世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】船橋洋一「フクシマ戦記(上下)」

今年188・189冊目読了。朝日新聞主筆を務めた筆者が、福島原発事故を取材し続け、「10年後のカウントダウン・メルトダウン」を見つめ直す本。


とても読み応えがある。なにせ、あの「原発」と「事故」に否応なく向き合わされた日々は、今なお生々しく記憶に残っている。そして、それをこうして記録することの大事さを痛感する。


日本の問題として「人災の構造的背景としては①絶対安全神話の罠②安全規制ガバナンスの不全③安全規制のガラパゴス化④『国家民営』化のあいまいさ⑤国家的危機にあたっての危機管理とリーダーシップの欠如」「ソフトウェア面での備えでいまなおもっとも欠けているのは、想像力かもしれない。巨大津波にしても、大規模複合災害にしても、メルトダウンにしても、最悪のシナリオにしても、それらを『想定外』にしてしまった想像力の封じ込めがいかに致命的な結果をもたらしたことか」
これに対し、アメリカは「情報が取れなかったとき、最初にやることは最悪のシナリオを作ること」「プライドと屈辱感の裏返しだろう。いまだに日本の経済・技術大国の神話の虜になっている」としつつ「東北の沿岸地域ではいまも何千という水死体が上がってくる。それを扱う大変な作業をしている。そんなとき、日本にアレしろ、コレしろと吼えるばかりが能じゃない。こちらもちょっと辛抱しなければ。連中はものすごい試練のただなかにあるのだから」と冷静。


政治主導ということの難しさも「政治指導者に必要なのは大局観だ。いま、日本が直面しているのは福島原発事故だけでなく地震津波もある。すべて72時間が勝負だ。そういうときは、総理はどんと構えて、司令塔の役割を果たさなければならない。総理たるもの、所作、言動、言葉遣い、それなりの風格がなければならない。それが菅直人には感じられない」「総理になってからの中曽根は違った。時に、座禅を組んだ。別に座禅を組まなくともよい。ただ、総理たるもの毎日短い時間でも沈思熟考することが必要だ、ハツカネズミみたいにつねにグルグル動いていては総理は務まらない」「いけない。本来、技術判断を聞かなければならない助言者たちに、政治判断を無理やり聞いている。それにこうした高圧的な聞き方では、答えを半ば強要している感じだ」「高官レベルは決定することが仕事だから、いったん決定するとそれに固執する傾向がある。それを変えたり、覆したりするのはすごく難しくなる」などで痛感する。


原子力ムラもひどい。「保安院が官邸に情報を上げるのにエネルギーがかかるようになった。叱られないように、あっちこっち根回ししてから上げる。だから時間がかかる。すると、遅いと叱られる。行ったら行ったでどやされる。行かなきゃ行かないで怒られる。保安院は、お決めになるのは官邸でしょ、オレたちの責任じゃないもんね、という態度になった」「批判されてもうつむいて固まって黙っているだけ。解決策や再発防止策をまったく示さない技術者、科学者、経営者。技術そのものではなく、人間力として、原子力を持っちゃいけない社会だと確信した」「設計図通りにつくる点では日本は世界一だろう。しかし、システム・デザインを変えていく技術を持たないと、世界のトップランナーにはなれない。日本には技術政策全体のバランスや優先順位を見て、的確な判断と方向を示すチーフ・エンジニアがいない」という体たらく。
かけて加えて、東電は惨憺たるもの。「東電本店は、『指揮命令系統がムチャクチャ』な状態を放置したまま、現場にシワを寄せ続けた。その結果、吉田所長は、現場の事故対応に止まらず、経営判断と政治判断にも配慮して、事故対応を迫られることになった」「吉田以下の現場の超人的かつ献身的な努力に頼る以外、本店は対案を持っていなかった」「東電経営陣は、政府に『げたを預ける』ことを前提に、最後に選択しなければならなくなる玉砕か撤退の選択肢のうち『全面撤退または事実上のコントロール放棄』を選択しようとした」など、もってのほかだ。


そもそも、こんな安全盲信に陥ったのは「地元を説得し、その術に長けた職員が重宝されるようになった。そして、『地元を安全だと言って説得すると、今度はそれに縛られる。そこから安全神話が生まれる』自縄自縛に陥った」「確率でリスクを表すことを日本は病的に忌避してきた」というところであり、結果として「いくら高度の技術によって情報の絶対量や精度を上げても、それぞれが集約され、整備され、共有されなければ、それはまったく機能しない」ということになってしまった。


そんな中で、自衛隊の覚悟は突出している。「われわれが『指揮権』という時は隊員に対する生殺与奪の権限を指す…現地自衛隊の指揮官が消防隊や警察機動隊に『死ぬかもしれないが放水してこい』と命じろと言うのか。天地がひっくり返ってもそんなことできるわけない」「自衛隊はやるべきことをやっています。われわれがわれわれの尊厳を冒すことは許されませんし、許しません。自衛隊は自らの国を救うためには何でもします」「自分がまず、最初にリスクを取ってやらないと、同盟の相手国は決して、やってくれない。自らを助けることができない国は助けない」とは、本当にこの国の誇りだなぁと感じる。


それにしても、こうして文字に書き残すことは「各官庁の調査報告書が発表されると、それと抵触する不都合な真実は後ずさりする。法廷闘争に持ち込まれると、裁判の対策上必要とされる脚本が真実のように語られる。真実は熱いうちにつかめ!なのだと痛感した」のとおり、極めて大事だ。黒塗りやシュレッダーなど赦されるはずもない。


コロナ禍の中においては「フクシマが終わっていないことを最も象徴的に示しているのが、事故の対応と背景の検証が終わっていないことかもしれない」という警句が重くのしかかる。今一度、向き合いたい本だと感じた。