世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】梯久美子「サガレン」

今年114冊目読了。ノンフィクション作家の筆者が、樺太(サハリン)で境界を旅する一冊。


旧日本領であり、個人的に行きたい(でも行くにはハードル高い)場所、樺太。なので読んでみたら、面白いのだが、後半は宮沢賢治に寄り過ぎていて少し疲れた…


近くて遠い島、サハリン。「敗戦国となった日本は、1951年のサンフランシスコ講和条約樺太・千島の領有権を放棄したが、この条約にソ連は参加しなかった。その後、1956年の日ソ共同宣言によって戦争状態は終結したが、北方領土門などもあり、現在まで平和条約は結ばれていない。そのため、国際法上は、この島の帰属はまだ確定していないのだ。日本の高校で使われている地図帳では、この地域に国境線が二本引かれている。一本は宗谷海峡、もう一本はサハリン島を横切る北緯50度線である。北緯50度以南の土地は白地(どの国にも属していないことを示す)になっている」という前提自体をまず日本人は知るべきだろう。
そのうえで、その歴史経緯「第二次世界大戦後のソ連は、帝政ロシア時代の地名をほとんど引き継がず、新たに命名を行った。地名という形で土地に刻まれてきた歴史と記憶を断ち切ったのだ。革命によってできた政府なのだから、帝政の時代を否定するのは当然といえば当然かもしれない」「樺太千島交換条約によって正式に自分たちの領土になる前から、ロシアはこの島に囚人を送り込んでいた。帰属が不安定な土地については、しばしば自国民を大量に移住させて既成事実わ作る政策がとられる。だが気候が厳しく、インフラといえるものはほぼないサハリンに、普通の人はまずやって来ない。それなら流刑地にして囚人たちの労働力で開拓させるのが合理的というわけだ」「帝政ロシア時代のサハリン島流刑地で、囚人の中には、当時ロシアが統治していたポーランド政治犯もいた」「国防上の重要地帯であるため、ソ連時代には、国民も自由にサハリンに入ることはできず、サハリンの住民が大陸に行くことも厳しく制限されていた」「森林は樺太における最大の資源だったが、1910年代から急速に開発が進み、王子製紙などの大手だけではなく、一旗揚げようとする内地や北海道の中小の木材業者も続々と来島した。無尽蔵に思われた森林資源は1930年代には枯渇の危機に瀕し、盗伐や放火も横行していた」のあたりは興味深い。


そして、その戦前の状況についても詳細に書かれているが、特に面白かったのは「本土では見ることのできない幾つかのものが、この島にはあったのだ。そのうち、もっとも価値の高かったものが『国境』である」「1935年の時刻表を見ると、現在の列車より速いのだ。ちなみに駅がいまより少なかったということはない。当時の日本の"鉄道力"がいかにすごかったかがわかる」のあたり。


筆者の鉄道旅についての「前方からやって来ては後方へと流れ去っていく車窓の景色と、レールと車輪がふれあって刻む単調なリズム。自分を取り巻くものがその二つしかない鉄道の旅では、心をからっぽにして何も考えないこともできるし、何ものにも邪魔されず一つのことを考えることもできる」の洞察は共感できるし、何より旅について「旅にはふと光がさすように苦しみから解放される時間が訪れることがある。だが一方で、魔がさすとしか言いようのない瞬間に襲われるのも旅である。非日常の楽しさや美しさは怖ろしさと背中合わせであり、日常生活では気づかない足もとの深い淵に、ふらふらと引き寄せられる危険もあるのだ」という言及は本当にそうだと思う。


筆者の取材への構え「サハリンとは、多くの不確定要素をはらんだ土地なのだ。取材がスムーズにいかないときは、その理由の中に、その土地や人物の『らしさ』があらわれている」「ふだん評伝や歴史にかかわるノンフィクションを書いているので、固有名詞と数字については、間違いのないよういちいち確認する癖がついている」のあたりは好感が持てる。このへんがアマチュアとの違いだろうな。


筆者は廃線マニアであり「失われた鉄路を歩くことは、時間をさかのぼって旅をすることなのだ」と述べているが、歴史マニアである自分にとっては、史跡を歩くことこそが時間をさかのぼって旅をすること、と感じる。