今年41冊目読了。明治学院大学法学部専任講師の筆者が、初の本格的な対外戦争を日本の指導者がどのように遂行したのかを掘り下げる一冊。
渡辺延志「日清・日露戦争の真実」を薦めてくれた朋友が薦めていたし、興味が湧いたので読んでみたら、なるほどこれも面白い。
アジアを変えた戦争として、筆者は「清は西洋諸国の進出を受け、強いられるかたちで近代西洋の秩序に取り込まれた。ただ、清は依然として東アジアにおいて圧倒的な存在感のある大国だった。その地位を変化させたのは、アヘン戦争でもなくアロー戦争でもなく、日清戦争である。」と指摘。
その前提として「朝鮮に対する清の政策が積極化した背景にあったのは、明治日本の登場である。清にとって、近代国家形成を進める日本は脅威であり、属国たる琉球の消滅は衝撃だった。そしてそれは、より広い文脈から見れば、清の近代への対応・対抗の一環であった」「清は一元的に強力な国家の軍隊を有していたわけではなかった。そして李鴻章の軍を合営と考えるても、数や外形はともかく指揮・訓練などの点で問題を抱えており、李鴻章が自覚していたように、あるいは日清開戦前にイギリスが看破していたように、実際に本格的な対外戦争を遂行するのに十分な内実を備えていなかった。清側の軍事態勢の不備は、日清戦争で表面化することとなる」という状況があった、と述べる。
さらに日清戦争の原因としては「根本的には、日本と清の世界観が相容れなかったために起こった戦争である。清は、朝鮮は属国であると位置づけ、日本は、朝鮮は独立国であるとして清の支配的な影響力を排除しようとした。そしてより直接的には、日本が清への対抗を意識して軍拡や軍事体制の整備を進めたことで、開戦の可能性が高まった」と主張する。
伊藤博文の考えでは「対清協調と朝鮮の独立扶持は矛盾していない。むしろ、その両方の政策によって東アジア情勢は安定すると考えていた」が、「清にとって朝鮮は属国である。そして一八八〇年代、清の朝鮮に対する影響力は強まっていた。清からすれば、朝鮮独立扶持というのは、清や、清を中心とする秩序への挑戦であった。伊藤は結局、対清協調・避戦志向を抱えながら、首相として対清開戦に向かっていくことになる」という流れは、その後の伊藤が殺害されることになる事実を知っていると、いろいろ考えさせられる。
また、当時の政府首脳の動きとして「政府内もしくは政軍関係の潤滑油として皇族を利用することは、明治国家における一つの知恵」「明治天皇は外交に関しても軍事に関しても現状がどのようになっているのか知ろうと努め、かつ細かいことによく気づき、近臣を政軍関係者のもとに遣わしてさまざまなことを尋ねた」「伊藤首相の指導力が発揮され、日清戦争中の日本の政軍関係は基本的に協調ないし相互補完的であった」というところも見逃せない。
講和の段階においては「李鴻章は、伊藤博文との関係性を活用して、清にとってより有利な条件で講和しようとしていた。ただこの講和交渉においては伊藤が李に特段の同情や厚意を示すことはなく、むしろ李との個人的な関係性を、清に速やかに諾否の決答をさせるために用いた」というのは、寡聞にして知らなかった…
三国干渉については「日本にとって問題なのは連合干渉の発生であり、ロシアやイギリスの単独での申し入れならば乗り切れると考えていた」が、「利害関係の薄そうなドイツが積極的に干渉に関わることは、日本政府内で十分に考慮されていなかった」と言及。しかし、意外にも「日本の政軍指導者は戦時中、いつ列強による干渉が起こるかわからない、場合によっては武力を伴う干渉がおこなわれるかもしれないと警戒し続けていた」「日本には守るべき利益(朝鮮独立や巨額の賠償金、台湾割譲)が他にあったために、三国との戦争は避けるという条件を早々に固定し、対三国では妥協的な判断をする傾向を強めた」だと指摘し、現代で学ぶ感覚とはだいぶ違う。
戦後処理については「日清開戦時点でこれといった朝鮮政策を持ち合わせていなかった日本政府は、内政改革策をとったもののその限界に直面し、朝鮮に関していかなる政策をとればよいのかわからなくなってしまった」「閔妃殺害事件後、外交方針として非同盟・日露協商路線が形成され、朝鮮を巡る日本政府の方針はようやく定まりつつあった」と考察する。
その後、義和団の乱が起こり、「ロシアによる満州占領は韓国独立の危機であり、それはすなわち日本にとっての危機であるという論理が日本政府内で確立していった」。
日本が戦った初めての近代戦。確かに、ここについてはもう少し掘り下げて考察した方が、その後の大日本帝国、そして敗戦後もなお続く日本独自の思考の通奏低音を感じ取ることができるのかもしれない。