世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】森達也「虐殺のスイッチ」

今年99冊目読了。ドキュメンタリー映画やノンフィクション書籍で道を開いた筆者が、「一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか?」という疑問を提起する一冊。


圧倒的な読書家の先達がお薦めしていたので読んでみると、これはなるほど納得の良書。


まず筆者の問題認識「正義は肥大する。善意は暴走する。そしてこの二つが一つになった怪物は、ありえないほど多くの人を加害する」は、極悪人が虐殺を犯すのではなく、誰でも虐殺者になりうる事実を突きつける。


筆者は、いくつもの虐殺をつぶさに分析して「歴史を少し学べば、為政者の思惑通りに事態が進むことなど、とても稀有であることに気づく。まして戦争は多くの変数の産物だ。どうなるかは誰にも予測できない」「為政者が『国民の生命と安全を守るため』を頻繁に口にするとき、国は大きな過ちを犯す。それは歴史が証明している。厄介なことに彼らは本気なのだ。だから過ちに気づかない」という定理を見出す。


宗教についても、筆者はオウム信者と向き合った経験から「人はなぜ信仰を持つのか。宗教にすがるのか。その理由を僕は、人は自分が死ぬことを知ってしまった生き物だからだ、といまは考えている。人は生き物で唯一、自分が死ぬことを知ってしまった。これは怖い」「だからこそ宗教は全て、死後の世界を保証する。死後の世界や魂の実在を保証するということは、今のこの生よりも死後に価値を見出すことがあることを示している。つまり生と死を反転させる。これは危険だ」と分析する。


人間の行動特性を「多くの人は自分にとって都合の良い情報を求める。信じたい情報を受け入れ、信じたくない情報はデマやフェイクだなどと一蹴する。この傾向はあらゆる情報が混在するネットの出現によってさらに加速した」「人間は理不尽でアンフェアな生き物だ。感情はコントロールできない。優しくもなれば冷淡にもなる。身勝手であることを変えられないからこそ、せめて身勝手であることくらいは意識に刻みたい」「人は社会的な生き物だ。組織に帰属しなければ生きていけない。けれども組織にはリスクがある。あとから考えれば有り得ない方向に暴走する。理性や論理を失う。そして組織の失敗は個人の過ちとは規模が違う。多くの人が害される」とするあたりは納得できる。


また、それが集団になった際に「集団化する過程で人は過ちを犯す。そして、何が過ちなのかもわからなくなる」「集団は論理を嫌う。論理の基盤となる知識を嫌悪する。知識の基盤となる歴史的体験を軽視する」「末端は命令に従っただけだと言い、中枢は命令などしていないと言う。たぶんどちらも嘘をついているとの意識はない」「集団化が進むとき、人は言葉(指示)を求め始める。つまり強い政治リーダーの言葉だ。だからこそ世界レベルで集団化が進む今、独裁的な政治家たちが支持される傾向が強くなる。でもリーダーはいつも身近にいない。指示が欲しいときに指示が聞こえない。ならばどうするか。リーダーはきっとこれを望んでいる、と想像する。そして、それを実行する。これが忖度だ」となるという指摘も実際に組織にいれば非常に共感できる。


筆者は、残虐行為について「純粋さと残虐さは共存する。残虐だから残虐な行いをするのではない。純粋だから残虐なのだ」「残虐に加担する男や女たちは常に集団だ。集団だからこそ主語が変わる。だから述語が乱暴になる。威勢がよくなる。思考しなくなる。責任が回避される。こうして人は人を殺す。無自覚なままで、優しくて穏やかで善良なままで」とその本当の恐ろしさに切りこむ。さらに、そのメカニズムを「異物とみなす本当の目的は、排除することではなく連帯すること。ただし、やられる側が少数であるか弱者であることが条件。その少数派の集団を、多数派の集団が攻撃する」「人は安心するために敵を作る。敵を可視化できないと、無理やり見つける。探して攻撃を仕掛ける」「水の相変異に例えると、虐殺における圧力と温度は、他者への不安と恐怖。これらが高まって臨界点に達した時、ちょっとした物理的刺激で相変異が始まる」と指摘する。


加害者のメカニズムについて、筆者は「人は人を簡単には殺せない。人を殺すためには心の中の何かを壊すしかない」「加害を忘れるメカニズムは、思い出したくない、できることなら忘れたいから。もう一つは、戦争や虐殺に加担する時、主語は自分自身ではなく組織なので、個人的な体験を記憶できない。記憶を蓄積できない」と分析。加害のメカニズムを知るため、筆者は「過去の事例を知ること。被害者の声と同時に加害者の声も聞くこと。正確な歴史認識を持つこと。繰り返し意識に刻むこと。そして、悲惨な史実や現実から、自分たちの加害から、絶対に目を逸らさないこと」と提唱する。


また、日本人について「日本人は組織と相性がよい。言い換えれば個が弱い。だから組織に馴染みやすい。周囲と協調することが得意だ。悪く言えば機械の部品になりやすい。だからこそ組織の命令に従うことに対し、個による摩擦が働かない」「組織の一部になりやすい日本人は、組織の一部になることの危険性とリスクが身に染みていない」「この国は記憶することが苦手だ。どんなに激しい衝撃を受けて意気消沈しても、時間が経てばまた違う音楽で踊り始める」との冷徹な分析は確かに思い当たる…


では、どうすればよいのか。筆者の「人を人として接する。父がいて母がいて伴侶や子供がいて、時には笑ったり泣いたり怒ったりする。つまり自分と同じ人間であるということに気づく。あるいは人間的に扱う。その行為が、人間としての理性や良心を喚起する」「生まれる前から与えられていた属性に誇りを感じる意味が、僕にはわからない。努力して勝ち得たからこそ、誇りは正当になる」「名前をつけやすく、非日常的で、大きなもの、すなわち国家とか宗教とか思想などといった共同体に属したとき、人は個をなくしかける。これが危険なのだ。歴史を知ること。今の位置を自覚すること。後ろめたさを引きずること。自分の加害性を忘れないこと。これらがクリアできれば、集団が暴走するリスクはかなり低下する。最悪の事態である虐殺は、簡単には起きなくなるはずだ」という指摘は、まさにネット社会の現代にこそ重く感じられる。


暗澹たる気持ちになるが、人間という生き物の内面に潜んでいる恐ろしさと向き合うことは大事だと痛感した。