世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】ヤマザキマリ「仕事にしばられない生き方」

今年114冊目読了。漫画家にして、世界各国で様々な仕事をしながら暮らした経験のある筆者が、自らの経験をもとに生きるうえでの原則を書き記した一冊。

〈お薦め対象〉
自分の人生を生きられていない、と感じるすべての人
〈お薦め度(5段階評価)〉
★★★★★
〈実用度(5段階評価)〉
★★★★★

自分の問いは3つ。
『人間が陥りがちな思考パターンは?』には「私ってこうだから…と、やる前から自分の枠や限界を決めてしまう。何が有効か、打ち手がわからなくなると、わかりやすく即効性がありそうなものに後先を考えずに飛びついてしまう。真面目さが度を超すと、ひたすら自分で自分を鼓舞することになり、冷静な判断力をなくす」。
『人生をどのように捉えるべきか?』には「何が幸福で何が不幸かなんて、本当のところは自分で生きてみなければわからない。生きることは、自分が本当に大切だと思うことを大切だと言い続けるための闘い。潮目が変わるときは、自分のことを俯瞰し、客観的に見ることができる」。
『人生でどう行動すべきか?』には「周囲の発言にいちいち構っているより、自分がやらなきゃいけないことを無我夢中でやる。納得がいかないことに対しては考えることを放棄せず、あきらめない。きっとどこかに自分に合っている場所があると信じ、諦めないで手と足を動かす」。

まずもって、著者の数奇な、という言葉ではとうてい片付けられない壮絶な人生の流転に驚愕。そして、その実体験から編み出した言葉たちが、非常に力強く踊っているというような一冊だ。こんな本、なかなかないぞ。もちろん、著者自身も「自分の生き方を勧めるわけではない」と書いているとおり、こんな生き方とうてい出来ない。ただ、ここに書いてあることは、真に自分を生きることへの希望の灯である。「欲望は、その人の孤独がかたちを表した時の姿」「自分自身に芯がないと、他人に自分を映すことでしか自分のことを確認できず、常に不安でたまらない」「自分にとっての物差しは、頭の中で考えていたって駄目で、身をもって経験した実感があることが大事」など、心に響く言葉が多数。必読の一冊だ。

【読了】原武史「昭和天皇」

今年112冊目読了。日経新聞記者を経て、明治学院大学教授となった筆者が、昭和天皇が祈り続けたことは何だったのかを描き出す一冊。

令和の時代になって、今日(10月22日)は即位礼正殿の儀。これをはじめとして、天皇家には様々な神事があるが、その中身と明治から昭和にかけての変節が極めてよくわかる。これを一読すると、そもそも明治天皇が神事を軽視していたことなんて、本当にびっくり。いかに、人間は「現在、自分が知っていることから過去を後知恵で推察する」という罠に陥るか、ということをまざまざと見せつけられた感がある。

また、昭和天皇貞明皇后大正天皇の后にして、昭和天皇の実母)、及び高松宮昭和天皇実弟)との確執を見るにつけ、「近しいから仲が良い」というわけではない、ということを痛感。「現人神」といいつつ、そこは人間なんだなぁ、と感じたりする。他方、あくまで敗戦の責任は先祖が第一、国民が第二であったこと。及び、国民に対して謝罪の言葉がなかったことは、戦後の天皇像を見ていると意外な感じがするが、これもまた、マスコミによって「創られた」印象なのだろう。結局、昭和天皇は戦前も戦後も基本的に変化していない、と喝破する著者の眼力に驚くばかりだ。

歴史には、こういう経緯がある。そして、どうも現代日本人たる自分としては、和装をしていると「古よりの伝統」と勘違いしてしまう傾向があるが、実際には明治以降の「神格化」など様々な思惑があることを知ることで、その罠を逃れることができる。

「知は力」。それを感じずにはいられない。

【読了】佐久間賢「交渉力入門」

今年111冊目読了。中央大学客員研究員にして、国際リーダー力研究所代表の筆者が、交渉を科学的に分析し、成功に導く戦略、ノウハウを解説した一冊。

交渉とは「人と人との利害の対立する関係の中から、対話により、あるい成果を生み出すプロセスの全体」と定義。そもそもの戦略の条件として「整合性、内容のわかりやすさ、具体的な手順、うまくいかないときの備え」を挙げる。

さらに、交渉力の基本的条件として「コミュニケーション」と「リスク折半」を挙げる。コミュニケーションにおいては「相手との間でコミュニケーションが機能して、必要な情報を伝達するためには、エモーションを鎮める必要がある」と指摘。「交渉の過程で取引されるのは、モノ、カネ、サービスではなく、満足度。物質的なものは、交渉の中の眼で見えるものでしかない」と断言する。

また、解決を導くにあたり、説得力の要因は①説明者の信頼度②メッセージの内容③説明の方法④状況の変化であるとする。問題の解決のステップとしては、a)問題点を見つけるb)それを解決する複数の代替案を考えるc)各代替案の長所と短所を検討するd)その代替案の中から最適な案を選ぶ、を踏む、と読み解く。

個別に出てくる「実際の口承の場合には、制約条件を相手に読み取られないようにしなければならない。制約条件は、交渉者の弱みとなる場合が多いので、それを相手に悟られると、逆に相手はその弱みを突いてくることになる」「忍耐力は人を冷静にする。それは、単に自分自身をコントロールするだけではなく、相手の攻撃や挑発に耐えて事態を冷静に分析し、処理する力になる」などの見解も、非常に実戦的だ。

さすがに、一昔前のように「日本人なら、交渉なんてするよりも、根回しや空気感で仕事をしろ」と堂々と言う人はいなくなっているだろうが、残念ながら、逆に「空気感として」未だにその残滓が残っている感はある。故に、このような考え方は必要だろうな、と感じた。

【読了】ビル・バーネット、デイヴ・エヴァンス「ライフデザイン」

今年108冊目読了。スタンフォード大学デザイン・プログラムのエグゼクティブディレクターと講師であり、ライフデザイン・ラボの共同設立者である著者が、スタンフォード式の最高の人生設計を提唱する一冊。

デザイン思考に立ちながら、機械工学や技術の知識を活かしつつ、それを人生というものを充実させることに使えないだろうか?と考えた、なかなか野心的な試み。非常に人気を呼んだ本で、自分の人生をデザインしていくのに必要ないくつものワークをあわせて提言している。

ただ、これを個人でやり切れるのか?というところが難点である。人間は、自分のことが一番見えていない。他者の協力なくこれをやり抜くのはなかなか大変だし、他者の協力を求めようにも、その助言を聞き入れ切れるのかという問題もある。

とはいえ、なかなか主張は面白い。「問題を出発点にするな。人間を、共感を出発点にしよう」ちおうデザイン思考をベースに、「人生は成長と変化だ。人生は止まっているわけではない。行き先があるわけでもない。だれも自分がなにになりたいなんてわからない」としたうえで、ライフデザインのマインドセットを「好奇心、行動主義、視点の転換、認識、過激なコラボレーション」と定義する。理想の人生デザインとは「あなたの人間性、あなたの考え方、あなたの行動がぴたりと揃う人生」というのも、非常に納得がいく。

また、「無意識のうちに他人のコンパスを使って他人の人生を生きてしまう可能性はだれにでもある」と指摘。これを避けるためにも「対処不可能な問題にいつまでもこだわるのを避ける」「目の前の手掛かりに注目し、手元にある道具を使って最善の道を選ぶだけ」を意識すべき、とする。そうすることで、「不要な選択肢を断ち切るのが上手になればなるほど、未知を築くのが上手になっていく」というのだ。

このほかにも、失敗を成長につなげるため「1、失敗記録をつける。2、失敗を分類する。3、成長のヒントを見つけ出す」。ライフデザイナーの信条として「1、優れたアイデアが多ければ多いほど、そのなかからよりよいアイデアを選べる。2、どんな問題であれ、絶対に最初に思いついた解決策を選ばない」。人生の道探しにとって大事な要素は「楽しいこと、熱中できること、ワクワクすること、生き生きとさせてくれること」など、納得のいくものが多く、共感しながら読むことができた。

【読了】大村はま「教えるということ」

今年110冊目読了。50年に及んで一教師として教育実践の場に立ち、退職後も新しいテーマを研究、発表し続けた筆者が、本当に教えるとはどういうことかをエピソードを通じて語った一冊。

別に教師ではないし、教職を今後目指すつもりもないが、親として、そして組織のリーダーシップを考えるものとして、この真剣な生きざま、そして人生への向き合い方は非常に身につまされる思いだ。

「もっともっと大事なことは、研究をしていて、勉強の苦しみと喜びをひしひしと、日に日に感じていること、そして、伸びたい希望が胸にあふれていることです。」と教師の資格を説くが、これは人生を生きるすべての人に当てはまると感じる。また、「一人前の人というのは、自分で自分のテーマを決め、自分で自分を鍛え、自分で自分の若さを保つ。」ということを一人前の教師というが、見た目の若さに走って自らの内面を鍛えない今の愚かなる風潮をズバリと切り捨てるような言葉である。

「『乗り越えて行くこと』、『正しく批判し、反撥すること』は、本当によいことだと思います。」「とにかく、自分自身が、そこで何か育っているという実感があれば、なんとなく離れられない気持ちが出てくるでしょう」のあたりは、組織論、チームビルディングにおいてもバッチリと適合するコメント。また「子どもが一人で生きぬくために、どれだけの力があったらよいか、それを鍛えぬこうとするのが、それが教師の愛情」「みんなが自分の力だと信じ、先生のことなんか忘れてしまってくれれば本懐である」「くふうをいろいろして、みんなの生きていく力を養っていこうとするところに、教師が職業人として徹するところがある」というあたりは、教育論、社員育成にもつながってくる。

「考えたことをそのままにしておかないで、どういう形かで記録しておけば、自分の仕事に対する愛情のようなものがわいて、それが我が身を育てる」は、記録の大事さと成長を結びつける面白い言及であり、この書評の蓄積にも裏書をもらったような心境だ。

教師に向けて書かれた(というか講演されたものを書き起こした)本だが、人生論、リーダーシップ論、子育て論として見ても、秀逸。1996年発刊とは思えないほど、今の時代にも生き生きと響くそのフレーズは、必読といえる。

【読了】浜矩子「グローバル恐慌」

今年109冊目読了。三菱総合研究所を経て同志社大学大学院ビジネス研究科教授となった筆者が、金融暴走時代の果てに何が起こっているのか、を紐解いて解説する一冊。

正直、経済については理解が極端に弱い自分にとっては、リーマンショックとそこに至る「地獄の道のり」が極めて分かりやすく解説されており、目から鱗だった。まさか、金本位制を放棄した「ニクソンショック」が遠因にあったとは…そして、そのあと、複雑怪奇に「部分最適」が絡み合いながら「全体不最適」に陥っていく様は、まさに人間の「視野の狭さ」が巻き起こす悲劇だ。

著者の指摘で、実に理解しやすいのが、モノとカネとの関係性だ。「モノとの密着度が高い金融は、なかなか時空を超えられない。(中略)だが、カネが独り歩きするタイプの金融ビジネスであれば、話は別だ。いくらでもグローバル展開が可能である。」よって、「モノという重石を欠いたカネは、ひたすら欲望に駆られて疾走し始めた。やがて疾走は暴走に転化し、その果てに恐慌がやってきた」と読み解く。そして、カネとモノの遊離は、金融自由化とIT化、金融商品が債権から証券化したことによる、と述べる。

「一人にとってのリスク分散は、実をいえば全員に対するリスク拡散」「恐慌の嵐吹き荒れる中で、方向感なき政策形成ほど危険なものはない」「保護は救済につながらず」「原点からかけ離れた位置に経済活動が飛んで行ってしまえばしまうほど、均衡点としての原点に立ち返ろうとする力学は過激化する」など、優れた言及が多く、非常に勉強になる。今なおキリキリ舞いし続ける世界経済において、一つの知見として持っておくべきだろう。

そして、今後の流れを見るうえで「人間の営みである経済活動のなかでも、金融は最も人間的な信用の絆で形づくられている。(中略)信用の巨大なネットワークの存在を前提にしてこそ、人間の営みとしての経済活動はここまで地球的な広がりを持つようになってきたといっても過言ではない」という原理原則をしっかり意識していきたい。

頭髪を紫に染めている、不機嫌そうなおばさんだなぁ(※Wikipediaによると「紫ババア」とのこと)と思っていたが、この著書を読んで、見識を新たにした(ところどころ、思想に共感しかねるところはあれども)。やはり、食わず嫌いはよくない、ということか。

【読了】牧久「昭和解体」

今年107冊目読了。日経新聞代表取締役副社長、テレビ大阪会長を歴任したジャーナリストである筆者が、国鉄分割・民営化30年目にして、その当時の舞台裏を生々しく描き出した一冊。

この系列の本は何冊も読んでいるのだが、「多面的な検証」という意味では、特に政治への切り込みが力強く、国鉄が翻弄されて朽ち果てて沈没する様子がよく見えてくる。それにしても、政治と経営陣の確執、経営内部の派閥抗争、組合と当局の争い、さらにそれをややこしくする組合と組合の争い。こんな組織体であれば、確かに早晩滅びるのは間違いない、と思えるくらい変数だらけだったことがよくわかる。

そして、この本(500ページにわたる大作!)が優れていると思うのは、後知恵で「これが歴史の必然だった」というような断言はせず、時代の流れを大事にして、その中で反主流派が勃興し、だんだん革命に向け力をつけていく様子、それを支援する側と潰そうとする側、をきちんと描いている点だろう。「歴史は勝者の記録」となりがちであるが、勝敗は紙一重であり(この本を読むと、よくもまぁ国鉄の分割民営化にこぎつけたものだと思う)、それぞれに言い分があり、それこそが人間というものの業である。世の中は、多様な思いをもった人々が、ぶつかり、うねり合いながら動いている。それをよく実感させてくれる。

結果として、国鉄官僚の中で反主流派が国体護持派を打ち破り、今のJRに至るのだが、タイミングは別としても、やはりダーウィンの「変化するものが生き残る」はここでも証明された感がある。そして、自分は今の組織で知らず知らずのうちに国体護持派に堕していないか。ただの歴史ものとして読むのではなく、そういった観点も持ち合わせながら読み進めたい一冊だ。