世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】藤井保文、尾原和啓「アフターデジタル」

今年34冊目読了。株式会社ビービッド東アジア営業責任者と、IT評論家の筆者が、オフラインのない時代に生き残るために、どう考え、行動したらいいかを提唱する一冊。


これを読むと、自分の「デジタルを活用する」という意識が圧倒的に時代遅れとなっていることをまざまざと見せつけられる…ダメージの大きい本だ。だが、そのぶん、読み込む価値がある。


日本の現状については「日本的な文化だと思うが、個別のサービスが『点』で終了して、『線』としてのつながりが弱いため、使い勝手が向上しない」「『デジタルによる社会システムのアップデート』は、単体事例の先進性を見ていてはわからない」とし、「日本企業は(中国の)サービスを単純に模倣するのではなく、『買い手と売り手にどんなメリットがあるの?』という姿勢から学び、ユーザーの生活や社会システムをどうアップデートするかという視点で考える必要がある」と指摘する。
そして、「『消費はモノからコトへ』と長く言われ続けているが、アフターデジタルにおいては『顧客体験』や『ジャーニー』という言葉を使った方が適切。多くの日本企業は商品の背景にあるブランドストーリーとして『コト』を提供し、実際、うまくいっている。この財産はアフターデジタルでも間違いなく活かせる」と提言する。


今は「オンラインがオフラインを侵食して溶け込み、ユーザーのあらゆる行動データが1つひとつ取得できる時代になったので、そのデータをフル活用してユーザー体験を高めていくビジネスモデルを構築できる」ため、「デジタルと行動データを駆使して最適なタイミングで最適なコミュニケーションを取れるようになり、全体的な営業工数や負担はむしろ減り、効率化される。これによって空いた時間は、より信頼を創るコミュニケーションに充てることで、ユーザー側にも企業側にもメリットがある仕組みになる」という指摘は、なるほど納得させられる。


また、今の時代を捉える認識として「『デジタライゼーション』の本質は、デジタルやオンラインを『付加価値』として活用するのではなく、『オフラインとオンラインの主従関係が逆転した世界』という視点転換にある」「今では、『リアルな場所や行動も常時オンラインに接続している環境』が整っているので、『オフラインが存在しない状態』を前提として、ビジネスをどう展開していくかを考える必要がある」「顧客はチャネルで考えず、その時一番便利な方法を選びたいだけ」と述べたうえで「リアルチャネルは『密にコミュニケーションを取れる貴重な接点』なので、リアルチャネルにはより高い体験価値や感情価値が求められ、十分に強みを発揮すべきポイントになる」


アフターデジタル時代の思考の悪例としては「①効率とテクノロジー中心の無人化②『オンラインを活用する』という逆Online-Merge-Offline③プロダクトを中心に据える」を挙げ、「店舗は物理的制限からスタートしているため、それをデジタルに持っていこうとすると、物理的制約をデジタル側に持ち込む。しかし本来デジタルは理想行動を作れるはずなので、デジタルを起点に考えるとより自由な発想ができる」とし、「OMO型で成功するビジネスの共通点として『ゲーム的にインセンティブ獲得が設計されている』」「日本で必要なのは、『エコシステム×OMO』」と述べる。


リアル店舗はどうなるのか、について「五感に訴え、360度全方位の体験を提供するようなある種テーマパーク化した店舗が増えている」「ソーシャルの時代は、人に教えたくなるような圧倒的な体験が”貨幣”になる。圧倒的な体験はほうっておいてもソーシャル上で流通し、流通している切り取られた情報に刺激された人は現地に出向き、現地で360度全方位、五感を刺激される体験ができればそれをソーシャルに投稿し、その投稿でさらにリアルへの訪問者が増えるというサイクルが起きる」「『無人化』というとどんどんサービスが機械化していく印象があるが、実際には従業員とよりコミュニケーションを取り、より人間的な温かいサービスを提供するプレイヤーが生き残っている」と指摘。
観点としては「①自動化・最適化。人間がわざわざやっていた『余計な作業』がなくなり、空き時間は『人』という貴重なリソースを使えるので、感動体験や密なコミュニケーションに充てることが可能になる②個別か。正しいタイミングで、正しい形で適切なサポートを提供できる。それが、ユーザーとのさらなるエンゲージメントを生み出し、付加価値となる」であり「商品を使うときや見かけたときに思い浮かぶバックストーリーではなく、ユーザーにその世界観の上に乗ってもらい、そこでいかに自発的にコミュニケーションや体験を創り出していくかが求められている」とする。


アフターデジタル時代のビジネス原理は「①高頻度接点による行動データとエクスペリエンス品質のループを回す②ターゲットだけでなく、最適なタイミングで、最適なコンテンツを、最適なコミュニケーション形態で提供する」「単一接点型から、常時寄り添い型になる」。その状況において、組織構造は「体験寄り添い型のビジネスを提供するので、顧客の体験(=ジャーニー)に沿った組織構造になっていることが理想」であり、事業戦略は「『人・属性』ターゲティングから、『状況』に基づいたターゲティングに変えていく」とする。そして「アフターデジタルでは、なるべく高頻度で良い体験を提供することが優位なので、どうやってずっと顧客に寄り添うかが大切で、製品もただの接点の一つとして捉えるべき」と、視座の転換を薦める。
しかし、日本ではボトムアップのほうがうまくいくので、小さい事例をコツコツ積み上げるべき、として、その要点を「①経営レベルがアフターデジタルの世界観を理解し、OMO型でデジタルトランスフォーメーションを行う必要があると認識する②社長-役員-部長-現場で、同じイメージを共有して実行するラインを創る(デジタル部門などが対象になる事が多い) ③行動データ×エクスペリエンスのクイックウィン(小さい成功)を作り、上が引き立ててムーブメントにしていく④成功事例を大義名分に、組織構造やデータインフラを整える大きな動きにしていく」とまとめる。


UX(ユーザーエクスペリエンス)イノベーションの本質は「顧客の置かれた状況の発見と、それをより幸せにするようなコア体験をいかに作るか」であり、コア体験の要点は「体験の連続性、行動観察、デザインシンキング」だとする。そして「中国の得意な『体験』は、『便利、お得』に寄っている。これは接点頻度を重視しているため。一方で日本の得意な『体験』は、人による個別対応。拡大したテックタッチで得られた最適なタイミングで、ユーザーに対して日本らしい『人の手厚い個別対応や心遣い』を補うことができれば、私たちは『世界最高の良い体験』を提供できるようになる」と、勇気づける言葉を提示してくれる。


「見えない未来を楽しむためには『価値』=『違い』×『理解』」という言葉は、VUCA時代を生き延びるためには必須のマインドなんだろうな。とにかく圧倒されたが、非常に得るところの多い本であり、必読書ともいえるだろう。

【読了】木村泰司「時代を語る名画たち」

今年33冊目読了。西洋美術史家の筆者が、西洋絵画の歴史を変えた22人の天才の生涯と、その影響を描き出す一冊。


筆者の本は何冊も読んでいるが、本書もまた、非常に読みやすくて、初心者にハードルの高い西洋美術にとっつきやすい内容。


ヤン・ファン・エイク:15世紀初期ネーデルラント絵画の最大の巨匠で、北方ルネサンスの象徴的存在。作品への署名や年記の先駆者で、それまで側面像で描かれていた肖像画を、暗い背景に斜めにポーズを取る四分の三正面像に決定づけた。
●カラヴァッジョ:17世紀の西洋絵画を革新し、バロック絵画の革命児としてその影響力がヨーロッパ中に広まった。理想美ではなく写実的な描写、光と影の劇的な明暗法など。
●ヴァン・ダイク:イギリスの、屋外でリラックスしたポーズを取りながらも、同時に高貴でエレガントな雰囲気が漂う肖像画の様式を決定づける。「控えめなエレガンス」を好ましいとするイングランドの王侯貴族の虚栄心を、「いかにも」でない演出で満たす
●ニコラ・プッサン:当時のローマ美術界では、劇的で激しいバロック様式が主流だったなか、均整のとれた秩序に基づいた構図と精緻なデッサンを基にした「フランス古典主義絵画」と呼ばれる理知的な様式を完成。
●クロード・ロラン:風景画の格を上げるため、聖書や神話など歴史画的主題を融合させ、「理想的風景画」や「歴史的風景画」と呼ばれるジャンルを確立する。
レンブラント:集団肖像画の伝統を覆し、作品を見る者が実際に参加して立ち会っているかのような構図で描く。ミケランジェロラファエロ、ティッツィアーノのようにファーストネームで署名するイメージ戦略をとる
●ヴァトー:ロココ時代の扉を開く。芝居の世界を描いたものが多いうえ、夢と現実が混合されたような芝居がかっている。
シャルダン:慎ましやかな市民階級な道徳観を描き、美徳を説いたシャルダンの風俗画は、同時代の恋愛至上主義とも言える享楽的なロココ絵画を好まない人々に熱狂的に支持された
ダヴィッド:新古典主義。色調を抑え、堅固な構図の中に明確なデッサンで描かれた彫刻的な人物像は、ラファエロやニコラ・プッサンの古典主義への回帰が明らか。
●ヴィジェ=ルブラン:同じ女性として女性心理を理解できたことから、肖像を描く際にはその人物の最も優れた美点を強調した
ジェリコーロマン主義の先駆者。主題性における違いは、新古典主義の歴史画の主題である神話や聖書がラテン語で書かれていたことに対し、ダンテやシェイクスピアなどロマンス語で書かれたロマンスか、生まれた「ロマン主義」が、歴史画至上主義だった新古典主義への対立語となった
クールベ:アカデミーが信奉する「歴史」と「理想」ではなく、「現代」と「現実」を描く
●マネ:「絵画の二次元性」の強調と絵画の単純化は、技法では古典的だったクールベが「現代」と「現実」を描くことによってこじ開けた近代絵画の扉を、より一層押し開ける結果となる。
●モネ:彼をはじめとした印象派は、ルネサンス以降脈々と育まれてきた古典的な絵画から近代及び現代美術への橋渡し的な存在となった
ゴーギャン後期印象派と呼ばれるのは、印象主義から旅立っていき、独自の造形性を確立したから。それがゴーギャンにとっては「総合主義」と「象徴主義」。
ゴッホ:アカデミックな手法を無視した独学のゴッホの制作手順は本能的かつ即興的。内面的または精神的なものが自由奔放に表現されているため、20世紀における表現主義の先駆者と見做されるようになった
セザンヌ:形態を単純化し、三次元の対象をいったん解体し、再び複数の視点で対象を捉えて二次元の画面で再構成しようとした造形性は、ピカソジョルジュ・ブラックによってキュビズムの誕生へと発展していく


個別の画家だけでなく、その繋がりが理解できるのは、ほんとうに優れもの。
「現代の日本では、やたらと『感性』という言葉を絵画鑑賞の際に使いがち。しかし、伝統的に西洋では、感覚に訴える絵画は低く見られる傾向があり、理性・知性に訴えることを良しとされてきた」「日本の美術館は『お宝拝見』的な傾向が強いのに対し、欧米の美術館はより啓蒙的・教育的な側面が強い」「日本で『美術史』というものが欧米ほど浸透していないのは、美術館自体が『啓蒙思想の申し子』である欧米の美術館との存在理由が違うから、としか言いようがない」は、知らなかった…いやはや、学ぶというのは実に大事だ。

【読了】猪瀬直樹「昭和16年夏の敗戦」

今年32冊目読了。東京都知事を務めた作家出身の筆者が、1983年に書き上げた「若きエリートからなる模擬内閣が日米開戦前夜に出した結論と、その後」について、コロナ禍に関する若干の加筆、及び石破茂との対談を加えた形で2020年6月に新たに刊行された一冊。


牧野邦明「経済学者たちの日米開戦」で、研究機関は「日本の敗戦」を冷徹に見抜いていた、ということを知っていたのだが、全く別機関でも同様の答えが出ていて、それが大惨事の結論であるにも関わらず、そのままの歴史をたどってしまったことに、驚愕を禁じ得ない。


大筋としては「昭和16年12月8日の開戦よりわずか4か月前の8月16日、平均年齢33歳の内閣総力戦研究所研究生で組織された模擬内閣は、日米戦争日本必敗の結論に至り、総辞職を目前としていた」というものであるが、筆者の精緻な取材、及び筆致によって、グイグイと惹き込まれるような文章に仕上がっている。


こと話の骨子である「総力戦研究所研究生は、国家を背負って立つべき者とされそのキラ星の如き逸材を青田買いのように吸収しようとした」「模擬内閣という字面から受ける印象は、ゲームのような遊びに似た匂いである。しかし、それゆえに、といっていいだろうが、彼らは若くて未熟であることに躊躇せず、大胆に核心に急接近していくことができた」という流れにおいて、なるほどと思わされたのは「<経済閣僚>らが、開戦に拒否反応を示したのは、彼らが数字でモノを考える習性をもっていたためである」「総力戦は単に武力戦だけでなく、経済力を含めた国力の差によって決定することになるからカネではなくモノについての数字がキーポイントになる」「総力戦研究所の模擬内閣が今日評価されるとしたら、彼らが事態を曇りない眼で見抜き予測した点にある」あたり。これは、コロナ禍対応を迫られる現代においても大事な視点だ。


それにしても、合理的な回答が出ていながらも、時代の要請から「これならなんとか戦争をやれそうだ、ということをみなが納得しあうために数字を並べたようなものだった。赤字になって、これではとても無理という表を作る雰囲気ではなかった」という証言から、「コンピュータが、いかに精巧につくられていても、データをインプットするのは人間である、という警句と同じで、数字の客観性というものも、結局は人間の主観から生じたもの」「 『やる』という勢いが先行していたとしても、『やれる』という見通しがあったわけではなかった。そこで、みな数字にすがったが、その数字は、つじつま合わせの数字だった」ということが起こっていたことは明白だ。
後知恵で、「当時の日本は熱狂していて、とても対米敗戦を言える空気になかった」なんてのが、いかに偽りであるか。でも、ごく一部の人間の視野狭窄によって、その結果に導かれていく。冷徹に事実を見ることは、歴史の反省を活かすためにも必要なことだ。


そして、東條英機についての分析も「日米開戦の原因を、『東條』という一人の悪玉に帰するのは、あまりに単純すぎる話しである。しかし勧善懲悪の図式は、いまだにひとつの常識である」「東條は天皇の忠実な臣下であった。彼は軍人としてのファンクション(職分)のなかで生きてきた。理念や思想があれば彼に制度の壁を破ることを期待するのは可能だが、それは望むべくもなかった」と、妥当だと感じる。彼に全てをおっ被せて、あとは知らんぷり、という姿勢が、未だに敗戦の過ちを総括しきれない一因に感じる。


政治についての「政治は目的(観念)を抱えている。目的のために事実が従属させられる」「政治的リーダーの役割は、数値目標を示しながら、みずからの言葉で国民に説明し協力を求めることなのだ」「大上段に歴史意識などという言葉をふりかざす前に、記録する意思こそ問われねばならぬ」という記述は、後に筆者が東京都知事になったことを考え合わせると、なんとも言えない不思議な感覚がある。


2021年に読むと、「持たざる国日本と、持てる国アメリカとの石油政策は対照的であった。アメリカの対日輸出政策は、完全に日本の窮地を知り尽くしたうえで計画的に実施された。これに対し、日本の輸入政策は、その日暮らしの場当たり的なものでしかなかった」「いったい戦争の後のことを考えているのか」のあたりで、コロナ禍の後を見据えているのか?という政府の右往左往っぷり、そしてマスコミと国民のヒステリックぶりを見るにつけ、また昭和16年から20年の系譜を辿るようにも感じて、暗澹たる気持ちだ。この教訓と、向き合わないと、と感じさせてくれる。

【読了】福原義春「美」

今年31冊目読了。資生堂の社長・会長・名誉会長を歴任し、財界きっての読書家にして東京都写真美術館館長、企業メセナ協議会会長、東京芸術文化評議会会長などの公職に従事する筆者が、「見えないものをみる」ということを伝える一冊。


以前、オンライン読書会で紹介されていて興味があったものの、なかなか読む機会がなかった。最近、西洋美術に興味が湧いてきたので、これを機会に、と手に取ったが、やはりこれは良書だ。

 


昨今の傾向に対しては「文化の矮小化は、長期的な劣化の中に、短いスパンでの劣化が何重にも入れ子構造になって起きていると考えられる」「コンピュータや機械に頼りすぎていいものだろうか。私は、人間がそれらに任せすぎて怠惰になってきている気がしてならない」「平均化した没個性の服を身にまとい、マニュアル通りに作られた食べ物とサービスで満足しなければならない世の中は、どう考えてもおかしい」「自然は、私たち人間の生命力を養うと同時に、創造力の源ともなる。その自然から大きく切り離されてしまったところに、現代人に創造力が乏しい原因の1つがあるのではないか」と、厳しく警鐘を鳴らす。


文化文明の意義を「文化の本質の要素には、もともと『ムダ』や『遊び』がある」「文化とは、よりよく生きようとする人間の創造的行為、目に見える過程のことである」「文明というのは、ほとんどの場合、人間の五感を失わせる方向に行くのだ。しかし五感を保ち、五感をよりいっそう磨いていく努力は怠ってはいけない」としたうえで、「真の教養とは、人がよりよく生き、人が人であるための技術(アート)であるともいえそうだ。つまり、人生の中で課題とミッションを発見し、障害を通じて学び続ける力。これを『リベラルアーツ』といってもいいだろう」「本当にいいものと、そうでないもの。本当に美しいものと、そうでないもの。これらをどのように判断していくか。そこには『知』や『教養』といった、ものを測る新しいものさしが必要」と述べる。


日本人の特質についても「日本人はどうやら『美』を感じる基準、美意識が、ほかと違っているらしいのだ。そこには過ごしてきた時間の感覚、建物を古びさせてきた自然の力を尊ぶ感覚がある」「日本人はそのまま取り入れるのではなく、自分たちが納得できるもの、都合のいいものだけを取り入れた。その取捨選択、換骨奪胎の判断ができたのは、既に日本に独自の文化、価値観があったからにほかならない」「日本人は、見えないものを心で感じる美意識や感性を、本来持っている。視覚だけでなく、五感のすべてで対象を感じるのが日本人」と誇りつつも「自国の文化を見失い、アメリカの影響を相当受けている状態は、この日本でいまでも続いているのだということを、私たちはまず自覚しなければならない」と警告。
その進むべき道は「社会も組織もリーダーも劣化しつつあるいま、経済一辺倒で進んできたこの国の経済優位性さえ危ういものだとしたら、今後の基軸は、日本人の歴史と知恵の結晶である『文化』の力しかない」と主張する。


では、どうするか。「体質は不変であり、本質は不変である。持って生まれた身体性を、人間は超えることはできない。それならば、せめて私たちに与えられた五感を精一杯研ぎ澄ませるしかない。そしてそのために必要なことは、やはり『本物に触れる』『美しいものに触れる』ことに尽きる」「感動とは、五感が最高に活性化されたときに訪れるもの」「人生には、データに換算できない、見えないものを見る力が求められている。そして、美しさ、美意識のようなものも求められている」という意見は、なるほどなぁと頷かされる。


美術館・博物館についての見解も面白い。「美術館、博物館の役割は、まず現在の作家たちによる成果を保存・展示することだ。もう一つは、有史以来の先人たちが創造してきた歴史、文化を学べる、いわば知的資産の宝庫であり続けることである。」「先人たちの営みは、書物によっても学ぶことはできる。しかし美術館や博物館では、モノが語りかける迫力とともに、それを学ぶことができる。社会における人間疎外が叫ばれ、混沌としてきたこの時代にこそ、美術館、博物館は大きな役割を担える」「過去の知的資産に触れることの目的は、単に過去を知るためだけではない。何よりも、未来を考えるためだ」のあたりは、さすがの分析。


本好きのはしくれとしては、「読書により、先人と同時代人の多様な生き方と考え方を身につければ、人は人生の厚みと幅を飛躍的に広げることができる」「不平を言う暇があったら、本を読めばいい。そのほうがよほど解決への早道なのだ」の言葉は重く受け止めたい。


新書ながら、読みやすく、それでいて充実した内容。筆者の主張と信念を感じ取ることができる良書で、一読をお薦めしたい。

【読了】若林正恭「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」

今年30冊目読了。お笑いコンビ「オードリー」のツッコミ・引きこもり担当の筆者が、休みが取れて無理やり一人でキューバに弾丸旅行をした紀行文。


ひょんなことから手にすることになり、旅エッセイをさらっと読むのもいいか、と思って読み始めてみたが、なかなか筆致が優れていて、面白い。


現状の生活について「勝っても負けても居心地が悪い。いつもどこでも白々しい。持ち上げてくるくせに、どこかで足を踏み外すのを待っていそうな目。祝福しているようで、おもしろくなさげな目。笑っているようで、目が舌打ちしている。だから、ぼくは仕事の関係が好きだ。お互いに『良いもの』を作るという共通目標がある関係性には意外と白々しさがない」とし「5日間、この国の価値観からぼくを引き離してくれ。同調圧力と自意識過剰が及ばない所までぼくを連れ去ってくれ。ぼくは今から5日間だけ、灰色の町と無関係になる」と旅立つ。


キューバでの出来事を面白おかしく書いているところもいいのだが、「自分の脳細胞がこの景色を自由に、正直に、感じている。なぜなら、キューバに一人で来たからだ」「怖ろしく集中している男はどうしたってかっこよく見えてしまう。ぼくはきっと命を『延ばしている』人間の目をしていて、ゲバラカストロは命を『使っている』目をしていた」「葉巻を吹かしながら明るいキューバ音楽を聞く。その姿を日本で見られたら、みんなに笑われるだろう。だけど、みんながいないからぼくはまっすぐに楽しめた」などは、かつて一人で海外をふらふらしていた経験のある身としては、非常に心に染み入るし、共感できる。


キューバを満喫しながら「東京にいると嫌というほど、広告の看板が目に入る。それを見ていると、要らないものも持っていなければいけないような気がしてくる。必要のないものも、持っていないと不幸だと言われているような気がぼくはしてしまうのだ」「もしかしたら、出不精ではなくて東京に行きたい場所がないのかもしれない。出掛けたい場所があることって、人を幸せにするんだな」と不満を述べる。
しかし、帰ってくるときには「この目で見たかったのは競争相手ではない人間同士が話しているときの表情だったのかもしれない。ぼくが求めていたものは、血の通った関係だった」「ここで生活し続ける理由。それは、白々しさの連続の中で、競争の関係を超えて、仕事の関係を超えて、血を通わせた人たちが、この街で生活しているからだ」と考え直す。或る意味、旅の醍醐味というのは、日常の見つめ直しなのかもしれない。このへんも、『海外一人旅経験者』としては、とてもよく理解できる。


意外に(失礼!)深い中身で、さらりとしながらも面白く読めたのだが、実は一番響いた言葉は「知ることは動揺を鎮める」だった。これは、いろいろな場面で使っていきたい。

【読了】吉海直人「世界でいちばん素敵な百人一首の教室」

今年29冊目読了。同志社女子大学表現文化学部日本語日本文学科教授にして、公益財団法人小倉百人一首文化財団理事の筆者が、写真ビジュアルを交えて百人一首の世界をわかりやすく紹介する一冊。


「世界でいちばん素敵な教室」シリーズもので、装丁がしっかりしているため、イメージをつかみながら百人一首を覚えるのに非常に役立った。個別の知識の掘り下げ、歌が詠まれた背景の詳細な描写などは谷知子「百人一首(全)」に遠く及ばないが、完全に入門者に対象を寄せ込んでいる本なので、むしろこのくらいでちょうどいい。「百首の歌、百人の人生に秘められた物語を写真と共に紹介する」というスタンスは、単純にかるたを覚える苦労からおおいに救ってくれた。


誰もがその名を聞いたことがある、百人一首。「しかし、それぞれの歌がつくられた背景や詠み人たちの想い、選者の意図などを私たちは十分に理解しているのでしょうか」「この本を閉じたとき、いつか聞いたあの歌がより鮮明で味わい深いものとなって、あなたの心に残ることを祈っています」というとおり、この本をめくりながら暗記する手助けに使わせてもらった。


「もし興味のある和歌や歌人を見つけたら、ほかの文献を読んだり、ゆかりの地を訪ねたりして、より理解を深めてみてください。本書が、そんな『百人一首』を巡る旅のきっかけとなれば、こんなにうれしいことはありません」との結びの言葉どおり、そういう気持ちにさせてくれる本。読み込むような深みはないものの、入門書として「さらりと読みながら、イメージで覚える」というレベルの人にはもってこいだ(←自分がそうだったので)。少なくとも、かるたやアプリと睨めっこして覚えるよりは、よほど広がりがあって楽しく覚えられる。


百人一首を覚える、そしてその後もライトに楽しむにはとてもて適した一冊だ。

【百人一首を覚えてみて】

小4の娘に促されるままに、全く興味がなかった百人一首を覚えてみた(もともと覚えていたのは2首のみで、98首が手つかずからのスタートだった…)。かなり手こずったし、まだ「ひととおり『覚える作業』を完了した」だけであって、完璧に覚えた、というには程遠いのだが、やってみて良かったな、という感じだ。


百人一首を覚えるということ>
●先人たちの人生から、大きな学びを得られる
 100首もあると、あれやこれやが歌われている。そして、人の心の機微に触れる歌が厳選されているので、当然、数々の人生訓が含まれている。
 古より、人間は同じようなことを迷い、悩み、憂いてきた。その先人たちの人生を追体験することが、わずか31文字でできるのだ(尤も、百首だから三千百字か…)。ある歌に共感し、ある歌に涙し、ある歌に勇気づけられる。そんな芸術作品だ。


●日本の四季の美しさを体感できる
 有名な歌人たちが、日本の四季を美しく歌いあげているものが幾つもある。その情景を思い浮かべるだけで、日本の自然の豊かさ、素晴らしさを心の中で味わうことができる。コロナ禍の2021年、ステイホームしながらそんな楽しみがあるのか、と感じた。


●日本語の美しさに「身体で触れる」ことができる
 これは暗唱の効果。百人一首は古語で歌われているため、非常に覚えづらい。しかし、いったん覚えてしまうと、その響きの美しさ、言葉と音の絶妙なハーモニーを楽しむことができる。しかも、それを「体感」する。これは、AIには絶対にできない豊かな楽しみだ。


<アラフィフになって「暗記に挑戦する」ということ>
●まるごと覚えるのは不可能。
 挑戦してみて、自分の暗記力の低下ぶりに愕然とした。とにかく、頭に入ってこないのだ。それを尻目にスルスルと丸ごと覚えていく娘を見ていると、情けなくなる。
 とはいえ、同じ土俵で勝負できない以上、やり方を変えるしかない。「エピソード記憶」に頼り、歌のストーリーとともに覚えていく、そして情景を思い浮かべながら暗唱する。それを地道に繰り返すことで、牛歩のごとく進んでいった、というところ。


●それでも、暗記には意味がある。
 「検索ができれば、暗記なんて必要ない」という声もある。しかし、やってみて思った。「とっかかりだけでも覚えて(=自分の脳に入って)いないと、検索は絶対にできない」のだ。「百人一首」というデータベースが頭の中にインプットされているからこそ、検索できる(≒引き出すことの出来る)知識が出てくる。まっさらな状態では、到底手も届かないような情報がいくらでもある。
 暗記、それはそれなりに労力がかかり、効率的ではないかもしれない。しかし、人間は脳の中で「持っている知識を組み合わせる」ことしかできない。持ち合わせの駒が少なければ、そのぶん、発想力が制約される。やはり、暗記は必要であり、意味のあることだと感じた。

 


 やってみて思ったのは「百人一首は、子供のうちに丸ごと暗唱できるようになっておき、そのあと、成長する中で歌に込められた思いやメッセージを体感していくことで、人生に役立てるのがベストな教養。ただし、大人になってからでも十分に覚える意義はある」ということ。


 そして、何事も「やってみないとわからない」と、強く感じた。新しい挑戦を続けられるかどうか。東京オリンピックに関してあれやこれや「老害」の話が出てきているが、「自分が遥かなる過去に体感してきた枠」を抜け出すことができるか否か、ということに尽きるような気がする。


 過去に囚われないためにも、新たな体感を得ることで、自らの「枠」を拡げていきたい。