今年48冊目読了。ドイツ文学、西洋文化史を専門とする早稲田大学講師の筆者が、西洋名画にまつわる恐怖の物語を描き出す一冊。
この本、2013年にも読んでいるのだが、その時は表層しか読み解けていなかった気がする。少しばかり西洋絵画のことを学んでから読むと、さらにこの本の深みがわかってくる。なるほど、西洋絵画というのは「見る」ものではなく「読む」ものなのだな、ということが、このあたりからもよくわかる。
前回詠んだ時も感銘を受けた「恐怖の源は死。肉体の死ばかりでなく、精神の死ともいうべき狂気もある。直接的な恐怖はほとんどすべて、このふたつの死へと収斂される」「悪、恐怖には抗いがたい吸引力がある。これは、死の恐怖を感じる時ほど生きる実感を得られる瞬間はない、という人間存在の皮肉なありようからきている」のあたりは、心理学などの本を何冊も読んだ今もなお納得の指摘である。
そして、西洋絵画について少し学んでみると「受胎告知といっても三段階になっており、天使の来訪に驚くマリア、受胎したと告げられて当惑・ないし怯えるマリア、そして全てを受け入れた瞬間のマリアである」「イタリア・ルネサンス絵画は、都市によって著しい特徴を持っている。俗に、色のヴェネチア、線のフィレンツェと言われたのがそれだ」などの、恐らく前回は読み飛ばしていた記述が理解できてくる。面白いなぁ。
さらに、若さについて「『醜い老婆』とは、男性が自らの身に起こる老いを拒絶するための、まさにスケープゴートなのだ。そして自分だけは決して老いないと信じる若い女性たちが、天に唾することと気づかず、それに追随した」「若さの特権とも言えるが、若者はそもそも自分にしか関心がない」というあたりは、生きるうえで念頭に置いておいたほうがよさそうだ。
いずれにせよ、絵画鑑賞において「ひとつの絵があり、それを描いた画家についての、よく知られたエピソードがある。そのとき鑑賞者は無心になれるものだろうか?それは無理だ」「ベラスケスの元の肖像画を見たことがなくても、この絵の恐ろしさを感じることはできるだろう。しかし間違いなく面白さは半減する」「人の心胆をまことに寒からしめるのは、怖がらせを意図した絵より、画面には描かれていないのに、あるいはちゃんと画面にあって見ているというのに、見る側が少しも気づいていない絵の方ではないか」とあるとおり、まさに『知の積み上げ』が必要だ、ということはしみじみわかる。8年前の自分の読み方の薄っぺらさを恥じ入るしかない…