世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】デヴィッド・グレーバー「クソどうでもいい仕事の理論」

今年131冊目読了。文化人類学者にしてアクティヴィストの筆者が、現代社会で「なくなっても差支えない仕事」が増殖する状況を読み解く一冊。


超分厚い本で、かつ話が非常に細かいので読み疲れ感が否めない。だが、核心を突いている、という感覚もまた凄い。  


筆者が言うブルシット・ジョブとは「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている」だと定義する。
その累計は「①取り巻き:だれかを偉そうにみせたり、だれかに偉そうな気分を味わわせるという、ただそれだけのために存在している仕事。②脅し屋:脅迫的な要素を持ちつつ、その存在を他者の雇用に全面的に依存している。③尻ぬぐい:組織に欠陥が存在しているためにその仕事が存在しているにすぎない雇われ人。④書類穴埋め人:ある組織が実際にはやっていないことをやっていると主張できるようにすることが主要ないし唯一の存在理由であるような被雇用者。⑤タスクマスター:もっぱら他人への仕事の割り当てだけからなる仕事」


「テクノロジーはむしろ、わたしたちすべてをよりいっそう働かせるための方法を考案するために活用されてきたのだ。この目標のために、実質的に無意味な仕事がつくりだされねばならなかった」「経営者たちは時間的・エネルギー的に最も効率のよい方法を科学的に研究し、それを労働の編制に利用した。ところが、その同じ方法を自分たちに応用することは決してなかった」「経営者の衰えぬ名声の指標となるものが、部下の人間の数だとすれば、経営者の権力や威信を物質的に表現するものは、そのプレゼンテーションや報告書の見かけ上のクオリティにほかならない」


「わたしたちが置かれているのは、世界になんの影響も及ぼさないと自分自身感じている課業を遂行することで仕事の時間の大半を費やしているような社会」


「人間とはたんに社会的な動物であるだけではない。もしも、他の人間との関係から切り離されたならば肉体的な崩壊がはじまるほどに、本質的に社会的な存在なのだ」
「『社会的価値』とは、たんに富をつくりだすことにも、余暇をつくりだすことにすらもとどまらない。社会的価値とは、それらと同じくらい、社交性をつくりだすことにもかかわっている」としたえうえで、その社会的価値について「第一に、仕事をすることで得られる最も重要なものは、(1)生活のためのお金と(2)世界に積極的な貢献をする機会であること。第二に、その労働が他者の助けとなり他者に便益を提供するものであればあるほど、そしてつくりだされる社会的価値が高ければ高いほど、おそらくそれに与えられる報酬はより少なくなるということ」と述べる。


エッセンシャルワーカーの低賃金に見るまでもなく、事実はそうなのだが、それはなぜか。「仕事は善であるというだけでなく、仕儀とをしないのは最大の悪であるという、広範なコンセンサスが存在するように思われる。つまり、よろこびのない仕事であっても勤勉に取り組もうとしない人間は、悪人、たかり屋、怠け者、卑劣な寄生虫であり、共感にも公的救済にも値しないとされる」感覚のためだ、として「労働の価値は自己犠牲にあるとみなされるようになっている。つまり、労働のなかにあって、苦行である度合いを低くした理、むしろ楽しいものにしたり、他者のためになっていることへの満足をおぼえさせたりする、そのような要素はすべて、その労働の価値を下げるものとみなされる―そしてその結果、報酬の水準を低くすることが正当化される。こうした事態はとことん、倒錯している」という状況が発生している、と述べる。


「ひとを心底うんざりさせているものは(1)脅迫性、(2)欺瞞性」「完全に目的がない状態で生きることは、深刻に心を乱す」「他人のつくったごっこ遊びゲームに参加しなければならないということは、やる気を挫くものなのだ。しかも、そのゲームときたら、自分に押し付けられた権力の表現という意味しか持たない」「不明瞭さの健康や自尊心への影響はしばしば大きなものがある。創造性や想像力もぼろぼろに砕け散る」

 


では、「富裕国の37%から40%の労働者が、すでに自分の仕事を無駄だと感じているのだ。経済のおよそ半分がブルシットから構成されているか、あるいは、ブルシットをサポートするために存在しているのである。しかも、それはとくにおもしろくもないブルシットなのだ!」という状態を打破するにはどうすればよいか。
筆者はベーシックインカムの必要性を唱え、「ベーシックインカムの究極的な目的は、生活を労働から切り離すことにある。実施するあらゆる国で官僚制の規模の大幅な縮小が、すぐ効果としてもたらされるだろう」「完全なベーシックインカムによるならば、万人に妥当な生活水準が提供され、賃金労働をおこなったりモノを売ったりしてさらなる富を追求するか、それとも自分の時間でなにか別の事をするか、それにかんしては個人の意志にゆだねられる。こうして、労働の強制は排除されるであろう」