世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【プロフェッショナルの魂。】

移転は終わっても、動き始めてみると、社員からあれこれ使い勝手についての要望が上がる。かなり事前に想定してはいたものの、やはり図面の二次元で考えるのと実際の三次元とは乖離が出るわけで。特にバックヤードは、様々な意見が出て、修正を迫られる。むしろ、ここからが本番。

動きの悪い担当者にさんざん苦しめられたりして、ストレスが溜まる部分も、ある。しかし、工事施工を担当する方が、素晴らしいフットワーク。直前、あるいは現地でいきなり出す要望にも、悉く柔軟に答えてくれる。できない場合にも、理由を合理的に教えてくれるので、こちらも「この方が無理って言うんじゃ、仕方ない」と思える。それにしても、いつ休んでいるんだ?と思うくらいの機動力。どうしてそこまで出来るのか、本当に不思議だった。

今日、たまたま緊急の依頼事があり、その現地確認に向かう中で、この方と話をしている中で、「色々、予定にないことばかり申し上げて、本当にすみません」と伝えたところ、その回答がふるっていた。

「いやぁ、現場は生き物ですから。実際にやってみて、皆様のお声を頂いて、手をかければかけるだけ、皆様に長く使っていただける店舗になりますからね。」

…なるほど。この信念あればこそ、「聞いてない!」「計画どおりやった!」などの反論や苛立ちではなく、柔軟で前向きな姿勢が出るのか。真髄に、触れた気がする。

管理職の端くれとしては、この方の姿勢に学び、「社員は目をかければかけるだけ、成長する」という信念を持って、仕事に取り組みたいものだ。

自戒の念を込めて。

【読了】ショウペンハウエル「読書について 他二篇」

今年125冊目読了。17世紀のドイツ哲学者の巨匠が、読書、思索、文章について考えを書き表した一冊。

まず、考えるということについて「いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。」「我々が徹底的に考えることができるのは自分で知っていることだけである。」と強く述べる。

そして、読書に耽る事への戒めとして「読書は思索の代用品にすぎない。読書は他人に思索誘導の務めをゆだねる。」「かりにも読書のために、現実の世界に対する注視を避けるようなことがあってはならない。」「一般読者は愚かにも新刊を読みたがり、良書を手にしたがらないのである。」と警告を発する。

また、書くということについては「すぐれた文体たるための第一規則は、主張すべきものを所有することである。あるいはこと規則は第一規則どころではなく、第二第三をほとんど必要としないほどの、充分な規則である。」「人間の力で考えられることは、いついかなる時でも、明瞭平明な言葉、曖昧さをおよそ断ち切った言葉で表現される。」「比喩は知識を得るための強力な武器である。だからこそ目覚ましい比喩をあげ、すぐれた比喩を見せてくれる人は、明らかに深い理解力の持ち主である。」と述べる。

最後に、読書に際しての心構えとして「熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。」「紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。」「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。」「重要な書籍はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。」と語りかける。

読書好きの端くれとしては、非常に耳が痛い(眼が痛い?)記述多数。確かに、読んでも考えたり行動したりして「体得していく」プロセスがないと無駄に陥るからなぁ。他方、多読をバッサリ切り捨てるのは、現代社会においてはどうだろうか。情報爆発の21世紀においては、ある程度の知識を網羅する必要があり、ショウペンハウエルの生きた時代には考えられない世の中になっている。そこで考えるには、かなりの知識の蓄積が必要となり、かつそこに立脚しないと無知蒙昧な独り善がりに陥ってしまう。

やはり、多読、アウトプット、行動を通じて知を「体得する」しかないかな、と思う。しかし、参考になる記述も多数。読書好きなら、押さえておきたい一冊だ。

【読了】坂東眞佐子「死国」

今年124冊目読了。建築を学んだ筆者が放つ、大人向け伝奇ロマン。

生死、愛憎、この世とあの世。往来する世界観は、ちと受け入れにくいが、読んでいくと引き込まれ、つい読み進める。生への執着、死への嫌悪、喪ったものへの生を賭しての拘泥。そういったのもが、くっきりと描き出されている。ラストを含め、些かどうなんだ?という思いはあるものの、生死観について考える上で、一度読んでおいた方がいいな、とは感じる。

また、いい記述もそこここにある。「彼女の親切心は、自分が親切にされたい気持ちの裏返しなのだ。」などは、人間の哀しいエゴを浮き彫りにするし、「『本物そっくりというのはだめなのね』『人間ってのは、むきだしの現実は見たくないらしい』」というのも、人間の特性である、見たいものしか見ない、という点を衝いている。「黙っていれば、それだけ二人の距離は開いていくばかりだった」も、言葉の大事さを物語る。

そして、人間は社会性の生き物であるとともに、自分を唯一無二と考えたい、という二律背反に対しても、いい記述がある。「…ひょっとしたら僕は安全な自分の甲羅の中にいて、外の世界に自己流の解釈をつけていただけかもしれない。甲羅の外の世界に出て行くことをせすに、それを直視するのを避けてきた。」「もう視線を逸らさない。受け入れるのだ、と思った。自分の感情、解決をつけてこなかった心の奥を見つめるのだ。」「生きていくとは、こういうことだ。山積する問題を背負いこんで歩く。それが亀の甲羅。人は皆、意識するにしろしないにしろ、その甲羅を背負って生きている。甲羅を抱え込むこと自体、生きていることの証、生者の特権だ。」

読み方はいろいろありそうだが、自分の読了感はこんなところ。

【読了】渡辺洋二「双発戦闘機 屠龍」

今年123冊目読了。航空史の研究家である筆者が、第二次大戦下で開発され、数奇な運命を辿った機種をめぐる開発者、技術者、操縦士、陸軍幹部らの人間模様を描き出す一冊。

もともと、自身が軍事方面にもある程度の興味があることを割り引いても、これは面白い。細密にわたる調査と、可能な限り事実に寄せようという筆致に加え、通奏低音のように響く「無定見な陸軍幹部への怒り」が、身につまされる。戦争ものではあるが、現代日本においても全く解決されていない問題提起がなされている、と感じる。

かなりマニアックな中身で、一般的には意味不明な用語も多数出てくるため、諸手を挙げてお勧めはできない。しかし、言わんとしていることは汎用性があると感じる。

「ケチをつけるばかりが用兵者側の任務ではなく、長所を引き出して伸ばしてやるのも大切な役なのである。」「陸軍と海軍は上層部ほど仲が悪く、リベット一本でも同じ製品を使いたがらない。技術の交流は皆無ではないが、積極的とはとても言えず、機銃、機関砲は別々のものを用いた。こんな国は日本だけである。」「不安定な新機軸を追い求めず、確実に消化した技術でまとめ上げた、重爆撃機の邀撃に十分に使えるキ九六を、全力で育てていれば、十九年の夏にはまちがいなく戦力化されていただろう。航空本部をはじめとする機材開発・装備指導層の不明と錯誤が、悔やまれてならない。」「泥縄式に高高度戦闘機を発注し、無理を重ねてかろうじて実用化にこぎつけたが、時すでに遅し、という状態は、日本軍の方針と国力のレベルを端的に示している。」のあたりは、見極め、決めることの難しさを物語っている。

また、筆者の取材姿勢も参考になる。「なんでも疑ってかかれ、とか、納得のいくまで調べろ、といった言葉は、ものごとを研究するたいていの場合に当てはまる。」「直接取材でむずかしいのは、意外な証言があったときに、事実なのか、当時以来の誤解なのか、あるいは記憶違いなのかを見分ける点にある。」などは、留意したいポイントだ。

【読了】三島由紀夫「金閣寺」

今年122冊目読了。昭和の名作家が、国宝・金閣寺が寺の青年僧によって放火・焼失するという事件を、告白体の名文によって小説化した一冊。

美と屈折、死と生、執着と諦念、羨望と侮蔑。人間の中に渦巻く数々の情念を、事件を起こした青年僧の内面から描き出す。息苦しいながら、スピード感溢れる筆致で、グイグイと引き込まれた。そして、それらの情念について深く向き合わざるを得ない感覚。さすがの名作だ。

何を細々と述べても、本書の魅力は伝えきれない。せめて、名文を抜き書きしておこう。
「もともと金閣は不安が建てた建築、一人の将軍を中心とした多くの暗い心の持主が企てた建で築だったのだ。美術史家が様式の折衷をしかそこに見ない三層のばらばらな設計は、不安を結晶させる様式を探して、自然にそう成ったものにちがいない。一つの安定した様式で建てられていたとしたら、金閣はその不安を包摂することができずき、とっくに崩壊してしまっていたにちがいない。」
「そもそも存在の不安とは、自分が十分に存在していないという贅沢な不満から生れるものではないのか。」
「人の苦悶と断末魔の呻きを見ることは、人間を謙虚にし、人の心を繊細によって、明るく、和やかにする」
「どんな事柄も、終末の側から眺めれば、許しうるものになる。」
「認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。」
「虚無がこの美の構造だったのだ。そこで美のこれらの細部の未完には、おのずと虚無の予兆が含まれることになり、木割の細い繊細なこの建築は瓔珞が風にふるえるように、虚無の予感に慄えていた。」

【読了】本谷有希子「異類婚姻譚」

今年121冊目読了。小説家にして劇作家の著者が、「旦那の顔が異常に歪む」という事を通じて人間の関係性を掘り下げる一冊。

俗説的に「夫婦はだんだん似てくる」と言われる。そこに、敢えて挑戦するような、非常に面白い切り口の作品。旦那の気の緩みと、顔のパーツの崩壊をシンクロさせ、だんだんとその恐怖に陥れていくシナリオは、ある意味、本谷ワールド。ついつい、読み進めてしまう麻薬的魅力が、そこには、ある。

…他方。なんだか「筆者の技巧に踊らされた」感も、否めない。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ。」で感じた圧倒的なパトスの温度感が、自分には感じ取れなかった。

勿論、「別の人間、ねえ。うーん、だって結婚って、相手のいいところも悪いところも飲みこんでいくんでしょ?もし悪いところのほうが多かったら、お互いタマったもんじゃありませんよ」「主婦のことはねえ、主婦にしか分からないわよ。」など、心に染み入る言葉はあるし、そのパワーは激しい。

…しかし。自分としてみては、熱量が違うのだ。その本の、エネルギー。それは、シンクロ感によるのかもしれない。

【読了】本谷有希子「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ。」

今年120冊目読了。小説家にして劇作家の著者が、自己愛と欲望、屈折した感情が渦巻く三人の長女・長男・次女の交錯と、そのおどろおどろしい関係のねじれを描く小説。

とにかく、描写が巧みで、恐ろしいまでに情景が思い浮かぶ。それに支えられたストーリーの重厚さがたまらない。肉親故の屈折、自己の拠り所を求める主観的願望、耐え忍ぶことを強引に合理化する気持ちの揺らぎ、ほの暗い欲望を何とか放出しようと右顧左眄しつつ莫大なエネルギーが炸裂する戸惑い。誰の目から見ても、それぞれに考えさせられるので、思わず何度も読んでしまった。

佐藤優が勧めていなければ、一生読まない小説だっただろう。しかし、これは本当に読んでよかった。人生に向き合うことの大事さを、とても不思議な形で知らしめさせられる。

「例えば高校の文化祭で演じた舞台を、誰もが白けた目で観ていた時。まさに現実の厳しさを思い知る場面である。だが驚くべきことに、姉はそれらすべての危機を『自分は他人に理解できないほど特別な人間だ』と更に強く思い込むことではね除けていったのだった。」「不幸ありきの幸せ。待子にとって不幸になることは幸福になることとほぼ同意語と言って良かった。」「自分が何物でもない可能性など、あり得ない。」「誰か。あたしのことを。あたしを。特別だと認めて。他と違うと。価値を見出して。あたしの。あたしだけの。あたしという存在の。あたしという人間の。意味を。価値を。理由を。必要性を。存在意義を。今すぐ。今すぐに。」

…もう、言葉の迫力が凄い。ぜひ、一読をお勧めしたい。