今年49冊目読了。ドイツ文学、西洋文化史を専門とする早稲田大学講師の筆者が、西洋名画にまつわる恐怖の物語を描き出す続編の一冊。
こういった本の常として「二匹目のドジョウはいない」というのがあるのだが、まさにそれを地で行くような内容。これは一冊目のほうが良かったな…無理やり「怖い絵」というカテゴリーでくくって記事を書いたために、なんだかぼやけてしまっている感が否めない。
恐怖、という観点からすると「芸術家は怖い。蜘蛛が餌食の体液を全て吸い尽くすように、他人の喜怒哀楽、全ての感情を吸い取って自分の糧にしようとする」「時として人は、自らの意志や思いとはるかにかけ離れたところで運命という残酷な歯車が回り、望みとは逆方向へ運ばれているのを知る。そのとき人は無力感に圧倒され、恐怖を感じるのだ」「常識をくつがえす、驚異に満ちた異次元空間に触れるのは、喜びであり嫌悪であり賛嘆であり興奮であり不安であり…そして恐怖だ」「嫌な現実、怖ろしい実態は見ない、見なければ存在しない、と思う心は偽善であろう」のあたりの記述はなかなか共感できる。
また、肉体や生死についての言及も面白い。「魂の抜けた身体はモノとなる。モノとなった屍体は、必然的に商品となるであろう。そして商品に対しては需要と供給が生じる」「屍体のモノ化は、その後もいっそう進んでいる。臓器売買が、金持ち=強者による貧民=弱者の搾取だという事実を、誰が否定できよう?」はなるほどと思える。
また、日本と欧米の違いで「もともと日本人の身体は欧米人に比べてはなはだ厚みに乏しく、胴体を『中身がぎっしり詰まったマッス(塊)』と認識するよりは『からだ』イコール『から(空)』であって、魂が抜ければ虚ろになり、衣装をまとって初めて自分の身体と捉えられるという程度のものなので、マッスとしての裸体、ましてやトルソを美的に鑑賞するという文化はなかった(今もまだないといっていいだろう)」も面白い。
…しかし。やはり心に響かなかった一冊ではあったし、この本で一番インパクトがあったのが「薄切りの生牛肉に、マヨネーズ・ベースのホワイトソースをかけた料理が創作されたのは1950年のこと。ヴェネツィアの某シェフが手軽に作り、客から料理名を訊ねられて、とっさに『ビーフ・カルパッチョです』と答えたのが定着したらしい。牛肉の赤とソースの白が、カルパッチョ絵画における印象的な赤と白の色使いを思い起こさせたのだという」というくだりなのが、それを表している(←ただ、トリビアとしては非常に面白い)。美術に興味がある人だけ読めばいいかな、という本。