今年32冊目読了。恐怖小説の代表作の一角を占め、かつ、人間の心の奥底に潜む悪徳の恐ろしさを抉り出す一冊。
あらすじについては、誰もが周知といってもいいくらいだが、実際に読んでみると、そのあまりにも骨太な構成、精緻な状況描写が迫力を生む。善悪の二面性は、どんな人間も持ち合わせている要素だが、それを分離するというアイデアをここまで練り込んだところが凄い。また、だからこそ、誰が読んでも「自分の闇の部分」を見せつけられ、恐怖に引きずり込まれるのだろう。
また、人間心理の原則も筆者は精通している。「邪悪な気持ちに対し、『少しくらいいいだろう』という言い訳はいくらでも成立する」「言い訳に屈し、邪悪を楽しみだすと、どこまでも坂道を転げ落ちていく」「いったん切り離しても、やはり悪の魅力にはあらがえない」と、話の流れでその心理を切り刻まれていくところがなかなか痛い。勉強、禁酒禁煙、ダイエットなど、ありとあらゆる「努力」に対して抵抗する「サボる気持ち」は、すべからくこのストーリーに当てはまるといっても過言ではない。人格が乗っ取られる、という究極まではいかなくとも、誰もが体験済みの感覚故に、全世界で読者の心をつかんでいるのだろう。
主人公の友人である弁護士が「ストーリーテラー」なのだが、単純に彼が主人公とやり取りをするだけでなく、主人公と反目する医師も話し手として絡みつつ、主人公の独白も絡みつつ、という複雑な話し方をすることが、「それぞれの眼から見た事件(というか、もはや事故だ)」を浮かび上がらせて、作品に重厚さを与えている。
若いうちに読んでおくべきだった、と思うとともに、未読の方は是非ご一読を。あらすじと結末を知っていても、本当に面白かったし、筆者の人間心理への洞察の鋭さに感嘆した。