世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】千田嘉博「城郭考古学の冒険」

今年108冊目読了。奈良大学文学部文化財学科教授の筆者が、城を考古学的に研究することとその可能性を熱く語る一冊。


城ファンの分析と、その考え方について「多くの方がウォーキングなどで野外で体を動かす活動を楽しんでいる。自然のなかで体を動かすのは本当にすばらしい。しかし自然を感じるだけではもったいない。そこに城を加えれば、知的な活動が組み合わせられて、人生はより豊かになる」城ファンは「1)心身の自己管理ができていて2)自然に親しむ繊細な感性を持ち3)歴史を熟考する知性をそなえる、ということになる」と述べ、「誰かが書いた小説や論文を通して戦国の人々を想うのではない。自分自身が現地に立ち、四百年以上前のオリジナルな歴史史料/資料である城跡を読み解いて考える。こんな刺激的な歴史体験の方法が他にあるだろうか。だから城の探検はやめられない」と熱く語る。


信長の城づくりについて「戦国期拠点城郭から近世城郭への変化の本質は、階層的・求心的な城郭構造の成立にあった」「信長は、はっきりと大名中心の権力を目指し、城のかたちを変えていった。だから信長は、いち早く本丸を頂点とした階層的な城郭プランを達成した」「信長は戦国の世に終止符を打つために、既存の権威に取り入るのではなく、信長を頂点に武士たちが結集した新たな社会を目指した。だからこそ信長は、自らを絶対的な超越者として人びとに見せつける必要があった」と、その構想を捉え「城のかたちを読み解くことで、築城自体と社会の特質を私たちは分析できる。ただ戦いを読み解くものとして城を捉えるのは適切ではない」とする。


秀吉については「天皇を補佐するにしては、大坂城は京都から離れすぎで、政権の本拠とするには適当な城とはいえなかった。そこで秀吉は政権の『公』の城として京都に聚楽第をつくり、その城を関白秀次事件で壊してしまうと、次に伏見城を表向きの政権本拠地とした。その一方の大坂城は豊臣家の『私』の城であった」。家康については「浜松城の分析から、強力な家臣たちはそれぞれの分立的な権力を備え、家康への一元化に抵抗した。家康はかなりの家臣のコントロールに苦慮したのではないか。こうした強力な家臣と家康の分立的な権力講座は、家康はの駿府城はの移転、最終的には江戸城への移転によって解消された」と指摘。これは自分には思いもよらなかった。
かくて「わたしたちの城のイメージは、まさに三人の天下人が活躍した16世紀後半から17世紀初頭の、わずか60年間の活動によって定まった。城は現代でも地域のシンボルであり、世界に日本の歴史と文化を印象づけている」という状況になった。


「いくらイメージが湧くとしても、史実と異なる誤ったイメージを与えるのは問題である」としながら「姫路城は大天守と小天守が連立した複雑な構造が有名である。しかし天守に登るだけが姫路城の楽しみ方ではない。いかに攻め手を天守にたどり着かせないようにするか、幾重にもめぐらした守りのくふうを退官するのが、姫路城の本当の凄さを理解するカギになる」と述べるのは、イメージと事実の積み上げという両方の側面を筆者が大事にしていることがわかる。
「歴史を考えるのに、本から学ぶのは大切である。しかし自分自身で城を訪ねて、本物の城から五感で考えるのも、とても大切である」というのは、筆者の貫かれた哲学で、読んでいて爽快。


そして何より「生きている中でどれほど感動できる『もの』『こと』に出会えるかは、とても大切なことだと思う」という指摘はまさに至当。それを見つけるには、とにかく色々学びながら体感してアンテナを広げる、という事しかないんだろうな…