世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】小川和久「フテンマ戦記」

今年94冊目読了。軍事アナリストとして、歴代の内閣にアドバイスを送ってきた筆者が、普天間基地の返還が迷走し続ける本当の理由を回想録の形で書き起こした一冊。


久江雅彦「米軍再編」のブログを書いた際に、畏敬する先達からお薦めされたので読んでみたが、なるほど、これは理解が深まる。とともに、なんと愚かなことを続けてきたのか…と呆れるばかり。


そもそも、1995年の沖縄少女暴行事件から「沖縄県民の怒りの前に、その後、日米両国は沖縄の負担軽減の方策を探り、普天間基地の返還という解に辿り着く」も、「それを解決に向けて動かすことができずにすぎた日本は、外交・安全保障について、国際水準の能力を著しく欠いている姿を露呈してしまった」。
返還においては、「米国が返還に合意する条件は、第一に軍事的能力が低下しないこと、第二に沖縄県民の反米感情を刺激しないこと、の2点」であったが「返還合意の段階で、代替施設の軍事的合理性、つまり海兵隊の運用に支障があるかどうかといった点から詰めることを怠ったツケは、20年以上に及ぶ迷走という形で沖縄県民にのしかかることになる」


筆者の「移設はおろか、危険性の除去も、なにひとつ実現していないが、それは裏でうごめく人間の欲望のなせるわざ」という厳しい指摘は多方面に向けられる。「官僚や官僚OBを過大評価し、それに依存する体質の日本政治には、グランドデザインのために官僚機構を駆使する発想、能力ともに欠落していた」「英語を流暢に話すアマチュア(官僚、官僚出身者など)に問題解決を依存していたのが、普天間問題を迷走させた最大の原因」「自分たちの税金で維持されている自衛隊について、その実態を知ろうともせず、外側から『軍事組織だから危ない』と遠巻きにして吠えたてている。沖縄のマスコミには、民主主義を健全に機能させ、それを通じて自ら平和を勝ち取る姿勢が欠けている」「沖縄県と東京都の幹部職員に通底しているのは『琉球国のキャリア官僚』『東京国のキャリア官僚』であり、日本国と対等だという錯覚」「政治家は濁り水の中の目先の金を期待したい」「事務次官だった守屋氏が防衛専門商社トップとの蜜月ぶりを隠さずにいられたのは、競争相手がいないほど周囲の防衛官僚が小粒だったためだけではない。政治が官僚組織に対するコントロール能力を喪失し、チェック機能が働かなかったから」「辺野古案については、埋め立てに必要な砂利を扱う業者間で激しい競争が展開され、利権にまつわる様々なうわさが飛び交ってきた」などの魑魅魍魎が跋扈する中で「国益をかけて交渉できなかったのは日本の政治が外交能力を欠いていた結果」と厳しく断じる。
そこに出てきたのが、よりにもよって鳩山由紀夫。「これほど支離滅裂な思考の持ち主には、滅多にお目にかかることができない。私は、鳩山氏が日本国の首相の座にある間に、国家的危機が起きなかったことを神に感謝すべきかもしれないと思った」「鳩山氏には実現可能性が高いと思われる構想であれば、それだけで自動的に実現するかのように考える傾向があった。ことを決するのが自分自身のリーダーシップであることをまったく自覚せず、すべてが『あなた任せ』なのである」とは、傍から見ててもそうだが、近くで関わった人の弁、となると、本当にそうなんだろうな。


米国の立場も重視する。「日本は、戦略的根拠地としての在日米軍基地を提供し、米国にとって他の同盟国が代わることのできない死活的に重要な同盟国である」「自立不能の軍事組織である自衛隊に、米国が攻撃されたとき救援に駆け付ける能力が備わっていないことは、当の米国が最も理解している。だからこそ、日本には米国を守る義務が課されていないのだ。日本に期待されているのは、米本土と同じ位置づけの戦略的根拠地(パワープロジェクション・プラットホーム)である日本列島の機能を維持し、自衛隊で守ること」という米国の見方は、なるほどなぁと納得させられる。


教訓となるのは「相手が同盟国であろうとも、目的を達するまでエンドレスで闘い続けるのが世界に通用する先進国の外交である。それを相手は高く評価し、勝敗にかかわらず尊敬をもって接してくる」「受け取ったというレスポンスがあるか否かで、次の情報が入るかどうかが決まってくる」「日本外交は高度な通訳者を『強力な武器』として活用するべき」「熱い情念だけでは空回りに終わる。国家・社会を動かすには『くそリアリズム』というほどの冷徹さが必要になる」のあたり。これは、普遍であり、それを全て欠いたことが、今の混迷につながっている。


筆者の指摘どおり「沖縄米軍基地問題という日本の平和と安全に関するテーマが、いつの間にか『辺野古問題』にすり替わり、矮小化されてしまっている」ことが問題であり、「過ちを改めることこそ、政治が沖縄県民の信頼を回復する道」だと痛感する。この問題、シンプルなのに、利権屋どもがぐちゃぐちゃにしているあたり、新型コロナ対応とキッチリ相似形をなしている。「国家の存続に不可欠な歴史的記録さえ、先進国の水準で保存されていないことが明らかになった」も然り。情けない限りだ…そして、自分もそうだが、国民の不勉強が利権屋をのさばらせている、ということを理解する必要がある。