世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】伊藤之雄「真実の原敬」

今年7冊目読了。京都大学名誉教授の筆者が、維新を超えた宰相の一般的イメージを覆し、真実の姿に迫ろうとする一冊。


なるほど知らない側面がよくわかる、という半面、あまりにも筆者が原敬を絶対視し過ぎていて怖くなるくらい。ちょっと宗教じみていないか?というくらいの心酔ぶりに、やや読み疲れる…


確かに、原敬のイメージについては「フランス仕込みのお洒落やハイカラ趣味と、権力志向で泥臭い一般的イメージは、どういう関係なのか。このイメージが出てきたのは、暗殺されて100年近くが経つ間に、太平洋戦争、戦後の池田勇人内閣下の高度経済成長、田中角栄ブーム、バブル経済、平成不況など、様々なことが起こったからである。原が実際に行ったことの記憶が曖昧になって、当時の状況や原の姿勢が伝わらず、かなり誤解されてとらえられるようになったものと思われる」という指摘には納得できる。


また、幼少期から通じて「原は少年の頃から、南部藩の没落と実家の経済的窮迫に直面し、安易に他人のせいにしないで自らを奮い立たせて成長してきた。その感覚が、大阪毎日新聞社古河鉱業の経営を取り仕切ることでさらに普遍的なものとなり、民間の活動を支える地域の人々の意志を、最終的な政策の成功のカギととらえるようになったのだろう」「原が現代でいう公共性を重視したのは、真面目に生きている普通の人びとにとって、より良い社会となることを願ったからである」という価値観があることは高潔さに繋がっていると思う。
さらに「原は特定の地位にあることや爵位などの肩書、金持ちであることなどに強い価値をおかず、何ができる人物か、何をなした人物かを重視する。同時に、あらゆる出自の人々に、努力して成長する可能性を見出した」「興味深いのは、少年から青年に成長するにしたがい、原が母の教えをそのまま実行するのではなく自分でも考えて行動するようになったように、中江兆民の教えを信奉してそのまま受け売り的に実施しようとしたのではなかったことだ」というのは素晴らしいことだが、あまりにも話が綺麗すぎてこのへんからやや食傷気味になってくる…


国際感覚についても、「原は国としての清国や韓国の在り方には批判的であったが、植民地化の対象として扱わず、それぞれの人民を見下すこともなかった。さらに、日本が各『文明国』(列強)と対等の位置に立ったなら、『諸外国人』に幸福の差がないようにすべき、とも論じていた。これは国際関係における公共性の実現への理想ともいえる」「列強の中国進出に対し、その勢力均衡を維持し、平和を守り、防疫や外資導入など経済交流で相互の国の発展を図るべきだ」などから、「原は現代的意味での公共性にゆるやかにつながる公共的価値を政友会に持ち込み、外向的にも帝国主義の時代を脱却すべく、まず東アジアに平和が維持できる秩序が形成されることを目指していた」と考えていたというのは、現代から見ても非常に開明的だ。


我田引『鉄』という批判に対しても「原は鉄道建設などで、有権者の中心である地方有力者の利益の実現を目指した、とする著作もあるが、階級史観に強く影響されすぎた見解で、原を矮小化するもの」「原は、個別利益を求め政治の裏技などを使った他力本願による鉄道建設などで盛岡市の発展を図ろうとするのでなく、盛岡市民が志を高く持ち、自ら努力・協力して産業を振興し、鉄道建設の有用性を正面から訴えて実現させるべきと論じた。そのうえで、鉄道を有効に使ってさらなる地域の発展を図らないと、地域が実際に成長しない、とまっとうに考えた」と、『まず地域の振興ありき』は非常に正しい見識だ。


足尾銅山鉱毒についても「落ち度がないのに不当な被害を受けることはない方が望ましいが、世の中にはこうしたことが度々起こってしまう。しかし起きてしまったことへの憤りのあまり、建設的な生き方ができないのは愚かしい。できる限り科学的な根拠に基づいて少しでも改善できる実行可能な政策を立てた。それをとりあえず実行してみるのが公共性にかなう」と、実務者らしい見解も見せる。


『世論』と『輿論』についての「原は山県系官僚閥を打倒し、政友会を中心に輿論にもとづく政党政治を実現することを、公共性実現の一歩ととらえていたが、そのためには世論に流されず、また世論にも配慮することを大事だと考えていた」「原は、青年期にフランス革命は熟慮された国民の意思である『輿論』によって起こったのではなく、感情的な国民の『世論』に支配されていた、と見た。原は、中国の五四運動や朝鮮の三・一運動も、世論が突き動かした運動ととらえ、批判的だった」という記述は興味深い。今の日本は世論しかないな…


コロナ禍において、筆者は「求められるのは、原のように、国民全体に共感し、世界や日本の未来を想像する能力であり、長期的なヴィジョンを打ち出せる力である。その下に、日本の大勢を大きく変える政策を、現代に合致する形で行うことである。また、日本の安全保障に必要な費用を減らすため、東アジアに平和的な秩序を作る創造力である。加えて、それらの大枠と見通しを国民にわかりやすく説明する誠実さである。さらに何よりも、リーダーの公共性を目指す道徳意識と、苦境にもくじけない精神の強さが必要とされるだろう。原敬という存在は、私たちにこうしたことを教えているように感じる」とまとめるが、ここまでくると流石に気味が悪い。さらに、あとがきで筆者が自分の人生(若いころの苦労)と原敬をシンクロさせるあたりで、さすがに嫌気がさした。


余談ながら、1911年、「原は海軍や陸軍を充実させることも重要であるが、まず疲弊した日本を再建するため、必要な減税と生産的事業を実施して国力を回復させることを第一と考えた」というのは非常に至当であり、今の岸田内閣に聞かせてやりたい…