世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】池澤夏樹「マシアス・ギリの失脚」

今年84冊目読了。1993年に谷崎潤一郎賞を受賞した、南洋の島国の大統領と彼を通じた不思議な人の関わり合い、そして偉大なる自然を通して大いなる流れに翻弄される様子を描き出す一冊。


小説はネタバレするとよくないので(というか、タイトルがネタバレみたいな感じなのだが…)、ストーリーは書かずに、心に引っかかったフレーズを。


政治の原則として「見えない相手を叩くことができないとしたら、とりあえず見えるものを叩いてみせ、叩くというふるまいそのものを見えない相手に見せつけてやる。対象ではなく行為に政治的な意味がある。理不尽かもしれないが、効果的だ」「国民の請願を受けるという姿勢を他国の官僚に確実に見せることが大事なのであり、利権がらみの仕事も請願という形を通しさえすれば民主主義的なものに見えるというからくりにこそ意味がある」「暗殺に倒れた多くの権力者はおそらく裏返された恐怖心から敵の存在を無視して、まさにその心理的な隙をこそ突かれて、死んでいったのだろう」「国というものは個人と同じで時には大胆な判断を強いられる。その時に事態から逃げることなく、他人に責任を押し付けることなく、正しい判断を実行に移すには関わる者の数は少ないほうがいい」「政治家というものの第一の任務はいるべき場所にいるということだ」「一国を動かすという大きな仕事を球に押し付けられてしばらくは混乱するだろうが、国の運営も車の運転もさほどは違わない。要するにぶつけなければいいのだ。バックシートでうるさいことを言う連中は無視する。なんと言っても運転席に座っている者が一番偉いのだ」という記述があり、仕事のリーダーシップについても同じような感じだなぁ、と思わずにはいられない。


日本人への皮肉も痛烈。「あの国の人たち、全体としてはエゴイストなのに、一人一人は弱気」「彼らは律儀で愚直だから、ああいうものはいけないと誰か上に立つ者が言うと、そのまま信じてしまう。誰も自分では判断しない」「島の者は自分たちの意思で海を越えなければならない。主導権を握らなければならない」は、非常に重くのしかかる。


仕事に関する言及も、なかなか。「進んだ資本主義では製造者でも消費者でもなく、間に立つものがすべてを決める」「相場なんてのは交渉下手の軟弱な敗北主義的ビジネスマンが考案したものだ。すべて値段は交渉そのものの中から、その言葉のやりとりの中から、立ち現れなければならない」「男というのはいつになっても子供の側面を残しているものであり、たいていの場合それは職業を通じて表現される」あたりは、注意しなければならないなぁ…


「アルコールというのは大きな欲望をちょうどいいところでカットして、そこに残る不満をうまい具合に発散させるためにある」「東アジア全域の人間にとって、醤油とアミノ酸と豚脂の組み合わせは抵抗し難い味である」のように、具体的になるほどと思わせる指摘もあって、面白い。


個人的に、心に引っかかったのは「他者に比べて自分はこの点で劣るという思想を捨てるのが、この世に生まれ出た喜びを十全に享受するための基本条件であった」「高いところに立って下からの注目を集める立場の者は辛い。そして、それを放棄することはかくも心地よい」「ここだけが自分の立つ場所ではない。ひとまず流れから出て、岸に立って、これからの長い歳月を、数百年の人びとの営みを、ゆっくりとみていてはどうか。小さなエゴを生命の海にひとまず返上してはどうか」など。学生時代からの朋友の薦めで読んでみたが、なるほどこれは読みごたえがあったし、面白くてついつい先に読み進めていった。推薦に、感謝。