世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】木村泰司「名画の言い分」

今年35冊目読了。西洋美術史家の筆者が、西洋絵画に秘められたメッセージを解き明かす一冊。


筆者の本は何冊も読んでいるが、本書もまた、非常に読みやすい。そして、驚きの事実ばかりが指摘されて、本当に興味深い。


古代の大きな流れの中で「アルカイックスマイルにはどんな意味があるのか。実際は、息をしている人間である、生きている人間である、ということを表現しているだけ」「ギリシア本来の理想主義が薄れ、感覚主義に移り変わっていくのがヘレニズム時代の特徴」「ギリシア・ローマの美術、特に初期のキリスト教美術は、東ローマ帝国で発展していく。ゲルマン人は狩猟民族で、移動の多い彼らにとって、立派な彫刻など邪魔になるばかり。おまけに古代の伝統もない。というわけで、西ヨーロッパでは美術の発展が遅れてしまった」というのは、言われればそうなのだが、そんなことには気づくことには到底至らなかったので、びっくりだ。


キリスト教に関連して「キリストの受難がとても重要なテーマであるのは、カトリック教徒は奇跡というものを信じなければいけなかったから」「ヴァニタス(静物画の中でも、象徴性の高い絵画)は、プロテスタンティズム、特に厳格なカルヴァン主義の影響下に生まれた。道徳的な教えのための手段であり、信仰への導きのために描かれた」など、なるほどと思う。


国ごとの特徴としては「ドイツは主だった美術史にあまり登場しない。唯一登場するのが、16世紀初めの時期。というのも、それ以降は偶像崇拝を禁止するプロテスタントが増えていったために、宗教美術の発展がなくなっていくから」「肖像画が権力者だけのものでなくなったのが、ルネサンス期のイタリア、そして15世紀のフランドル地方。この時代、これらの地域では経済が非常に発展し、市民階級が台頭してきた。生活レベルも向上し、ゆとりが生まれる。人間、ゆとりが生まれると、ものを考えるようになる。何について考えたかというと”自分”について。その結果、”自己の発見”がなされ、肖像画が登場してくる」「オランダは、プロテスタントのなかでも特に厳格なカルヴァン主義が主流で、キリスト教が説く7つの大罪の一つ、傲慢(虚飾を含む)に対する戒めがとても強いお国柄。なので、肖像画もなにより似ていることが大切」など、西洋画として十把ひとからげにしてはいけないことがよく理解できる。


知識、認識と言う観点から「ルーヴル美術館にあるものは教養がないと理解できない歴史画中心のコレクションだが、オルセー美術館にあるものは教養がなくても楽しめる作品が多い」「肖像画は、単に似ているとかいないとかという視点で楽しむものではない。そこに描かれた権力者たちが何をメッセージとして伝えているのかが読み取れる。その人物の生きた歴史が刻まれた肖像画は、まさに”肖像画という名の伝記”そのもの」は、勉強になる。


近代美術への言及も鋭い。「ルネサンス以降、西洋美術では3次元の世界をいかに2次元の世界で表現するかということを探求してきた。けれど19世紀前半に写真が発明されると、正確に描写するだけなら、写真の方が優れているし早い、ということに。この時期、多くの画家たちが、新たな絵画の表現法を模索し始めた」「浮世絵の特徴は、簡潔なフォルムや明確な輪郭、平面的で鮮やかな色使い、そして独特の遠近法。これらは、それまでの西洋美術では否定的にとらえられていた表現法ばかりだった。だからこそ画家たちは衝撃を受け、この未知なる表現法から強烈なインスピレーションを与えられた」などは、知らないことばかりだ…


筆者の「自分の感性で好きなように美術を鑑賞して何が悪い…と思われる方も多いと思うが、そういった開き直りは歴史や文化に対する冒涜にもつながるのではないかと思う。私たちは東洋と日本の、西洋の人びとは西洋とそれぞれ自国の、長い歴史と文化の礎の上に現代を生きている。どのようなことにおいても歴史を無視することはできない。私たちは一人一人が悠久の歴史のなかに漂っている。個人の感性で、歴史を無視することは慎むべき」に、確固たる信念を感じる。これは、肝に銘じたい。


余談だが、この本、スピン(しおりひも)が2本ついている。巻頭にカラーで絵画が印刷されており、それを参照しながら本文を読めるように、という工夫だろう。これは気が利いていて、助かる。こういう「細かい配慮」は、アナログな本ならではで、嬉しい。