世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】井出明「悲劇の世界遺産」

今年133冊目読了。金沢大学国際基幹教育院准教授の筆者が、ダークツーリズムから見た世界を書き記した一冊。


図書館で何気なく手にしたのだが、なかなか洞察が深く、学びになった。


筆者は、ダークツーリズムを「戦争や災害などの悲劇の記憶を巡る旅」と定義。「ダークツーリズムは、大量生産な化学万能主義といった近代社会の価値概念が突き当たった壁について考えるためのきっかけとして捉えられることが多い」とし、「ダークツーリズムに基づく観光行動は、観た後にじっくり考える時間が必要であり、客層は必然的に長期滞在者となる事が多い。また、この手の旅はいわゆる『教養観光』の一環であるため、そもそも高学歴で生活に余裕のある層が楽しむことになる。つまり、ダークツーリズムを楽しむ層は、客単価の高い人々であり、観光産業にとっては実は好ましい対象」と主張する。


世界遺産についての洞察も的確。「元々、世界遺産には観光振興という目的はなかった。しかし、日本においては、地域振興にかなり軸足がおかれており、文化財の維持・保全という視点は相対的に小さくなっている」「世界遺産と言うシステムは、ヨーロッパが自らの権威の維持のために作り出した狡猾な仕掛けであるというのも一理あるかもしれない」と、その問題点に触れつつも、「世界遺産がもたらす波及効果は、ホテルや飲食店といった観光関連産業に集中して議論されがちだが、伝統文化に関係する技術への需要も発生するため、そこに雇用が創出される」と、文化技術の側面にも光を当てているのは好感が持てる。


明治日本の産業革命遺産について「第二次安倍内閣で、それまで文化庁の仕事として行われていた『九州・山口の近代化産業遺産群』は、内閣官房の直轄案件になり、対象エリアが幅広く採られることになり、静岡県韮山反射炉岩手県釜石の橋野鉄鉱山など、九州・山口以外からもリストに加えられた。また、時代区分はかなり限定され、『明治』という言葉が明確に冠された」。その結果として、「松下村塾は、ここで学んだ若者たちが産業革命を起こしたという趣旨で登録されているのだが、単にかつて『塾』として使われていた木造建造物を『産業遺産』と言い切るのはかなり無理があるように思う」ということが発生してしまっている。
また、「韓国は、構成資産の中に、軍艦島や三池炭鉱を初めてとして、いわゆる植民地時代の『強制労働』がなされた施設があることから、登録に関して強硬な姿勢を取り続けた。日本側は、世界遺産の登録の対象を『明治日本』と明示し、1910年の韓国併合以前の時期に限定することで、韓国の指摘をかわそうとする狙いがあったと推察される」ことにより、「軍艦島はもともとは昭和の島民たちの願いで世界遺産登録運動を始めたところ、日本政府の方針で1910年までの構造物しか世界遺産登録の対象にできなくなったため、我々が絵葉書で知っている『あの軍艦島』は、まったくもって世界遺産の対象ではない。じつは、世界遺産として登録されている軍艦島の構造物は、明治期に造られた島の裏側の護岸と地下坑道3本だけ」という問題も指摘している。


筆者は、なぜダークツーリズムにこだわるのか。「国際社会における21世紀の一般論として『どこの国の産業遺産でも、当然、負の側面はあるよね』という共通認識がある」「オーストラリアは産業遺産を通じて、近代の社会が抱える問題点を抉り出し、それと訪問者を対峙させようとしている」ということを述べる。
それに対して「わが国では、鎌倉時代に一般化した『怨親平等』思想があり、亡くなった人々への悪態は禁忌となっている。死亡後は罪を不問にして、その問題に関わる教訓を構造的に後世に残すという気概に乏しい」「木の文化圏を見ると、その構造物は撤去も廃棄も容易であるが故に、まさに『過去をなかったコトにする』という営為が実現可能であり、それが日本型の怨親平等思想とつながるのではないか」と、日本の特殊性に疑義を呈している。


また、本題とは少し離れるも、「島は魅力的な観光地であると同時に、周囲から攻められやすく、生産性も低いため、不可避的に影の記憶を持たざるを得なくなる」「島の文化を都市住民の消費の対象ではなく、独自の特別な価値と捉えることで、島と都市部の対等な関係を構築し直すことが求められている」と、島嶼部への眼差しも勉強になる。


ダークツーリズム以外にも「日本はしばしば『災害大国』と言われ、有史以来幾多の災害に襲われたが、意外なことに世界遺産に登録された復興の事例は今のところない」「文化の威圧を外交戦略として活用しつつ、同時に観光で金も稼ぐ構造になっているフランスの老獪さは、学ぶべきところが多い」という問題提起は一考の余地があろう。


個別事象については「アウシュビッツの悲劇は、ある日突然出来上がったのではなく、ヨーロッパに長期間に渡って存在した『ざわめき』に人々が耳を閉ざし続けた結果として出現した」「日本独自の変形キリスト教であったカクレキリシタンの文化は、江戸時代の弾圧にはビクともしなかったが、戦後の資本主義には敗れてしまうのであった」のあたりが興味深かった。


なかなかな良書で、多少の読みづらさを差し引いても一読の甲斐があると言えよう。