世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】ジェームス・C・スコット「反穀物の人類史」

今年138冊目読了。イェール大学政治学部・人類学部教授にして、農村研究プログラムを主宰する筆者が、国家誕生のディープヒストリーを解き明かす一冊。


これは、価値観を揺さぶられる良書だ。人類の進歩を、偏面的・直線的に捉えがちな「後知恵」を厳しく戒めてくれる。


定住、国家というものに対しては「国家が興るときに必要なものは富だ。そして、その富は、収奪と測定が可能な主要穀物と、それを育てるための、管理と動員が容易な人口というかたちをとる。」「どれほど控え目に見ても、現代の定住生活で『当然』と思われていることが、人類史を遡っても普遍的に熱望されていたと考える正当な理由はない」として「わたしたちは、文明の発生や国家の興隆に関する歴史的な物語に生命を吹き込んできた基本用語について、戦闘的なまでに不可知論的であるべきだ」と大胆な見解を述べる。実際に、「私の考えでは、穀物と国家がつながるカギは、穀物だけが課税の基礎となりうることにある。すなわち目視、分割、査定、貯蔵、運搬、そして『分配』ができるということだ」「国家は臣民をきめ細かく管理しようとしたのだろうが、実際には、逃亡と死亡による損失の補填につねに苦慮していて、だいたいは強制的な軍事作戦によって、それまで『課税も規制もされなかった』人びとのなかから新しい臣民を囲い込んでいた」「国家というものは、いったん確立されてからは、臣民を取り込むだけでなく、吐き出していた」ということは、まったく想定の埒外だった。


人類と火についての言及も興味深い。「火を使って調理することで、それまで消化できなかった多くの植物が食べられるようになったし、吸収できる栄養も増えた。わたしたちは、霊長類を含めたほかの動物と比べると脳が大きくて内臓が小さいが、こらは、体外での調理によって消化が助けられたからだと言われている」「火の力を借りた応用園耕によって、望ましい動植物を野営地周辺の小さな圏内に配置することで、狩猟と採食が容易になった。食事の半径が縮小したと言ってもいいだろう」「わたしたちは、それなしには種としての将来がないほどに、火に適応してしまっている」という視点は、なるほどよくそこに辿り着いたなぁ、と感嘆するしかない。


植物の作物化・動物の家畜化についての見解も、非常に面白い。「飼い馴らされたのはむしろホモ・サピエンスのほうではないだろうか。耕作、植え付け、雑草取り、収穫、脱穀、製粉といったサイクルに縛り付けられているうえ(このすべてがお気に入りの穀物のためだ)、家畜の世話も毎日しなければならない。これは、誰が誰の召使かという、ほとんど形而上的な問いかけになる-少なくとも、食べるときまでは。」と指摘したうえで「農業は通常、同じカロリー量を得るために必要な労働量が狩猟採集と比べて格段に多い」ことに言及しながら「家畜化すると感情的な反応能力が全般的に落ちる。物理的な保護と栄養が確保されているのだから、家畜化された動物は、野生の近縁種のように、つねに身近な環境に警戒しておく必要はない」と述べ「野生の動植物を飼い馴らしたことは、わたしたちの種が自然界への注意力とそれに関する実践的知識を縮小させたこと、食餌の多様性が乏しくなったこと、空間が小さくなったこと、そしておそらくは、儀式生活の幅が狭まったことをも意味しているのだ」と結論付ける。これは、まさにミイラ取りがミイラになってしまっているようなものではないか!さらに視野を人類対家畜ではなく、国家対国民とすると「土地の所有権、家父長制家族、ドムス内での労働の分割、そして国家最大の関心事だった人口の最大化という組み合わせには、女性の出産一般を飼い馴らす効果があるのだ」という見解まで導き出されてしまい、衝撃的だ。


コロナ禍の2020年に読んでいると「作物栽培が大きく広がるよりずっと早く、定住からだけでも群衆状況は生まれていて、病原菌の理想的な『肥育場』となっていた」「交易と戦争による疾病は、初期国家の消滅に関してどれほど重要だったのだろう。わたしの直観では、古代世界で人口の中心地だったところが理由もわからず突然帚されたのは、かなりな割合までこれで説明できると思う」のあたりは重く受け止められる。


けっこうハードな本だが、これまでの価値観を大きく揺さぶってくれるものであり、非常に面白い。視野を広げるために、ぜひ、一読をお薦めしたい。