世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】稲垣涼子「カワイイエコノミー」

今年31冊目読了。フリュー株式会社ガールズトレンド研究所所長にして、プリントシール機のヒット商品を多数企画した筆者が、若年女性への売り方を惜しげなく教える一冊。


仕事上、「若い女性」というマーケットを狙いつつ、なかなかオジサンである自分の感覚では…と思っているので読んでみた。なるほどと思う反面、理解できないなぁという気持ちもあり。


女性の行動特性として押さえるべきポイントとして「若い女性に売れるには『女の子の気持ち』『流行』『商品・サービスを具体的に作る』が必要」「進化ではなく『変化』を求めるのが若い女性」「女の子をターゲットにするには『仲間感』『自己肯定感』『日々を本当に楽しんでいる人が好き』」「ヒットを生みたいなら『みんなに嫌われない』を大切に」「女の子の流行は、常に小さな変化をし続ける。長い時間でみると大きく変わる。現状を少し変える提案を継続的に行うことが大切」と提唱。


そもそも、女性に売るには「女の子の行動理由は『自分が一人ではないという安心感』『他者から評価されることも含めた自己肯定感』」「見た目だけでなく、何を考えて、どう生きてきたか、背景も含めて女の子が他人を評価する時代」「『それ欲しいかも』では弱く、『うわー、めっちゃ欲しい!』と女の子達が口を揃える状況でないと、商品としては厳しい」「かわいい、おしゃれは最低限のハードル」ということが成否を分ける、とする。


女性に限らず、市場の読み解き方としては「現代ではインターネットの普及や所得の伸び悩みで多くの価値観がさまざまに生まれ、『いいもの=技術力の高いもの』ではなくなりつつある」「『否定』が入るのは、良くも悪くも目立っている。賛否両論混じっていれば、なかなかいい結果」「そのときの文化と、そのときのテクノロジーの相乗効果によって流行が起こる」「ずっと同じだと飽きてしまうので、少しずつの変化は望んでいるが、大きな変化を望んでいる人はほぼいない」「市場には自発的なユーザーか受け身のユーザーの二者しかいない」「世界観とは、商品やサービスに統一した意味づけをしていくこと」がポイントと述べる。


実際に企画するには「商品やサービスを提供する側として、モノづくりをする上では『変化し続ける』ことが重要」「ターゲットユーザーをハッピーにする」「結局『お金を払うのは誰か』を愚直につかむ以外に方法はない」「『表面ではこう言っているけど本当はどうなんだろう』という意識を持つ」「大きな流行を察知するには、流行前のプチブームを見逃さない」「いちばん大事なのは、お客さんが『どんな人か』の共通認識を持つこと」「企画をブラッシュアップするには対話が重要」「プロセスをできるだけ簡単にし、プロセス自体でも楽しめるようにする」というスタンスを重視するように主張する。


アラフィフのオッサンにとっては「20代半ばにうけるデザインにすると30〜40代くらいまで違和感なく取り込める」「『盛る』は『女の子が考える理想的な方向に加工する行動」「『流行が終わった合図』は、『おじさん』が参入したら」がチンプンカンプンな上にダメージでかい…


とはいえ、「『自分で』『多くを』経験することは、何よりも強い」「コツコツとずっと粘り強く提案していくことは、とても大きな力になる」というシンプルな主張は非常に共感できる。何らかのヒントにはなりそうな本だ。

【読了】松岡圭祐「八月十五日に吹く風」

今年30冊目読了。ベストセラー作家の筆者が、奇跡と呼ばれたキスカ島救出作戦と、それに関わる人々の思惑や心情の交錯を描き出す一冊。


これは凄い。事実としては知っていたが、アッツ島の玉砕に比べ、キスカ島においては樋口季一郎中将、そして木村昌福司令官の人命優先思想と類まれなる観察眼と実行力。それらが相俟って、この奇跡が生まれたのだろう、と痛感する。そして、樋口中将は敗戦後のソ連襲撃に敢然と抵抗した部分も少し触れられており、まさに「救国の志士」である。感動で震えが止まらない。


日本軍の特徴として米軍が思っていたこととして「ひとつのやり方にのみ固執し、ほかの可能性を考えない。部隊には秩序が保たれ、兵士たちも勇敢ながら、司令塔となる将校を失うとパニックを起こす。兵士自身が思考を持たないことに起因する」「人命軽視、不条理な戦死の目的化、同一戦法への固執、想定外の事態への対処能力欠如、理想や願望と事実の混同」というのは、コロナ禍の2022年でも全く変わっていない、いやむしろ悪化しているかもしれない…


ウクライナ侵攻を目の当たりにしていると「戦争が長引き、度重なる悲痛のうちに感覚が麻痺していく。死体をまのあたりにしようと、その意味を心から締め出す、異常なすべを身につける。とりわけ将校には必要とされる資質だった」という恐ろしい戦争の非人間性を感じる。
でも、そんな中で「あなたはおっしゃいました。救える者から救うと。私はあのとき、内心驚きました。あなたは軍人であられる前に、人間であられた」「救える者から救う。ゆえにいまは戦うしかない。軍人とはこんなものかもしれなかった。国が降伏したからこそ、生きることの意義がある。ほかに兵を率いる者はいないのだから」という樋口中将と木村司令官の卓越した世界観が心を揺さぶる。自分には到底辿り着けない域だが、少しでも近づきたい。


生きていくうえで「伝統、仕来り、信念。あらゆる縛りが作戦を困難にする。率先して本音をさらけ出す必要がある」「現実を直視するには勇気が必要となる。いまこそ適応せねばならない」「願っても奇跡は起きない。言い訳しないで生きることが、本当の強さかもな」のあたりは、相当なる自己鍛錬が必要だが、少しでもそうなれれば、と感じる。留意していきたい。


ウクライナ危機の今こそ「もし眼の前に泣いている人がいたら一緒に泣けばいい。生あるかぎり泣ける喜びがある。いまはほかに何もいらない」「きょうはあの島国の人達も泣いているのだろう。いずれみな笑顔になる。そのために生きていると思えば、今後なにも辛くない」「笑顔がある。家族と喜びを分かち合っている。人として生きるとき、それ以上何を望むだろう。最大に等しい幸福を手にしているというのに」ということを噛み締めたい思いがある。


サラリーマンとしては「上に相談してみたが拒絶された。そんな言い草で責任を果たしたと居直る気か!」の言葉が耳に痛い。そう、これではいけないんだな。勇気を貰える一冊だ。

【読了】恩田陸「ねじの回転」

今年29冊目読了。ベストセラー作家が、2・26事件へのタイムスリップと、そこでの「やり直し」という不思議なテーマで人間の深層を抉り出す一冊。


これまた三谷宏治お薦めで読んでみたが、本当に面白い。恩田陸は、モノによって読後のモヤモヤ感が激しいものもあるのだが、本書は非常に深く読み込むことができた。


小説はネタバレ回避、が主義なので、気になった言葉を。


真実ということについての「要するに、価値というのは相対的なものだってことさ。周囲の状況いかんで、モノの価値は変わる。たった一つの条件が変わっただけで、思いもよらぬ価値を持つものがある」「人間は、真実という言葉に弱いものだ-どんなに嘘をつくのがうまくても、自分の中にある真実からは決して逃れることができないことをよく知っているのさ」「真実は、いつも冷たくむごいものである。そして、残念なことに、そういう冷たくてむごいものだからこそ真実なのだ」などは、本当にそうだなぁと思わされる。


そして「人間が得た最大のギフトは知能じゃない、好奇心だ。好奇心、それ自体が目的となって、人間は冒険を続ける。好奇心が、理性も倫理も道徳も飲み込み、人間をそれまで見たこともない地平へと押しやる」も、また然り。


生きる意味についても「我々は、現実を直視しなければならない。我々の人生は唯一無二のものであって、代替品は存在しない。それが我々の人生の価値を高めることはあっても、決して我々に絶望を与えるものではない」「人生をやり直せたら。誰もが一度は考えるだろう。だが、一度きりの人生が、どんなに幸福かということについてはあまり考えない。何度もやり直せる人生が、果たして幸せだろうか?」など、核心への迫り方が鋭い。


世の中の動きについても「世界は常に変容していなければならない。停滞は生命にとって無意味であり、死そのものである。逆にいうと、生命活動とは変容することなのだ」「人間とは、本来相当に燃費がいい生き物なのだ。現代はほとんどの人間が多かれ少なかれ薬物依存と脂肪過多の状態にある」などは耳が痛い…


組織論の「組織である以上それを動かすのは力関係と政治だよ」「政治と経済を抜きにした活動など、しょせん絵空事にすぎない。どんなに立派な理屈や理想があっても、実現できないことにはなんの役にも立たないと思うがね」も、理想はあっても動けない、という悩みを叩き切るような激しさ。


そして、日本人についての「責任の範囲と所在の曖昧さ、コミュニケーションよりも隠蔽を『和』と呼んで尊ぶ欺瞞。非常に日本人らしい」「目の前に提示された情報を吟味することなく、すぐに浮き足立って他人の尻馬に乗り、その場の雰囲気に酔うのは日本国民の特性だ」の指摘は、コロナ禍の2022年においても、自分自身においてもグサリと突き刺さる指摘だ…


なかなか分厚い小説だが、それだけの読みごたえは十二分にある。これは読んでよかった。

【読了】西成活裕「無駄学」

今年28冊目読了。東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻准教授の筆者が、仕事の最前線での取り組みに入り込みながら、無駄の削減について考察する一冊。


最初はダラダラと「無駄の定義」がなされ、途中からトヨタ方式ばかりか…と思って読んでいたが、終盤でなかなか深い洞察が出てくる。三谷宏治お薦めだから、駄本ではないだろう、と信じて読み進めて良かった。


発想をすることについて「思考の『飛び』を可能にするのが直観力であり、それは論理の階段を登るのとはわけが違う」「直観力を助けるものとして、無駄という概念が重要な役割を果たす。人間は誰しも無駄を何とかしてなくしたい、という気持ちをどこか心の底で持っている。個人の価値観や感情が入ったこの言葉こそが本当に人を動かすのではないだろうか」という指摘はなかなか面白い。
そして、直観を鍛えるためには「失敗を数多く経験することで直観力が磨かれる。失敗の原因を考えることで自分の思考が是正されていく。そしてこれを繰り返すことでコツが無意識に根を張り、直観で思うとおりに行動しても間違いを犯さなくなってくる」ということだ、という分析は納得。


ムダということについての「全体が見えにくいときには部分に分ける必要があり、しかしそれだけでは全体として無駄がとれるとは限らない。無駄をなくすためには、部分と全体のバランスが鍵になってくる」「資源の価値を損なわない程度に分割すべき」「有効に使われないとは、投入したコスト(お金、時間、労力、資源)に見合うだけの効果が得られないこと」「無意識の無駄にまでメスを入れることで、直観と融合した真のムダとりができる」などの指摘も、なるほどと思わされる。


人間は、どうしてもホメオスタシスが強いので変化を嫌うが、「人はどのようなときに変われるのだろうか。それにはまず思い切って普段と違う行動をしてみるのが良い。特に大声を出すというなは手軽でお勧めだ」「朝の時間を効率よく使うためには、前日の夜に5分だけでもよいから翌日のことをイメージしておく」「直観力は経験によって磨かれる。本で読んだ知識だけでは、知恵は生まれない。知識は頭で覚えるものだが、経験とは体で覚えるものだ。この二つをバランスよく鍛えることで、自分なりの『型』ができあがってゆく」ということでそれを超えていくべき、という提唱は頷かされる。


資本主義に対しての「消費しつづけて成長しなければならないのが資本主義社会」「人間の欲望のコントロールは難しい。質素な暮らしをしなさい、と言うのは簡単だが、実際にそうするのは容易ではない」「長い目で見れば、経済成長というのは確実に無理があるため、右肩上がりでない社会を我々はこれから皆で知恵と力をあわせて構築していかなくてはならない。それが環境問題への最終回答なのだ」という警鐘も、なかなか説得力があると感じる。


幸せということについての「幸せ=財÷欲望」「人はもちろん誰でも幸せになりたいと思っている。そして人によって様々な幸せの形があり、自分が幸せならば他人も幸せ、ということも一般に成り立たない。また、他人を幸せにしようと思って行動しても、心への配慮が欠けているとそれが様々な『無駄』を生んでしまう」「人は、変化と期待をうまく組み合わせれば、その心に大きな幸せを感じることができる」などの指摘は、確かにそうだろうな。なかなか深く考えさせる良書だと思った。

【読了】坂井孝一「源氏将軍断絶」

今年27冊目読了。 創価大学文学部教授の筆者が、なぜ頼朝の血は三代で途絶えたのかを解き明かしていく一冊。


これも大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にハマっているが故に読んだのだが、やはりこの時代はなかなか面白い。源平合戦だけではなく、その後のドロドロを読み解くのは非常に学びが深い。よくぞ、このテーマを大河で取り上げたものだ。


そもそも「鎌倉幕府には9人の征夷大将軍がいた。頼朝、頼家、実朝の三代を『源氏将軍』、四代の頼経、五代の頼嗣を『摂家将軍』、六代の宗尊親王以下、九代の守邦親王までを『親王将軍』と呼ぶ」ということ自体、知らない人が多いであろう。そして、なぜ、将軍がそのようになったのか。


後知恵で、実権を握った北条氏寄りの歴史記述になりがちな点については「『吾妻鏡』が北条得宗家を顕彰するのは、北条氏が頼朝の後継者と位置づけるためであり、二代頼家を蹴鞠に没頭した『暗君』として描き、また三代実朝を和歌・蹴鞠に耽溺し、遂には暗殺の憂き目にあったかのように描くのも、頼家・実朝が頼朝の政道から外れ、継承できなかったことを示すため」「誇張と虚構を交えて描く。地理的に異なる地点、異なる時間で起きた合戦を、同時に行われたかのごとく叙述して劇的効果を上げる。記事の中にあえて『超常的な奇瑞』を織り込み、勝利には神仏の加護があったとする。反逆の鎮圧によって秩序の回復と君主の交代があったことを示す。これらはいずれも軍記物の典型的な構造であり、類型的な表現」と鋭く指摘。


元々、頼朝は自身の正統性を証明できていなかった。そこで「源頼義が厨河で行った安倍貞任の梟首の儀礼を頼朝は藤原泰衡の首で再現し、全国から動員した御家人たちに追体験させた。これは、自らを鎮守府将軍頼義の『正統後継者』と位置付けることにより、『唯一の武家の棟梁』としての地位と権威を確立しようとする頼朝の『政治的演出』」「『将軍』とは源頼義や、その子の八幡太郎義家、奥州藤原氏の秀衡が任官し、東国で大きな権威を発揮してきた『鎮守府将軍』を意味する。頼朝は、その『将軍』よりもさらに大きな権威を持つ『大将軍』の号を求めた」わけだ。
ちなみに「朝廷は『大将軍』の上に冠する候補のうち『征東』は木曾義仲、『惣官』は平宗盛がともに滅亡したから不吉、『上将軍』は日本に先例なし、『征夷』のみ坂上田村麻呂の吉例があるので適切との結論に達した」は、知らなかった…


頼家は大病の不幸があったが、「擁立された鎌倉殿・将軍だった実朝が成長を遂げ、自ら主体的・積極的に裁決を下す将軍親政を開始し、執権や宿老の補佐と支持を受けつつ安定した幕政運営を行った。『源氏将軍の確立』は実朝によって果たされた」「将軍実朝は摂関家相当の貴種であるだけでなく、為政者としても優れていた。しかし、実朝一人の権威や脳裏だけでは幕政を安定させることはできない。また、御家人たちの最上首たる執権の義時や経験豊富な広元は、優れた行政能力を持っていた。しかし、彼らは有能な貴種である実朝を自在に操る力も意思も持ってはいなかった。将軍と執権以下の首脳陣が『チーム鎌倉』として結束することで、はじめて幕政の安定が実現できた」と見るのは、授業で習った歴史とは大きな差がある。


しかし、実は実朝が親王将軍推戴し、親王将軍を後見するということこそ、彼の死よりも前に『源氏将軍断絶』に向かった、と指摘。「承久の乱後ならばいざ知らず、乱以前における朝幕の力関係や権威・格式の差からいって、一旦、王家の血統が注入されれば、それを元に戻す、つまり頼朝の源氏の血統に戻すことなど考え難い不可逆的なこと」と主張する。


歴史とは、時代を超えて学ものであるのだが、故に「中世の人々は重大な事件があると、その前に起きた通常とは異なる出来事を探し、事件の前兆という意味を与えるのが常であった。異変の記述の不可思議さに目を奪われ、そこに現代的・合理的な解釈を加えようとするのはあまり意味がない」ということには留意しないといけないだろうな。


筆者の「承久の乱」に続いて、本書も興味深く読めた。

[読了】坂井孝一「承久の乱」

今年26冊目読了。 創価大学文学部教授の筆者が、北条得宗家側からではなく後鳥羽上皇側にも立ちながら、歴史を紐解いていく一冊。


大学時代の友人(超読書家)から薦められて読んだが、なるほどこれは面白い。本郷和人承久の乱」よりも後鳥羽側についている感じが、また興味深い。


後鳥羽上皇のとらわれについては「神鏡・神璽は戻ったが、宝剣は壇ノ浦の海底に沈んでしまった。正統な王たるには重大な欠格事由である。長ずるにしたがってこれを強烈に意識するようになった後鳥羽は、正統な王とは何か、その答えを追い求め始める。後鳥羽の生涯は正統な王たることを目指し、正統な王たることを自分自身で確信するための長い旅であった」「王が与える自由や仲間意識を家臣に強要する一方、王の権威を侵せば激怒する。後鳥羽の君臣関係における基本姿勢であった」と述べる。


また、三代将軍実朝についても「実朝は身体能力に秀でていたわけではなく、頼朝や頼家のように武芸で武士たちの支持を得るタイプではなかった。しかし、重要なのは主君としての毅然たる姿勢であり気概である。その点で実朝が劣っていたとは思われない」と、文献を紐解いて分析する。


後鳥羽上皇がなぜ挙兵したか、については、丹念に資料を調べて「大内裏造営を進める中で苛立ちを募らせた後鳥羽が、幕府をコントロール下に置くために優先順位を変更し、大内裏の完成から問題の元凶である義時の追討へと方針を転換するに至ったのだと考えたい」「義時追討の院宣は、後鳥羽の意思に従いたいとする御家人たちの願いに反し、奉行の北条義時が朝廷の威光を笠に着て政治を乱している、義時の奉行をやめさせ、後鳥羽の意思で政治を行えば御家人たちの願いもかなえられる、つまり義時排除という一点で、御家人たちと後鳥羽の利害は一致するという論理である。しかも、義時に味方しようとすれば命を落とし、義時排除に功があれば褒賞すると、賞罰を明示する。日本全土に君臨しようとする後鳥羽ならではの論理である」と読み解く。なるほど、これはそうだな、と感じる。


そして、承久の乱の結果を決めたのは「後鳥羽が二段構え・三段構えの戦略のもと、北条義時追討の院宣と官宣旨を下すという攻めの一手を打ったのに対し、幕府が院宣・官宣旨を使者から奪い取って情報を隠匿・操作したうえ、迎撃という守りではなく大群の出撃という積極的な攻めの一手で返した」「鎌倉が驚天動地の想定外の事態の中で、『チーム鎌倉』として結束力・総合力を十二分に発揮したのに対し、あらゆる意味で巨大な存在であった後鳥羽が独断専行する京方は『後鳥羽ワンマンチーム』としての力しか発揮できなかった」「後鳥羽の東国武士に対するリアリティの欠如は、合戦の勝敗をも左右するものだった」となると、歴史の授業で習った「幕府方が圧倒」というのは後付けの歴史だと思わされる。


そして、今の歴史観については「朝幕の力関係を劇的に逆転させた強い幕府が後醍醐天皇によって倒された。『倒幕』が現実のものとなったのである。しかも、打倒計画の途上、後醍醐は後鳥羽と同じく隠岐島流罪になった。この類似性は、後醍醐同様、後鳥羽も『倒幕』を目指したのではないかとする認識を醸成する契機になった」と、その心理的な受け止めを指摘。
それ故に「必然的にこうなる運命にあったと結果を予定調和的に受け止めるのではなく、想定外の出来事や、最終的に一つだけ選択された決断の真の意味・価値を分析し、その重みを明らかにすべきなのではないか」という指摘は重い。


どうしても歴史は後知恵にならざるを得ない部分があるが、それに対してよい警鐘を鳴らしてくれている。なかなかの良書だった。

【読了】クリストファー・ワイリー「マインドハッキング」

今年25冊目読了。ケンブリッジ・アナリティカとフェイスブックによるデータの悪用を暴露したことで「ミレニアル世代最初の内部告発者」と呼ばれた筆者が、人の感情を支配し行動を操るソーシャルメディアの裏を暴き出す一冊。


なにせ、自らが犯罪行為に手を染めていた筆者からの告発であり、その生々しさがパンチ力絶大。英語版でのタイトル「Mindf*ck」が、筆者の強い意志を感じさせる。読んで、イーライ・パリサー「フィルターバブル」とは比較にならない恐怖を感じた。


情報を握る企業とそのアルゴリズムについては「情報の流れを支配する企業は『世界最強企業』と呼んでもいい。秘密裏に構築したアルゴリズムを武器として使い、今まで誰も想像できなかったようなやり方で、世界の人々の思考に影響を与えているのだ」「アルゴリズムの目的は情報提供ではなくてエンゲージメント向上にある。一方で、信頼できるニュースソースは次々とペイウォール(有料サイト)化している。要するに、無料のフェイクニュースで溢れかえる世界が出現するなか、本物の情報はますますぜいたく品になっている」と断ずる。なにせ、本人がそれを牽引してきていたのだから、インパクトがある。


そして、ソーシャルメディア時代の問題点について「ソーシャルメディアの影響力が増すと、有権者は選挙広告に全幅の信頼を寄せてしまってもおかしくない。ここに問題が潜んでいる。ソーシャルメディアの中にあるプライベート広告ネットワークには、誤りを指摘してくれる第三者が存在しない。つまり、有権者はうそをつかれても簡単には気づけないのだ」「インターネットの登場によって全く新しいビジネスモデルが生まれた。われわれ自身(行動パターン、関心事、アイデンティティー)を商品へ転換するビジネスモデルだ。データと産業が合体した複合体の原材料は、われわれ自身なのである」「インターネットの世界では根幹部分でなおも社会的隔離は続いている。社会的隔離から生まれるのが『不信』だ。陰謀論ポピュリズムの原材料と言い換えてもいい」「ソーシャルメディアの根底にあるイデオロギーは、『ユーザーによる選択やエージェンシーの強化』ではなく『プラットフォームと広告主の利益最大化』である。そのためにプラットフォームはユーザーの行動を操り、ユーザーによる選択の余地を狭めようとする」と述べている。これを知ったうえでテクノロジーと付き合う、というのは本当に難しい事だ…
これに対しては「道路上にスピード制限を設けているように、インターネット上にもスピードバンプ(減速を狙いにした道路上の隆起)を置かなければならない。健全なフリクション(摩擦)をつくり出すことで、新しいテクノロジーやエコシステムの安全性を確保するのだ」と筆者が対策を提言するが、今やインフラであるソーシャルメディアを止められない以上、それしかないんだろうな、と感じる。


過激派についての「社会が過激主義化すると、ファッションも過激化する」「過激主義者は美学にこだわる。なぜなら社会の美的価値観を変えることを主要目的としてにしているからだ」という観点はなかった。また、文化については「政治とファッションは、周期的に変遷する文化とアイデンティティー」「文化を特徴づけているのは『人々が共に行動する』ということ」という定義は非常に面白い。


他方、「ロシアにとって好都合なのは、ほとんどの西側諸国では言論の自由が保障されているということだ。言論の自由が保障されていれば、敵国のプロパガンダに同意する権利も広く認められる。言論の自由は、オンラインプロパガンダの拡散と言う夢をかなえてくれる魔法の杖のような存在といえる」「誰も知らない外国勢力が、出所不明の巨大データセットを兵器にして国内選挙に介入する。ソーシャルメディアを運営する企業は、自社プラットフォーム上を流れる選挙広告については何のチェックも入れていない。民主主義に混乱と破壊をもたらす絶対的勢力にストップをかける監査役はどこにも存在しないのだ」は、トランプ大統領当選、ブレグジットという違法な実績を見せつけられると、本当にこれは放置できない大問題だ、と痛感する。


人の心を操ることについては「人の心をハッキングしたいならば、まずは『認知バイアス』を特定して利用する」「情報兵器の本質は、これこそはと思う情報を前面に出し、人の感覚・思想・行動に影響を与えること」「人々が見たいと思うものを見せて、行動に影響を与える」とし、その実践として「怒りに火をつけられると、人は情報を取捨選択して合理的に判断する能力を低下させてしまう」「有権者は挑発されて怒りを爆発させると、合理的な説明を求めなくなり、無差別に懲罰的な行動に走る」という点を指摘されると、本当に『自由意志』ってなんだろう、と考えさせられる。


筆者は、なぜ、今までの罪を内部告発するに至ったか。「カミングアウトとは、他人が作った規範を拒否して本来の自分を取り戻すということ。他人の支配から脱して自分で自分のアイデンティティーを確立するということでもある」という強い決意は、筆者の失った数々のものを著されているストーリーから、心を揺さぶられる。


分厚くて、中身も重たいが、読む価値が高い、いや、読むべき本だ。そして、コロナ禍の2022年においては「共有体験の破壊は『われわれは皆同じである』という価値観の否定であり、『アザリング(他人化)』への第一歩だ」も、重い警句だと感じる。人はリアルに生きる生き物だ、ということを忘れてはいけない。