世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】梨木果歩「炉辺の風おと」

今年11冊目読了。ベストセラー作家の筆者が、新聞に連載していたエッセイを書籍化したもの。


大学時代の友人に強く薦められて読んでみたが、なるほどこれは面白い。前半は、筆者の馥郁たる香り高い文章による自然の味わいを楽しむ内容なのだが、後半になって父の介護、そしてコロナ禍についての記述となっていき、それぞれに味わい深い。


自然や生命に関して「山の深みに届いた生活の経験ー野暮を承知でいい換えれば、山の抱え持つ深さと測り合うように時間が流れる生活。孤独が人間存在を彫り上げていくような生活、というところだろうか。そういう時間が、自分の人生に、たとえ傍流としてでも流れてくれればいいと思う」「他の生命と共生しているという『感覚』が、頭の中のものでなく、目の前の空気を伝わって自分の存在の真芯に響いてくる」「地球を大きな『庭』、と呼ぶだけで、じっくり味わって見る視点が生まれる。じっくり味わえば、慈しむ気持ちも生まれてくる」というあたりは心に響く。


人間についての「火のことについては、原始の時代から、これを制圧し、コントロールしたいという願望がDNAに刻まれているのか、有無をいわさず人を夢中にさせるなにかがある」「男性は弱い。劣位にあることに。本当は劣位でもなんでもないのだが。女性は、強い。なぜならそんなことにかまけていては、一歩も前に進めないことを、知っているから」という洞察も納得できる。


気持ちの揺らぐことについての「本当の『落ち着き』やリラックスは、あるものを置くことで自分自身のなにかが外部に投影されたように感じ、さらにそう感じた場所が、むやみやたらな『侵入』から守られているとき生じるものではないだろうか」という感覚は、少し意識してみたい。


言葉を使うことが好きな自分としては「一つの言葉と真摯に向き合う。そうでなければ伝えたいことは何も伝わらない」「空気に流されず、自分の言葉を見つけていく-一人一人が、適切な場所で、確実な言葉を使うように努めるしか、言葉の力の流失を食い止める術はないような気がする」のあたりは非常に納得できる。


ストレスの多い現代社会に「誰の手も時間も取らず、一人だけで満ち足りてきげんよくしていられるというのは、実は最も尊い才能の一つ」「瞬間瞬間、自分自身を幸せにする。少し、周りを片付けたりして、自分を心地よくさせる。結局人生の究極の目的は、そういうことに尽きると思う」という看破はさすがだし、理解できる。


命についての「消えていく一瞬前、立ち枯れるウバユリは、清々しく、ようやく自分の本質に到達できた、と思うだろうか。人生の最後にそういう一瞬が待っているとしたら、この『変化のすべて』はまた、自分といる存在から余計なものを削ぎ落とし、本質へ導かれるための『過程』になる。それは同時に、存在がその望むところの本質へと到達するための、静かな戦いの連続でもある」「自分だけで完了する存在というものはない。それなら心がけて少しずつ関わり、気にかけ、時宜を見て世話をする。命の火を、絶やさないように」「父と私たち家族にとっては、結果ではなく、生きる努力と死ぬ瞬間までの一秒一秒のプロセスこそが、かけがえのない人生の集約の時間であり、高い勘違いと濃い密度が織りなす、澄み切った、人生で最も大切な、『神話の瞬間』であったと実感している」が心を打つ。


コロナ禍については「非常時や緊急事態という言葉が繰り返されると、社会全体にアドレナリン放出のスイッチが入る。上に立つ組織がアドレナリン中毒に陥って、その快感に麻痺してしまう」「単眼的になると暴走しやすくなる。狼につけ込まれやすくなる。だから、騙されない主人公は歌舞音曲を含む日常を、可能な範囲で工夫して楽しむ。楽しむ姿勢を『非常時なのに、緊急事態なのに』と非難されたら、『だからこそ、です』と開き直る」「敵視するべきは大きな字。そのスピードに巻き込まれないこと。ウィルス感染対策は冷静に、でも緊張しないで複眼的に、ユーモア、ユーモア、と自分に唱えている。過剰な杞憂と、あとで笑えるように」「コロナ拡大を防ぐため、それをやるべきとみなが納得し、結果的に同じ行動をとってしまう、というのではなく、盲目的に足並み揃え一丸となれとけしかけるのは恐ろしいことだ。本来一丸になれるわけがないのだ、この多様な個人の集合体が。そこに『心の無理』がある。まず自分で考える。どんなときでも、信用できない相手に自分を明け渡してはならない」というのは本当にそのとおりだと思う。
そして、「社会に不信や不安が渦巻いているときは、逃げるのではなく(逃げたらいつまでも付き纏われる)、その根本を見つめる姿勢を保ったまま、少し晴れやかになる生活のトーンをかはしようと思う。きっと、その空が先々、自分という個人を生きるための、得難い財産になる」というくらいの気構えが必要なんだな…


非常に共感することの多い本で、なるほどこれはお薦めだ。そして、「歳を重ねるということは本当にひとを楽にする」という筆者の体感を味わえるレベルに到達したいものだ。