世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】岸本裕史「見える学力、見えない学力」

今年96冊目読了。神戸市小学校教諭として、基礎学力を実践・研究の両面から解明し、教育士となった筆者が、「まともな学力を身に着ける」ということのツボを教える一冊。


「生きる力としての基礎的な能力は、第一が基礎的な体力・運動能力。第二が、感応表現能力。第三が基礎学力」としたうえで、「たしかでゆたかな基礎学力は、その人の人生を、たしかで、ゆたかなものにしていく」と述べる。


見えない学力を伸ばす前提として「自由で温かい家庭は、子どもの知的能力をすくすくと開花させるうえで、最も大切な土壌」「子どもの思考力は、ゆたかな言語環境の中で、その素地が培われる」「たくさんのことばを知っているということは、それだけ一般化・抽象化できる能力の素地が高まるということ」とする。
そのうえで「誠実でていねいな話し方は、単文的な言い方ではなく、無意識のうちに、複文的な言い方になるから、子どもの言語能力の向上にも資する」「読書好きの子は、書き取りと計算さえしっかり練習しておけば、まちがいなく上位の成績を得ることができる」「本というものは、眼の前の現実や、ふだん気にもとめないでいた現象を、一度立ち止まって見直すきかっけを与えてくれる。事物や現象の奥にひそむ本質を見抜くきっかけを、すぐれた読み物は提示してくれる」「ほんとうの創造力は、ゆたかな想像力を母とし、たしかな学力を父として生み出される」「遊びは、たんに学力をつけるというだけではなく、気力も強め、知的能力の多面的な発達を促進する」「しつけは、基本的な生活習慣の確立、思いやりを育てる、適度に仕事をさせる、家庭学習をさせる」などを提言する。「家庭学習の習慣をつけるうえで、最も心しなければならないことは、親自身がゆとりをもって功を焦らない」「見えない学力は、親の文化的水準×子どもの経験の質」の忠告や「家庭でのことばづかいとしつけは、見えない学力のうちの、他律的文化」「読書と遊びという自律的文化を満喫して育った子は、流暢で、柔軟性に富んだ発展的・力動的・創造的な発想や思考に秀でている」という洞察は、子を持つ身としてはひしひしと伝わってくる。


他方、見える学力の伸ばし方についても述べる。「わずかの読みたがえもなしに、完璧に音読させるには、相当の期間、何十回となく繰り返して練習させなければならない。でも、それをやりとげたとき、子どもは大きな自信を持つようになり、努力することの大切さを体得する」「書くことぬきには、学力としては定着はしない。書く仕事というものは、習った教材をいま一度想起し、それをノートの上に再現し、記憶したとおりに視覚化していく」「漢字を正しく書きこなすには3つの能力が必要。1つの漢字がどんな要素から成り立っているかを見分ける力、それを筆順に従って組み立てていく力、位置についての明確な認知能力」「何十回、何百回と、数に関係のあることがらを見聞きしてこそ、はじめて数への関心なり、興味が生まれてくる」「家庭生活の中で、知的雰囲気を醸し出す時間を設けて、本に親しむひとときを過ごすことは、子どもの知的発達に資するだけでなく、家じゅうみんなの文化的水準を引き上げることにもなる」あたりは、なるほどと感じる。


人を育てるうえで「やればできたという自信は、さらに高い学力を獲得していくための起動力」「自分の学力・能力が伸びるのは楽しい事。それが苦行に感じたり、懲役なみの苦役になったりするのは、そのやり方に致命的な欠陥があるから」「子どもは、親と教師の知らないこと、不得意なことで打ち克ってやろうと深層心理面ではねらっている。そのエネルギーが発揮されるよう手を差し伸べてやらなければならない」あたりの心構えは、仕事にも直接役立ちそうだ。


「知的能力の中核は言語能力。俗に頭がいいとか、高い知能を持っていると言われているのは、言語を思考の道具として自由に駆使したり、多彩に概念を操作できる能力が優れているということ。この能力は、生まれてから後の言語環境のよしあしと学習によって決まる」は、まったく同感。「安心できる仲間との語らいこそ、大脳の古い皮質の疲労を治す特効薬」「人間が、一定の行動を無意識に繰り返せるようになるためには、大脳細胞に同じ刺激や興奮が、百回ばかりあたえられなければならない」のあたりも、参考になる。


そして、本題とは異なるが、「いま勤めているところで、別の価値観なり、技術体系なりをマスターすれば、精神的・文化的に、いままでとは異なった新しい内面世界を築くことができる」は、自らの経験上、本当にそうだと思う(というか、自分の場合、過去の努力が貧弱すぎた…)。改めて、心したい。