世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】宮澤光「人生を豊かにしたい人のための世界遺産」

今年140冊目読了。世界遺産アカデミー主任研究員の筆者が、コロナ禍の中において世界遺産の価値をあらためて問い直す一冊。


実際に筆者の講義を聞いたことがあるが、穏やかながら熱意溢れる喋り口そのままな筆致。コロナ禍を反映した中身も興味深い。「ペストの拡大予防のため、商品の移動を管理する検疫が行われるようになり、商人たちは各都市が発行する『衛生通行証』を持ち歩くようになった。これがパスポートの元になった」はら恥ずかしながら知らなかった…


「自然遺産の保護と文化遺産の保護は、国際的には別々の歴史を歩んできた。それが1つに合わさった保護体制になっていく背景には1950年代から1960年代にかけての世界的な高度成長期と、経済重視の開発の激化があった。これまでの脅威とは異なる新たな脅威が生まれ、自然と文化を別々に保護していくことが難しくなった」という経緯を持つ世界遺産。しかし、その今後は容易ではない。


というのも「世界遺産になったところで必ずしも大きな経済効果があるわけではなく、登録後すぐに観光客数が減っている世界遺産も少なくない」「歴史的に、私たちが生きる世界は西欧とそこから発展した北米の価値観に基づいて出来上がっている。国際機関の多くで働くスタッフは欧米の出身か、欧米で学んだ人々であり、それ以外の地域出身だったとしても国際機関で働くような人が受ける高等教育は、ほとんどが欧米で確立した『学問』体系に基づいている」「世界遺産は、『モノ』を守り次世代に伝える営み。しかし本当に大切なのは『モノ』ではなく、それを作り上げた人々の思いや思想といった精神性のはず。『モノ』そのものを切り取ったとしても、それ自体には意味がない。一方、そうした精神性はどこまで一般化して共有し、科学的に証明できるのか、という反論が出てくる。科学的な証明はできないでしょう、というのが専門機関ICOMOSの立場」という問題点があるからだ。この点、世界遺産アカデミー所属ながら、冷静に指摘しているあたりは好感が持てる。


では、「選択集中や効率化というのは、短期的な経済の視点ではよいが、危険性もある。多様性は文化だけでなく経済活動においても重要」という一般的な主張をして保全を求めるだけではなく、どうすればよいのか。
筆者は、一つの鍵として「神話や伝承は、全くの荒唐無稽な物語ではなく、人間が世界を解釈する方法のひとつ」としながら「私たちは経済的な面も含めて、何ができるのか、どのような未来を求めているのか、真剣に考えるときにきている。世界遺産は、地域の記憶を受け継ぐために何ができるのか考えるよすがとなるもの」「古いものや伝統がすべてよいとは全く思わないが、それでも世界中の地域が、それぞれの気候風土に合った文化や日常の風景を残していくことが、文化的にも経済的にも、人々の日常生活の面でもプラスになる世界というのが、世界遺産無形文化遺産の活動の最終目標」と主張する。これは至当だ。まさに世界遺産の必然はここにあると言えよう。


個人的に面白かったのは「カトリックが厳格であったのは、西ヨーロッパにゲルマン民族がやってきて社会が大混乱した時に、ゲルマン民族キリスト教化して味方につける必要があり、儀式や制度を厳格にしていったからという背景がある。これは信仰がなくても儀式さえしっかり行っていればよいという、形式化されたものへと誤って受容されていくことにもなった。それに反撥したのがプロテスタントで、勤労に重きを置く」「江戸幕府時代、日本の交易相手は、カトリックポルトガルからプロテスタントのオランダへと代わった」という記述。物事の捉え方のフレームを宗教にするのは、日本人は苦手だからな…