて、同盟国の軍隊の任務と役割の強化を狙っている」という部分もある。


これに対して、「米国から見た場合、数ある米軍の海外駐留先の中でも、日本はけっして手放したくない基地。逆にいえば、日本にとって、米国に対する基地などの提供は、もっとも効果的な『交渉材料』になり得る可能性があった」にもかかわらず「日本政府が米国に働きかける絶好の機会を逸してしまった鈍重な反応の背景として、在日米軍のあり方を含め、日米安全保障政策のあるべき姿を日頃から構想する努力を怠ってきたことが挙げられる。また首相官邸、外務省、防衛庁など関係機関の連携態勢が十分に確立されていないという日本側の致命的欠陥もあった」。
結局、トップ会談でも「沖縄の基地負担の軽減を求める小泉と、米軍のプレゼンスがアジア太平洋地域に貢献していると力説するブッシュ。すれ違いに終わった首脳会談は、在日米軍再編をめぐる日米の思想と立脚点の違いを象徴した」ということにしかならず、最終的には「政治の不在、そして過剰な基地負担を強いられている関係自治体の首長が、協議の内情をほとんど知らされない状況で、『制服組』同士の既成事実だけが着々と積みあがっていた」。


そもそも、日本のスタンスがよくない、として「あらゆる場面で建前と本音が交錯して、双方を巧みに使い分ける日本の独自性が、安全保障の分野でも如実に表れている」「日本政府は条文と実態の断層を解釈で埋めてきた」という経緯はあるにせよ「負担軽減の必要性を口では唱えながらも、現状を変化させることによって生じかねない抑止力低下の不安、米国に促されるまでは在沖縄米軍基地の本土移転などシミュレーションとしても検討していない無策ぶり。そもそも日本政府は、在沖縄米軍の各部隊がいかなる機能を果たしているのかも、個別具体的に把握していない。米国に対して、日本案なるものを提示するための基礎知識すら持ち合わせていなかったのが実態」とバッサリ。その当然の帰結として「日本政府は、関係自治体から協議内容の事実関係の確認を求められ、一方、マスコミ各社は真相を探ろうと取材攻勢をかける。米政府は日本の消極姿勢に不満と不信を蓄積させていく。日本政府は三方から受け身となり、袋小路に迷い込んでしまった」。
その遠因には「戦後の日本で長年に亘り国防議論がタブー視されてきたのは、第二次世界大戦参戦から敗戦までの反省と教訓、トラウマに加え、自国防衛のための自衛隊が発足する以前から、占領軍が在日米軍として継続して駐留した経緯と無縁ではないかもしれない」と述べる。


筆者は「在日米軍のあり方や自衛隊の連携を含めて、安全保障戦略を不断に検証しながら将来像を描く頭脳は、いまもってこの国には存在しない」「本来は、政治が安全保障政策をリードすべきであり、『制服組』による既成事実を追認するだけの判断は避けなければならない。米軍と自衛隊の連携を適切にコントロールする識見と指導力が、日本の政治に問われている」と結論付けるが、正直、2005年の執筆当時より、2021年の現在のほうが遥かに識見と指導力は悪くなっている…
ローレス米国防副次官の言葉が、コロナ対応のまずさを含めたすべてを物語っている。「日本政府では一体、だれが、どこで物事を決めているんですか?私にはまったく理解できない。この国には、政治的な意志がない」。本当にそのとおりであり、哀しくなる…


国防、シビリアンコントロールを考えるうえで大切な本だと思うが、むしろ日本政府の無能っぷりが加速度的にひどくなっていることの方を痛感してしまう、といういやな読後感だ…この本は適切な指摘をしているだけで、罪はないのだが…

【読了】宮元健次「日本の美意識」

今年80冊目読了。作家・建築家である筆者が、日本の美の潮流を俯瞰し、心のふるさとに耳をすます一冊。


ちょいちょい「その断言はどうなのか?」と思うくらい、やや「踏み込み過ぎ」な自説の展開と見られる部分もあるものの、全体的にはなかなか興味深い分析が多く、面白く読めた。


日本の美意識について「美しい自然をもつ日本において、日本人はその起源と同時に『自然』に美を見いだした」「優美は、日本人の美意識の基層をなすもの」としつつ「以後、神道と一体になった優美に加えて、仏教と一体となった幽玄の美が主流となっていく」と述べる。


では、仏教がはいってきてどう美意識が変容したか。「人は死んで無になるのではなく、太陽のように生まれ変わると説いた仏教が日本人の心をとらえ、広く普及した」「『もののあはれ』とは、時間的に限りある美をいとおしく思う心を指す」「人は生をうけた瞬間から死に向かう。人生の道はあの世への入口である。『死』があるからこそ、『生』が哀れであり、そうした視点に立った優美こそが『幽玄美』」「幽玄美の表現方法である『余情』あるいは『余白』あるいは滅びつくした『無』をいいかえれば『未完の美』ということができよう」と、その美意識の深まりを分析する。


わかったようでよくわかっていない、侘び寂びという概念については「侘びというのは、挫折や絶望といった不完全性を美として積極的に評価しようといった概念」「芭蕉が旅という『侘び』を実践し、自らを限界まで責めた結果、ついに到達した境地こそが『軽み』。芭蕉は『軽み』によって『侘び』の美意識を『さび』の美意識へ昇華させた」と言われると、そんなものなのか…と感じる。


きれい、という感覚についてはなかなか大胆に提言する。「『美しい』や『かわいい』という表現は古来から用いられてきたのに対し、『きれい』という表現はそれらより新しく、江戸時代はじめに生まれた」「1613年、後陽成天皇の命令により、宮廷建築担当である幕府作事奉行・小堀遠州キリスト教宣教師より西欧技術が伝えられた。①遠近法②見通し線③黄金分割④幾何学的配置など。」「皇族たちを学芸に専念させることで、宮廷全体が学芸専用施設として『虚構化』する」「寛永文化サロンに共通した美意識『きれい』を一言でまとめるならば『虚構としての西洋意匠』」とは驚くばかり。そして、それが明治を迎えるにあたり「古来連綿と続いてきた日本の自然に神仏を見る『優美』の美意識が、西欧的な神不在の自然観へ変質してしまった。以降、日本の知識人の多くが『優美』を忘れ、西欧的な自然観に支配されていく」「文明開化におyって日本人の美意識の根本出会った『優美』は終焉を迎えた」と嘆く。


最近の日本アニメがもてはやされる要素の「かわいい」については「『かはゆし』は、現代で使われる『かわいそう』と同様、同情する気持ちを含んだ美意識である」「『かわいい』と評されるのは、未熟なために助けを必要とするか弱いもの、小さくていまにも惚れてしまいそうなもの、純粋無垢ですぐに汚れてしまいそうなものを『守ってあげたい』と感じる愛着を指している。いいかえれば、それ自体が『未完の美』である」と読み解く。


旅と他界を結びつける考え方は、非常に共感できる。「人は生まれた瞬間から死への旅がはじまる。人生は死への旅である」「日本人にとって旅とは、死霊や祖霊が住む世界への訪問の意味をもっていた」「旅は、いわば現実世界から他界へと向かう行為であり、いいかえれば疑似的な『葬送』を意味する」という旅そのものの位置づけに加えて「日本文化は、茶道や華道、柔道や剣道など『道』をもって説かれることが多い。この道というのも、それらの芸能が旅にたとえられたから」「日本人は古来『死後もまた旅なり』と考えてきた。いわゆる『死出の旅』という仏教思想である」と述べる。


旅行業に携わる者としては「旅は擬似的な他界であり、それにより生命を浄化し、再生する行為である」という言葉は身に染みる。そして、筆者が最後にまとめた「日本人の美意識は『滅びの美学』であるといいかえることができる。人間は『生』を得た瞬間から『死』という滅びにむかって生きるという矛盾を抱えている。そうであるからこそ『生』を尊ぶという考え方が日本の美をつくってきた」という言葉を重く受け止め、今一度、自分なりの死生観にも向き合ってみたい。そんなことを思わせてくれる。これはなかなか深く楽しむことができた。

【読了】ジェイムズ「プラグマティズム」

今年79冊目読了。アメリカ人で、哲学者にしては珍しくコスモポリタン的存在となった筆者が、アメリカ的思想の基礎となったプラグマティズムについて説く一冊。


本当に哲学というのは理解が難しく、この手の本を読むと頭がこんがらがりながらになってしまう。これは昇華し切れた、消化し切れたとはいえないが、それでもなんとかついていけたかな、というレベルを辛うじて保った、というところ。


「これまで哲学にとって本質的と考えられてきたことは、いやしくも人間は事物を観察するべきであるということ、すなわち自分独自の方法でまっすぐに観るべきであって、自己と反対のものの見方ではいかなるものにも満足しえないということである。このような強い気質的な観察力が今後はもはや人間の信念の歴史において重要さをもちえなくなるなどと想像すべき理由はいささかも存しない」


哲学上の問題について「諸君は二つのものを結合せしめるような一つの体系を要求している。すなわち一方においては事実にたいする科学的忠実さと事実を進んで尊重しようとする熱意、簡単に言えば、適応と順応の精神であり、もう一つは、宗教的タイプであるとローマン的タイプであるとを問わず、人間的価値にたいする古来の信頼および信頼から生ずる人間の自発性である。そしてこれがつまり諸君のディレンマなのである」と提起。
これに対し「私は両種の要求を満足させることのできる一つの哲学として、プラグマティズムという奇妙な名前のものを提唱する。それは業理論と同じようにどこまでも宗教的たることをやめないが、それと同時に、経験論のように事実との最も豊かな接触を保持することができる」「プラグマティックな方法とは、各観念それぞれのもたらす実際的な結果を辿りつめてみることによって各観念を解釈しようと試みるものである」「プラグマティズムとは、ギリシア語のプラグマから来ていて、行動を意味し、英語の『実際(プラクティス)』および『実際的(プラクティカル)』という語と派生を同じくする」「プラグマティックな方法なるものは、なんら特殊な結果なのではなく、定位の態度であるに過ぎない。すなわち、最初のもの、原理、『範疇』、仮想的必然性から顔をそむけて、最後のもの、結実、帰結、事実に向かおうとする態度なのである」と述べる。
プラグマティズムについては「真の観念とはわれわれが同化し、効力あらしめ、確認しそして験証することのできる観念である。偽なる観念とはそうできない観念である」と述べた上で、その視野の方向性として「認識論的自我とか、神とか、因果性の原理とか、設計とか、自由意志とか、これらのものを何か事実を超絶した至尊なものとしてそれ自身であると考え、そのような原理に立って後ろを見返すものではなく、いかにプラグマティズムはアクセントの置き場所をかえて、前方に目を向けて事実そのものを見究めようとするものであるか」「合理論にとって実在は永遠の昔からの出来上がっていて完全なものであるのに、プラグマティズムにとっては実在はなお形成中のもので、その相貌の仕上げを未来に期待している」と、未来志向であることを強調する。


プラグマティズム云々を抜きにしても、「世界は純粋にして単純な一なる世界でもないし、また純粋にして単純な多なる世界でもない」「新しい真理は新しい経験と旧い真理とが結びついて修正し合った結果」「事物についてのわれわれの根本的な考え方は、遠い遠い昔の祖先が発見したものであって、その後のあらゆる時代の経験を通じて保存されることができたもの」という世界観は非常に参考になる。物事の見方というのはこうでないとな、と感じる。


比喩としてうまいなぁ、と思ったのは「水が感覚的な事実の世界をあらわし、水面上にある空気は抽象的観念の世界をあらわしているものとしよう。この二つの世界はもちろん現実的にありそして相互に作用し合っている、しかし両者の相互作用はただ両者の境界線で行われているに過ぎない。だから一切のものが生存しまたあらゆることがわれわれの身に起こるその場所は、経験の及ぶかぎりでは、この水にほかならない。われわれは感覚の海のなかを泳いでいる魚みたいなもので、上の方は空気に仕切られており、空気をそのまま呼吸することもできなければ、また空気のなかに入り込むこともできないのである。しかしわれわれが酸素をとるのは空気からである。だから絶えずあっちへ行ったりこっちへ来たりして空気に触れるのである。そして空気に触れる度ごとに決心を新たにしてまた水のなかへ舞い戻るのである」というくだり。ものすごく共感できる。


哲学というのは、本当に頭を使うし、その深淵を覗き込んだ程度の理解しか出来なかった…何にせよ、読書好きの端くれとしては「われわれめいめいにおいてそれほど重要な哲学は単に技術的な問題ではない。それは人生というものの真実の深い意味についてわれわれが多かれ少なかれ暗黙のうちに会得する感じなのである。読書から得られるものはわずかにその一部分でしかない。哲学はわれわれ個人個人が宇宙の緊張圧力の全体を見かつ感ずるまさしくその仕方なのである」の言葉を重く受け止めたい。