世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】平野啓一郎「ある男」

今年114冊目読了。人気ベストセラー作家が、亡くなった人物が「全く別人だった」という衝撃の事実に触れ、その理由や背景を紐解きながら、生きることの意味に様々な人が向き合っていく小説。


不思議な事柄の「謎解き」がメインテーマであるのだが、そこをめぐって織りなされる人間模様、それぞれの人生の慟哭、そして人生同士の相克が巧みで、圧倒される。惹き込まれる部分もあり、かといって「そうなのか?」という部分もあり。非常に多元的、重層的でじっくり楽しめる。そして、何より「自分は何者なのか?」という問いに向き合わせてくれる。


ネタバレ回避のため、ストーリーには立ち入らないが、登場人物の心理描写などで心を打つ部分が数多く出てくる。


筆者がたまたま同い年であり、40代男性が否応なく向き合う気持ちについてはとても共感できる。「周りでも中年の鬱病は蔓延しているが、いつ陥るやもしれない、その底なしの自己嫌悪に備えて、常日頃から、自分をさほど酷い人間とも思わずに済むための証拠集めに努めるべきなのだ」「もっと違った生き方もあったはずだった。それも恐らくは無限通りの可能性として。そして、彼は今、自分とは何か、ではなく、何だったのかということを、生きるためというより、寧ろどういう人間として死ぬのか、ということを意識しながら、問い直すように迫られていた」あたりは、秀逸だ。


生きるうえで、どうしても囚われてしまい、自らを苦しめるようなコメントも心を打つ。「並々ならぬ自尊心が、妻を傷つけ、残り僅かな命だった幼い我が子を苦しめ、今、彼自身の人生を台無しにしようとしている姿は哀れだった」「怒りを爆発させたいというほどの勢いもなく、寧ろ一種の無力さから、彼は、不快になる手前で踏みとどまることができなかったのだった。」のあたりは自戒すべきところであり「年長の最も近しい人間として、言うべきことは言ったが、注意するという口調を止め、自分の不満が何かを説明するようにしていた」という姿勢を身に着けたい。


この本の本題は、非常に興味深い。「アイデンティティを一つの何かに括り付けられて、そこを他人に握り締められるってのは、堪らない」「誰も、他人の本当の過去など、知ることは出来ないはずだった。自分の眼の前にいない時、その人が、どこで何をしているのかも。いや、たとえ眼の前にいたとしても、本心などというものは、わかると考える方が思い上がっているのだろうか。」「忘れようとしても、忘れられないですよ、嫌な過去がある人は。消せないなら、わからなくなるまで、上から書くんです」のあたりは、自分を生きるということに対して迷いを生む。


本当に多彩な切り口で色々な問題に切り込むので、つい先を読みたくなってしまう。かつ、非常に考えさせられる。大学時代の畏友から薦められて読んだが、小説もいいものだ。