世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】前田裕二「メモの魔力」

今年65冊目読了。SHOWROOM社長の筆者が、いま最も注目される起業家による渾身のメモ術を書き記した一冊。

〈お薦め対象〉
自分らしく人生を生きたいすべての人
〈お薦め度(5段階評価)〉
★★★★★
〈実用度(5段階評価)〉
★★☆☆☆

自分の問いは3つ。
『なぜメモを取ることが大事なのか?』には「より本質的なことに少しでも多くの時間を割く。願いを紙に書きつけることで、想いを持ち続けることができる。言葉は人の潜在意識に大きな影響を与える」。
『メモをとるときのポイントは?』には「記録ではなく、知的生産のためにメモを取る。弛まぬ知的好奇心と、知的創造に対する貪欲なスタンスを持つ。フレームワークとして①インプットしたファクトをもとに②気づきを応用可能な粒度に抽象化し③自らのアクションに転用する」。
『言葉を使いこなすときのポイントは?』には「一定の制約下で言語を届ける訓練を続けると、言語化能力は磨かれていく。言語化がうまい人の特徴は、抽象化能力が高い、抽象的概念に名前をつける力が高い。ストーリーを騙るときは、エピソードを可能な限り具体的に話し、間を恐れず使いこなし、インタラクティブに話す」。

書いてあることにはいちいち同意できるし、その熱量がすさまじい。「よくそこまでできるよな…」「それ、自分には無理だよな…」という観点から、実用度を極端に下げているが、せめて彼の1割、いや1%でもメモを取ることができれば、人生は変わるかもしれない。

「周囲を巻き込むのが言語でありロジック」「人生は、時間をどう使ったかの結果でしかない」「努力から習慣へ、という意識を持つ」など、心に残るコメント多数。それにしても、本当にこれだけやり切れば、確かに人生変わるよなぁ…圧倒された。

【読了】チェーホフ「ワーニャ伯父さん/三人姉妹」

今年64冊目読了。ロシアの文学家としては異例の短編小説・戯曲に活躍の場を求めた鬼才が、生きていくことの悲劇を描いた戯曲二編を収めた一冊。
 
期せずして「文学中年」として小説を読み進めている身としては、今まで何冊も「いや、こりゃ読むタイミングが遅すぎた…」というものにぶち当たってきたが、本書は閉塞感を抱えている中年が愚痴を言いながら読むのに最適。そして、何よりチェーホフ先生の冷徹な突き放しによって「あぁ、こんな愚痴を言って『俺の人生、どこで間違ったんだろう』『もう、今更遅いよな』って考えていても、何も改善しないんだよな」という事実を突きつけられることが秀逸。
 
どんな本にも「旬」というものがあるが、この本は中年にとってこそ旬である。特に、リンダ・グラットン「LIFE SHIFT」によって「人生100年時代」ということが叫ばれるようになった現代社会にいるからこそ、過去のパラダイムに囚われた「昭和おじさん・おばさん」に強烈なインパクトを残すこの一冊が非常に効き目がある。この年代であれば、ぜひ、一読をお勧めしたい。
 
冷たい中でも、チェーホフ先生の世間観察が光る記述を少々紹介しよう。
「世の中が滅びるのは、悪党のためでもなければ火事のせいでもなく、憎悪だとか敵意だとか、ささいな小競り合いのためなの…」「大事なのは才能があるってことよ。才能があるって、どういうことかわかる?大胆で、ものごとにとらわれない頭脳、とてつもなく広い考え方なのよ…」

【読了】ダニエル・デフォー「ロビンソン・クルーソー」

今年63冊目読了。このタイトルを知らないものはいないといってもよい、冒険小説不朽の名作。

「不遇により無人島に漂着し、そこで生き延びた男の物語」程度だと思っていたが、さにあらず。主人公、そもそも人生の選択において、いちいち控えめに言って「クズ」である(笑)。そりゃ、一人で無人島に漂着するわけだ(これは主人公自身も認めている)。そして、生き残りのための様々な知恵と行動によって、だんだん孤独なれど豊かな生活を得るようになり、かつては「くそくらえ」と思っていた神への信仰を確立していく、という「単純な冒険小説ではない心理をえぐる重厚さ」が面白い。

もちろん、そこここに「そこでこうなるかよ」というご都合主義的な流れがないわけでもない。ただ、それを割り引いても、通奏低音として流れる「人生において、あるものを大事にし、感謝する」という在り方は、非常に大事なものを今なお伝えており、故に今まで語り継がれてきているのだろう。

それにしても、28年の無人島生活を経てなお、実はこの本には続編・続々編があるという巻末の解説で驚愕した。主人公、どんだけ冒険クズ野郎なんだ(苦笑)。

とはいえ、この本は現代にこそ数々の教訓をもたらしてくれる。何より、久々に「寝る時間を削ってまで読み進めた小説」であった。以下は、特に心に残った言葉。

「物事の真の意味を知るようになれば、苦しみからの救済よりも罪からの救済のほうが、遥かに祝福すべきことだ」「ものがないという不満は、あるものに対する感謝の不足から生じる」「危険を目の前にしたときの不安というものは、危険それ自体よりはるかにわれわれを戦慄させる。われわれを大いに苦しめるのは、危険の対象ではなく不安のほうなのである」「人生において私たちは必死になって不幸から逃げ回る。それでも不幸に陥ることがあり、そうした状況はこの上なく恐ろしいことではある。しかし、それがかえって救いのきっかけとなることも多い。私たちが苦境を脱するのは、まさしくそのような救いによってなのだ」

【読了】サン=テグジュペリ「戦う操縦士」

今年62冊目読了。フランスの作家であり飛行家の筆者が、第二次大戦下でドイツと戦うフランスの偵察飛行を描き、そこから感じたさまざまなことを記した一冊。

これは、現代社会においても必読書だ。最初のうちは、ナチスドイツに対して地滑り的崩壊をきたしているフランスでの無駄な偵察飛行への不満などが述べられているが、死線を超える中で、その思いは圧倒的な考えに至る。最後に筆者が練り上げて辿り着いた「信条(クレド)」は、人類が達した叡智の光であり、発刊当時から「ヒトラーの『我が闘争』に対する民主主義からの返答」として高く評価された。

記述の巧みさはもちろんのこと、筆者の信念が素晴らしく心を揺さぶる。「自らの《存在》を築き上げるのは言葉ではなく、ただ行動だけなのだ。《存在》というのは言葉の支配下にあるのではなく、行動の支配下にある」「私は信じる。個別的なものへの崇敬は死しかもたらさないことを。─それが築くのは類似に基づいた秩序でしかないからだ。(中略)したがって私が戦うのは、それがだれであれ、他の習慣に対してある個別の習慣だけを押し付ける者、他の国民に対してある個別の国民だけを押し付ける者、他の民族に対してある個別の民族だけを押し付ける者、他の思想に対してある個別の思想だけを押し付ける者だ」という言葉は、今なお(いや、今だからむしろ)燦然と輝いている。

不安と分裂が渦巻く21世紀にこそ、読みたい一冊だ。必読書。

【Nスペ「映像の世紀プレミアム」の迫力から。】

かねてより大ファンである「映像の世紀」。「新・映像の世紀」も面白かったが、さらにその二つをテーマで組み合わせる「映像の世紀プレミアム」。これがまた面白い。隠された秘話を映像で解き明かしていくというアプローチがワクワクする。そこから、感じたこと。

《ポイント》
●影像と語りには、インパクトがある。
このシリーズが好きなのは、「衝撃的、または迫力ある映像」と「感情を抑制したナレーター(山根基世山田孝之)の語り」の組み合わせの落差で、メッセージを力強く与えてくる点だ。人間の脳は、落差に弱いので、その点をうまく突いている。

●既存の情報をひっくり返す。
これも、このシリーズの楽しみ。今回は「ミッドウェー海戦」でそれを見せつけられた。自分は、これまでの定説「南雲中将が、航空戦用の爆弾と対艦用の爆弾を付け替えるのに時間がかかった」のが敗因と思っていたが、「偵察飛行の慢心により、南海の雲の下の低空飛行を怠ったことで、米国空母艦隊を見逃した」というのは初めて知った。

《問題の所在》
●最初に入ってきた情報で、認知が固着してしまう。
人間は、どうしても最初の情報を大事にしがち。なぜなら、脳はサボり癖があるから(考えると、猛烈にエネルギーを使う点からも、過労を避けるための生存本能ではあるが)。
しかし、それではまさに「認知固着」から「思考停止」に陥ってしまう。常に、自身の前提を疑う思考の柔軟性を持ち続けることが大事だ。

他方、認知がひっくり返るという場合も、「影像(視覚情報)の力強さ」のインパクトにはどうしても弱い。「それ、視覚に騙されていないか?」という疑問の持ち方も、また大切になってくる。

自戒の念を込めて。

【読了】ラフカディオ・ハーン「怪談」

今年61冊目読了。ギリシャ生まれのイギリス育ちにして、大の日本ひいきの著者の不朽の名作。
 
あらすじはなんとなく知っているものが多いが、改めて読んでみると「へぇ、耳なし芳一って、こんなディテールだったのか」と気付かされたり「え、このストーリーのタイトルは『むじな』なの?全然勘違いしていた」とびっくりしたり「ろくろ首って、自分がイメージしていたものと全然違う!!」と愕然としたり。こういった「あらすじを知っているようで、実は読んだことがない」本を読むのは、なかなか面白い。
 
そして、何より凄いのが、日本人よりも繊細・精緻に日本の情景を描写している筆致。これを味わうだけで、「あぁ、自分って、日本のことをまだまだ知らなかったんだなぁ」と感じることができる。「自分のことは、見えてない」。それを痛感することができる(あえて『できる』と表現したい)。
 
短編集なので、とても読みやすい。ネット記事ばかり見ていて、ちょっと読書から離れていたな…という人にもお薦めしたい。

【読了】ヴィクトル・ユゴー「死刑囚最後の日」

今年60冊目読了。フランスの誇る名作家が、死刑囚が自らの最後の日を迎えるまでの内面の揺らぎと不条理との向き合いを描き出した一冊。

序文、「ある悲劇をめぐる喜劇」をあわせて読むと、筆者の死刑廃止への強烈な主張を受け止めることができる。しかも、ありがちな道徳論、「人の命は地球より重い」という所謂「思考停止ワード」ではなく、死刑囚自身の心の動きという観点から死刑反対を叫ぶという技量は、さすがとしか言いようがないし、思わず自らが死刑囚としてその監獄にいるような心境に引きずり込まれる。これを読んだら、「やっぱり、死刑って不道徳で廃止すべきだ」という気持ちにならざるを得ない。

…しかし。これが執筆・刊行されたのが1829年。それから190年経っても、進歩したのは「死刑の方法(公開ギロチンから絞首刑)」だけで、死刑については日本は相変わらずってのはどうなんだろうか。この本を読むと、そういう感想を抱かずにはいられないし、今なおこの本が人類にとって色褪せていないことのほうが問題にも感じる。
他方、ユゴーもそれはそれなりに当時の常識に囚われており、「恥ずべき装置(ギロチンのこと)はフランスから立ち去るだろうし、私たちはそう期待する。(中略)ギロチンは文明の梯子を数段降りて、スペインやロシアに向かうがいい。」…いや、ユゴー先生、そら、あかんで(苦笑)。ま、未だに人種でいがみ合う21世紀の人類も大差ないってことでもあるが…

ちなみに、1832年の序文で、自分の心を掴まれた言葉がある。「私たちはしばしば、理性がもたらす根拠より感情がもたらす根拠を好む。それを忘れないようにしたいものだが、この2つは常に補い合うものだ」。…まさに然り。