世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】倉本一宏「敗者たちの平安王朝」

今年41冊目読了。国際日本文化研究センター教授の筆者が、歴史から葬られた平安時代天皇に焦点を当てて検証する一冊。


大河ドラマ「光る君へ」が当たりなので、より楽しみたくて読んでみた。なるほど、これh歴史の暗部を抉り出す良書だ。


筆者は「日本史に『暴虐』や『狂気』を以て語られる天皇が何人か存在する」として平安創設期の平城と、摂関政治の確立期に存在した陽成・冷泉・花山の各天皇にスポットを当て「本当に彼らは狂っていたのであろうか。彼らの置かれた歴史状況をよく調べてみると、いずれも皇位継承の問題と、政治状況の問題がからんでいる。皇統継承の問題とは『あの天皇は狂っていたので、皇統を伝えられなかったのだ』、言い換えれば『こちら側の天皇は立派な方だったので、皇統を伝えることになったのだ(=したがって、その子孫である現在の天皇は、即位する資格があるのだ)』という政治的主張である」と、狂気の正体を抉る。
つまり「自分たちの政治的反映に邪魔な天皇は『狂気』であったことにして、自分たちに政治的に都合のよい天皇を確立し、自らはその背後で政治権力を振るい、そして彼らの『狂気』説を作り上げる」「天皇の些細な行動を『もののけ』の故とし、さらにこれが古代に宣伝され、人の口の端にのぼるようになり、やがて『もの狂いの天皇』という烙印を押されるようになった」ということだ。それは、確かに勝者の歴史でしかなく、筆者がタイトルにつけた通り、時の流れで結果的に敗者になったことを無視したものだなぁ、と感じる。


薬子の変で失脚した平城天皇については「平城が支配者層の離反によって皇統から排除された最大の原因は、嫡流の皇統を創出することができなかった、あるいは拒絶したことに求められよう」「平城としては、無駄を省き、官僚組織を効率化することを目指したのであろう。しかしながら、天皇は支配者層全体の利害を体現するために存在する。このような『やる気のあり過ぎる天皇』が、貴族社会から浮き上がり、やがて悲惨な末路をたどることは、後に花山天皇三条天皇が再現することになる」と分析する。


陽成天皇については「陽成廃位は、基経や淑子と、皇室側に立った高子との権力闘争の結果であって、基経の主目的は、皇太后高子を権力の座から遠ざけることにあった。高子は昔日の密通事件を取り上げられて皇太后の地位を廃される」と述べる。


まさに『光る君へ』にも登場する花山天皇についても「乱脈を極める女性関係、奇矯非常識な言動、人目を驚かせる風流数寄な生活」が取り沙汰されるも、その真偽には疑義を抱く。さらには「花山天皇の出家というのは、兼家流藤原氏の栄華をもたらすため、しすて円融ー一条皇統を確立するための犠牲という側面が強かった。それは当時の人々も、後世の人々も、等しく感じていたはずで、政治的な敗者に対する同情と鎮魂が、また悲劇のヒーロー像を増幅していったものと考えられる」「本来ならば摂関の座を手に入れられるはずのなかった摂関家の関係者が、本来ならば皇統を嗣げるはずのなかった天皇家嫡流の正当性を主張するために、本来ならば皇統を嗣ぐはずであった天皇たちの『狂気』説話を作り出していったのである」と指摘。そう考えると、むしろ時代に翻弄された側でしかないのかもしれないな、と認識を新たにする。


筆者が主張する「もし、本当に狂っていたとするならば、それは摂関家によって行われた『摂関政治』という政治システム、そしてそれを必然とした『古代天皇制』という君主制そのもの」「歴史というものは、すでに起こってしまった結果のみを以て、過去を論じてはならない」という歴史の後知恵への戒めは本当にそう思う。


恥ずかしながら「近年では、『薬子の変』と呼ばれていた政変も、その首謀者は平城太上天皇であるとして、これを『平生上皇の変』と称することtが主流となっている」は、全く知らなかった…歴史は、最新情報にキャッチアップしていないと本当に危ないな…

【読了】井上章一「京都ぎらい」

今年40冊目読了。国際日本文化研究センター教授にして副所長の筆者が、洛中一千年の花と毒を見極める新・京都論。


意図せずして、梅棹忠夫「京都の精神」と連続して読んだが、これが大正解!まさに表裏をなす構成。


筆者は嵯峨出身で洛中の人に差別を受けてきたとし、「この街は、洛外の人間による批判的な言論を、封じてきた。それだけ、洛中的な価値観が、大きくのさばる街だったのだ」「重い差別が、社会の表面からはけされていく。しかし、かつての差別をささえた人間の攻撃精神じたいは、なくならない。そして、それは、軽いとされる差別に突破口を見つけ、そこから溢れ出す」と、その差別意識を指摘する。事例は確かにその中華思想を感じさせる…


筆者は、メディアについても「『金銀苔石』という言葉を、しばしば耳にする。写真の掲載に際し、いちばんコストのかかる人気四大寺(金閣寺銀閣寺、西芳寺龍安寺)を総称する言い回しとされる」としつつ「メディアが京都におもねるから、洛中の人もつけあがるんじゃあないか。洛外が見下される一因は、東京メディアが京都をおだてることにあるんだ」と憤慨する。まぁ、その側面は間違いなくあるよなぁ。


歴史だ文化だ、という洛中の人間に対するあてつけではあるが、「1950年代、60年台の寺は、文化観光施設税をはねつけていない。だが、80年台の寺は、それと似た様な古都税を、何がなんでもしりぞけようとする」「いくつかの寺が、ライトアップをはじめたのは、平安遷都1200年祭からである」「日本にニコライ2世が滞在していたのは、四月から五月にかけての春であった。事件のあった大津へおもむく前に、皇太子は京都で宿をとっている。そして、ロシアからきたこの次期皇帝を、京都の街はあの手この手でもてなした。たとえば、大文字山で松明に火をつけ、『大』の字を夜間に大きくてらしだしている。五月の春にともされた『大』を、盂蘭盆の『送り火』であったとは考えにくい。あからさまに世俗的な見世物であったと、みなしうる」のあたりは知らなかった…そうなんだ。


寺と庭・山についての「室町時代の京都では、武将を受け入れる寺がふえだした。人目をよろこばせる庭が、寺でいとなまれるようになったのは、そのせいだろう。武将らの接待という新しいつとめが、庭の美化をおしすすめたのだろう」「寺が山の管理につとめたのは、何より林業上の収益が見込めたからだろう。だが、景観上の配慮だって、なかったとは思えない」という言及はなるほどなぁと思う。


確かに気位の高さは表裏一体。筆者の「誰しも、似たもの同士のなかでこそ、自らをきわだたせようとするものである」という感想が、読み応えのある読了感をまとめてくれる。

【読了】梅棹忠夫「京都の精神」

今年39冊目読了。京都生まれ京都育ち、国立民族博物館初代館長にして京都大学名誉教授の筆者が、京都人の常識や本音を忌憚なく語る一冊。


よくもまぁここまで京都中心主義!と圧倒されるような中身。「京都人は気位が高い」のも、この書を読むと(是非はともかく)宜なるかな、と感じる。


筆者は、京都の独自性として「日本にはめずらしいことだが、京都のひとの心のなかには、ぬきがたい中華思想がひそんでいる。中華思想というのは、文字どおり、自己の文化を基準にして世界をかんがえるという発想である」「京都市民は、ここが日本の中心である、日本文化の本物は全部ここにある、ほかのものは二級品とかんがえてきた。その意識をささえるのは、1000年にわたる歴史のすべての文化がここを中心に展開してきたというその事実」「日本は世界文明に対する同化をいちじるしくすすめつつ、そのなかでもっとも異質的部分を京都に温存していた。これが京都のもっている大きな意味」「今日の日本のアイデンティティーをあたえているのは、科学でも、技術でも、産業でもない。価値の体系の具現化としての京都である」と滔々と述べる。その姿勢には圧倒される…
さらに、京都の都市としての特徴についても「京都は、奈良や鎌倉のような観光産業主体であとはなにもないという都市とはちがい、現代的な商工業都市」「京都は文化的特性をいかして、ちかい将来、実現するであろう文化の時代、情報の時代にむけて、京都の近代化、未来化にとりくむべき」「観光ではくえないが、文化ではくえる」「京都が文化都市であるためには、まず京都は文明都市でなければならない。システムとして、人間・装置・制度・組織系としの京都でなければだめだ」と、そこここに周囲を低く見る様子がまざまざと感じられる。


京都が観光都市(と、筆者は認めていないが)ということにからめて、観光についてなかなか意義深い言及をしている。
「日本全国における景観の破壊を観光開発と称している」「だれが破壊するのかといえば、けっきょく大衆が破壊する。観光というものは、大衆化すればするほど破壊がおこりやすい。同時にこれは、もちろん観光業者の責任でもある。長期にわたる経営の感覚が欠如している」「観光産業は一大総合産業であるべき。さまざまな要素があつまって、全体がひとつのシステムをくまなければならない」「観光とは、お客の立場からいえば、『体験情報』を買っている。体験に対して代価をはらう。だから、それに対する正当な代価はとってよろしい」「観光産業をなりたたせる基本条件は、非日常体験。そういう意味で観光ということは、本質的には日常からの逃避。かんたんにいえば、文明からの脱出。日常の緊張した生活から脱出して、どこかほっとゆるんだものをもとめてきている。ある意味で、現代からの逃避である。空間的にいえば、都市文明の喧噪から脱出してくる。時間的にいえば、現代という時代から脱出して、べつな時代へとうつる。だから、中世あるいは古代の遺跡や旧跡というものが意味をもってくる」のあたりは、たしかに賛同できる。
とはいえ、滋賀県の観光についても「近江というところは、膨大な歴史的遺産をもっている。しかも、山もうつくしく、湖もうつくしい。うつくしい自然をたっぷりともっている。この歴史的資産とうつくしい自然を結合して、いささか演出をやれば、独自のすばらしい土地になってゆくのではないか」と、やはり見下し感満載。


とはいえ、冷静な部分も。都市の特性について「政治首都としての江戸、経済首都としての大阪、文化首都としての京都。この三都の鼎立状況は十七世紀からはじまっている」「都市というものは物資の生産や交易よりも、情報交換ということが先行している」のあたりは納得。


最後に京都についての独自の解釈項目があるのだが、これもまた強烈。「京都のひとには、依然として帝都意識がある。市内の中学、高校の校歌をしらべれば、『王城の地』ということばがしばしばみつかる。京都は王城の地であり、比叡山は王城の守護」「京都の川はすべて北から南へながれている。鴨川はもちろんのこと、堀川、紙屋川、白川、みんななだらかな京都盆地を北から南へくだり、淀川へながれこむ。だから京都では川のながれをみただけで方角が分かる」「京都は古都ではないという意識が京都人にはある。京都は近代都市なのだ。じじつ、中世以来の一大商工業都市でもある」「京都は山陰・北陸とのつながりがふかい。北陸からきた物資は琵琶湖の北で船につみ、まっすぐ琵琶湖を南下して、大津から荷車で京都へはこびこんだ。京都の町家の奉公人たちには近江、若狭や丹波のひとがひじょうにたくさんいた。京都と大阪ではひとの出身地からしてちがうのだ(大阪は大阪湾沿岸、瀬戸内のほうからやってくる)。京阪というかたちでいっしょにかんがえたら、まちがう」「大文字は『やく』ものではない。大文字は『ともす』もの、京ことばでいえば『とぼす』ものなのだ。灯をともすように、夜空にむけてともすのである」「京都の祭はいなかの祭とはことなり、収穫をいわったりする祭ではなく、国家安泰、あるいは都の安寧、疫病はらいといった性格をもった祭礼なのだ。そこに、うかれて祭の輪にくわわるという雰囲気がないのは当然」と、どれもこれも中華思想がぜんめんに
哲学の小径に対しても「ヨーロッパの地方都市の地名に、京都をなぞらえるというかんがえは、おおよそ京都のひとにはない。銀座さえ拒否したように、よそはよそ、京都は京都というのが、この都市のやりかた」と、切り捨てる。


余談ながら「京都とカトマンドゥとカブール、この三都市がヒッピーのたまり場になった。それによって一躍世界に名をなした」は初めて知った。そうだったんだ…

【読了】奥田弘美「『会社がしんどい』をなくす本」

今年38冊目読了。精神科医にして産業医の筆者が、いやなストレスに負けず心地よく働く処方箋を書き著した一冊。


現代社会で、このテーマは非常に切実。なので読んでみたところ、実例を挙げてわかりやすく解説してくれているなぁと感じた。


筆者は昨今のしんどさを6つに分類し、「同調圧力:会社で人とちょっと違うことをしただけで非難される。過緊張:IT化が進み仕事が効率的になった反面、忙しさのあまり自律神経がやられる。変化ストレス:異動やプライベートの変化でストレスが倍増する。成果ストレス:仕事の質量ともにハイレベルを要求される。人間関係ストレス:パワハラ、セクハラが代表的。リモートワーク:新しいストレス源」とする。
また、心の危機の時期は3つあるとし、「①若手:学生時代の延長から社会人へと上手に意識を切り替えないと大きな壁にぶつかる。②中堅:中間管理職となるとともにプライベートでも結婚や出産などの変化が有、公私ともに多彩なストレスを経験する。③ベテラン:肉体的に老化が始まるため健康不安もストレスとなり、それまでの働き方の総決算となる」と分析する。


仕事への構えとして「自分なりに“つかず離れず”のスタンスで仕事にのぞみ、同調圧力をかけてくるグループとは必要最低限の関係をキープすることが、組織で生き抜くコツ」つらいときには「①会社員人生は長い、とにかく焦らない②周りの人と自分を比べない③仕事を抱えすぎていないか?」のあたりは、もっと早く知っておきたかったなぁとすら思う。


筆者は、セルフケアのポイントとして「睡眠、食事、運動、こころ」をあげ、心のケアの基本として「自分の心と向き合う時間を持つ」と述べるが、言うは易く行うは難し…いずれにせよ「心身の休息時間をしっかり確保するためには、休日には『仕事から完全に離れられる時間』が必要」はそのとおりだし、ストレスと上手に付き合っていく指針としての3つのR「Rest:休息と睡眠、Relaxation:くつろぎ、Recreation:気晴らし」の順番を意識することは大事だと感じる。


アラフィフのオッサンとしては、上司がパワハラを防ぐには「できるだけ普段からコミュニケーションを密に取り、部下の『仕事に対する価値観やニーズ』を知っておく」。コミュニケーションエラーを防ぐには「①会話を『聴く』→『質問する』→『伝える』の3ステップで捉える②『聴く』ときにはしっかり共感する③『質問する』ことで相手の価値観やニーズを探る④最後にこちらのアドバイスや意見を『伝える』」は押さえておきたい。さらに言えばベテラン社員が組織人として最後まで生き抜くためのポイント「①仕事の好き嫌いに振り回されない、キャリアにこだわりすぎない②声をかけやすい人になる、妙なプライドは捨てる」は大事だ…


セルフチェックにも、周囲へのサポートにも応用できるテクニックが多く、簡易ながら有益な本だと感じた。

【読了】河合香織「老化は治療できるか」

今年37冊目読了。ノンフィクション作家の筆者が、アンチエイジング研究の最前線を追う一冊。


面白いテーマではあるのだが、まだまだ科学的には研究途上なので、これといった結論がないのがもどかしい。しかし、こうした考察は大事だろうな。


なぜ死が恐ろしいのか。筆者の「人は必ず死ぬことは理解していても、自分自身に限ってはその真実を簡単には受け入れられない。そこには多くの人と関わりながら生きてきた過去の時間や、この先に描いている未来があるからだ」は、正鵠を射ているように感じる。


寿命についてなるほどと思ったのは「生物は、それぞれ進化のなかで最適な生存戦略を選択してきた。人類の最大寿命はなぜ120歳なのかという、その理由もまったくわかっていない」「人間は知能の発達によって、衛生観念が生じたり、天敵を駆逐したりして、本来の寿命を大幅に延長してしまっている。遺伝子レベルではそのような状況に適応していないので、色々な問題が生じる」のあたり。


また、老化についての「老化が緩やかな坂で進むのではなく、階段のようにある時点でガクッと進むのは、老化が遺伝的にプログラムされているから。生物はみんなそうで、そうしないと種が発展していけない」「老化防止の最大の難関の一つは脳。取り替えが限りなく不可能に近い臓器であるため、その老化をいかに防ぐかは老化研究の最大のテーマ」という言及も、なかなか興味深く読めた。


老化や寿命への対策?として挙げられている「睡眠は加齢とも関係している。不十分で良くない睡眠を続けていると加齢関連疾患が加速する」「光を調節して体内時計を整えることは、老化をコントロールすることにつながる」「社会的つながりは、最大寿命にも健康寿命にも関わる」「脳の老化を防ぎ、幸せな老後を過ごすための基本は、結局『運動』」「趣味や好奇心が脳の健康を保つために必要なのは、脳の可塑性。可塑性とは変化する力のことで、脳は何歳からでも変化に対応する力が備わっている」「脳は使えば使うほど伸びるので、『年を取ったから自分にはできない』と思う必要はまったくなく、脳科学的にも間違い。英会話でも勉強でも必ずできるようになる。それが結局は脳を健康に保ち、幸せになる秘訣」のあたりの指摘は、非常に体感としても納得感がある。


人生100年時代と言われていても、やはり健康寿命が大事。そもそも、生きるとは何のためなのか?ということを含めて、考えるきっかけにはよい一冊と感じた

【読了】長谷川ヨシテル「キテレツ城あるき」

今年36冊目読了。歴史ナビゲーター・歴史作家の筆者が、ユニークな城の特徴をまとめた一冊。


軽妙な筆致で、何気なく深い知識が入ってくるので、このシリーズは楽しく読める。城好きならもちろんのこと、歴史好きが『城好き』に目覚める助けになるかもしれない。


個別の説明はかなり深いものがあるのだが、主に気になったところを挙げるだけでも「洲本城天守は1928年に完成。1910年に岐阜城に模擬天守が完成しているが、1943年に焼失してしまったため、現存の再建天守では最古」「大和郡山城の石垣には石仏や石塔などの転用石が多い。罰当たりのような工事が行われたのは『豊臣家の威光を示すため』と『大和(奈良県)の石不足』によるもの」「徳島城は1586年築城。阿波踊り徳島城完成のお祝いとして『城下で好きに踊ってよい』と蜂須賀家政が御触れを出したことに始まるとも言われる」「江戸城は、戊辰戦争の際に新政府軍に明け渡されて『東京城(とうけいじょう)』と改名。翌1869年に明治天皇が東京に移り『皇城(こうじょう)』、後に『宮城(きゅうじょう)』となり、戦後に『皇居』と改称された」「安土城の謎は、誰が焼失させたからわかっていないことと、天守の姿がわからないこと」「難攻不落と言われる岐阜城だが、実は七回落城している」「伏見城は三つある。秀吉による『指月伏見城』『小幡山伏見城』と『徳川伏見城』」と、これだけ興味深い。


また、城だけでなく「大名には、<城主格>という『お城は持ってはいけないが、お城を持ってもよい大名<城主>と同じランク』があった」「大名とは一万石以上の石高のある江戸幕府の家臣だが、お米が取れない松前藩の石高はなんとゼロ!全国で唯一の『無石』の藩。ただ、アイヌとの交易の独占権を幕府から認められていたこともあり、蝦夷の水産資源と森林資源で大いに栄えた」なんて豆知識も楽しい。


なにげになるほどなぁと思ったのは「お城や歴史に関して、言っている数字と合計が合わないパターンはあるある。『日本三名城』は姫路城、熊本城、名古屋城大坂城。『賤ヶ岳七本槍』も当初は九人もカウントされているし、最上義光を支えた『最上四天王』は合計六人」のあたり。結構いい加減なんだな…


ライトな感覚で深いことを伝えるというのはそれなり技量が必要なので、筆者の意外な?レベルの高さに感心した。

【読了】柏井壽「京都の定番」

今年35冊目読了。歯科医院にしてエッセイストの筆者が、京都の定番を押さえて楽しむことを提唱する一冊。


京都観光の書籍は山ほどあるが、確かにこういう感じの本はあまりない。


筆者は、まず「何事も、定番を知らずして、深く理解することはできない。何事も、定番を知らずして、本当に愉しむことはできない。すなわち、定番を知らないと、その魅力は半減してしまうのだ」と主張。
定番の楽しみ方として「まず疑問を持ち、解明しようとし、そして答えが見つかったときの喜びは格別のものがある」「名所の名物のみに目を向けるのではなく、その周りにあるものにも心を留めてみたい」「名所へと辿る道筋、周辺にあるゆかりの地まで対象を広げると、様々な物語が浮かび上がってくる。これこそが名所再見の勘どころ」というのはなかなか共感できる。


京都の名所についての「東寺は平安京の景観を偲ぶことができる唯一無二の遺構」「本来、寺院の金堂や本堂は南面を向くのだが、浄土の思想で西方極楽浄土に向くよう、東向きの阿弥陀堂が数多く造営されるようになった。平等院鳳凰堂がその典型である。お堂の向きひとつで、建立時の思想背景が分かる。これが寺社巡りの面白さ」「<清水の舞台から飛び降りる>。重要な決断をするときの喩えに使われる言葉だが、本来の飛び降りは願掛けを目的として行われていた」のあたりは、知識として押さえておきたい。


また、京料理についても「雅な平安のイメージに厳かな形式を加味したもの。これが京料理の原型で、これを骨格として、様々な料理形式が肉付けされていった」「長い歴史を誇る京都の街は、<伝統>を重んじることで知られるが、一方で<革新>を受け入れる懐の深さも併せ持っている」「京都の料理は、決して薄味ではない。ともすれは大阪よりも濃い」「<おばんざい>という言葉を、標準語に置き換えれば、普段着の食」「看板に<おばんざい>と書く店が次々に現れ出したのは、京町家ブームが始まったのと時を同じくする。京町家という京都らしい舞台装置と、京都らしさを手軽に演出できる<おばんざい>とが合わさって、格好のビジネスモデルが出来上がった」と言及。なるほど、これは知らなかった…


京都は、四季折々の楽しみも良い。春については「京都で愛でる桜は本来<宴>と結び付くものではなく、もっと日々の暮らしに密着しているか、或いは日常と乖離した別世界のもの」「花は静かに見るべかりけり」「散りゆく桜と流れ行く水に、自らの人生を重ねる。それが京都の<花見>」「花だけを見るのではなく、後ろにある背景、花を包む空気をも合わせて眺めることが、京の花見の醍醐味。更には古人の歌や文、辿る歴史とも重ね合わせ、古きに思いを寄せてこそ、都の花をより一層味わい深くさせる」と述べる。
対比的に、秋については「桜と違って、もみじは長く目を愉しませてくれる。その味わいは季の移ろいとともに変わりゆくもの。秋半ば。長雨の後のもみじは、艶っぽく、或いは瑞々しく、その命を長らえている。人に喩えるなら壮年から熟年。もみじ葉には厚みもあり、輝きも見せる。一方で、秋の終わり。冬の足音が聞こえ始め、比叡嵐が都大路に吹き下ろす頃ともなれば、いよいよ、もみじは晩年を迎える。乾いた音は、敷きもみじが、石畳から風に踊り、宙に舞い始める兆し。掌がやがて、老いた手が閉じるように、皺を寄せ、軽く、軽く、まるで天に召されるかのように、風に舞い上がる。師走のもみじが切ない由縁である」とコメント。
夏の「五山送り火は、夏に引導を渡す役目を果たしている。赤い火は京都の夏のエピローグ」は、京都人でないと感覚として掴めないように思う


さらりと読めて、24年4月から京都に住むことになった身としてはなかなか勉強になる。そのほか「<弁えて用に当てる>のが弁当の語源」「京都人は『祇園祭』の間、胡瓜を食べない。それは、祇園祭を行う八坂神社の神紋が胡瓜の切り口によく似ているから。ただそれだけの理由」「<旨い>は<甘い>から派生したと言われているように、食事はある意味<甘み>を愉しむもの。<甘み>は人の気分を昂揚させるが、いつまでも昂ぶっているわけにはいかない。<食>から次の時間へと切り替えるための切っ掛け。<食>によって昂ぶりを抑え、心を鎮めていく。それが実は<苦み>の役割」のあたりはかなり驚いた。なるほどなぁ。やはり知るということは面白い。