今年118冊目読了。東大大学院総合文化研究科教授の著者が、「なぜ、紙の本が人にとって必要なのか」を書き記した一冊。
正直、タイトルもサブタイトルも今一つ中身とマッチングしていないなぁ、と感じる。
タイトルの「脳を創る読書」については、「入力された情報が少なければ少ないほど、想像力で補われる部分が多くなる。このため、想像力の情報量は活字>音声>影像の順に補われていく」「脳には、忌みのある単語や文を予想しながら不完全な情報を補うという先読みの能力が備わっている」「脳には連鎖的な記憶の仕組みがあり、呼び出す手がかりはできるだけたくさん残しておくとよい」など、タイトルにずばりと答えていない感が残る。
サブタイトルの「なぜ、紙の本が人にとって必要なのか」については、「電子書籍では量的な手掛かりが希薄」という程度で、肩透かし感が否めない。
書いていることが間違っているとは思わない。「単純・対称・意外性が美の要素になるのは、自然法則がそのような姿を見せているから」「記憶に残すためには、入力を制限して繰り返しに徹することが何より大事」「自分で考えて書き、書いて考える--そうした時間がないと、知識は自分のものにならない」「答えに出合った時点で、一切考えることをやめてしまう。それは、人間であることを否定しているようなものだ」などの一般則は本当にそのとおりだと感じる。読書についても「読むということは、単に視覚的にそれを脳に入力するというのではなく、足りない情報を想像力で補い、曖昧なところを解決しながら自分の言葉に置き換えていくプロセス。ゆえに、読書で常に言語能力が鍛えられることは間違いない」「読書に関心を向ける力は知的好奇心」など、賛同できる記述が多い。
でも、結局「なぜ、紙の本が人にとって必要なのか」は、いみじくも筆者が「電子化が悪いのではない。使い方が悪いだけだ。人間が書くことで考えることを取り戻せれば、コンピュータを賢く使うことに何ら問題はない」と記しているとおり、わからずじまい。どうにもモヤモヤする本だ。うーん…