世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】西岡研介「トラジャ」

今年53冊目読了。ノンフィクションライターの筆者が、JR東日本・北海道・貨物を牛耳ってきたJR革マル30年の呪縛と、労組の終焉に至る道程を描き出す一冊。


図書館で借りて、そのぶ厚さに驚いた。本文で600ページというハードカバーは、なかなかのインパクトがある。そして、その記述の分厚さにも改めて驚愕。面妖、奇怪な革マル派の考え、行動がまざまざと浮き彫りになっているとともに、その恐ろしさを痛感させられる。


なぜ、JR東日本革マル派に屈したのか。「詰まるところ、鉄労の脱退を阻止したのは、国鉄分割・民営化という<行革の成果>に傷がつくことを恐れた時の政府だったわけだ。一方の松田氏は、松崎氏を頂点とするJR革マル排除に向けて志摩氏をけしかけた末、形勢不利と見るや、ハシゴを外したのである」は、なかなか深い読みだと感じる。


革マルの戦術については「積極攻撃型組織防衛論。組織内部の『敵』を見い出し、その『内部の敵』を徹底的にたたくことによって組織を強化し、外部の攻撃から組織を守る、という理論だ」とし、その限界は「JR東労組はこの30年余の間に、その独善的で傲慢な体質から、内部に潜在的な『敵』を大量に生み出してきたのだ。それが彼らには見えていなかっただけで、『敵』が顕在化したときには、その数のあまりの多さに、もはや為す術がなかった」と断じる。
また、革マルのリーダーであった松崎明については「かつての腹心や側近が力をつけてきたことに怯え、人心が彼らにたなびくことに嫉妬し、次々と部下たちを切るという松崎氏の姿は、過去の歴史に浮かんでは消えた、老いてなお権力の座にしがみつこうとする独裁者のそれと重なる」と斬って捨てる。


JR東日本の逆襲については「JR革マルにはアメ玉を食わせ、時間を十分にかけ、次第に牙がなくなるように対応し、ついには牙がなくなってしまう、というような遠大な計画が、JR東日本の対革マル戦術。ようやく実ったのが、2018年の労政転換だったわけだ。が、その間の20年でJR東日本という会社と社員が払った犠牲は、あまりに大き過ぎた」と総括する。


とはいえ、JR東日本は、まだ労政転換しているだけマシだ。他方、いまだにJR革マルにいいようにされており、事故が多発しても組織正常化が図れていないJR北海道は、さらに根深い。これについて、幹部OBの「効率化を進めたい会社と、『一企業一組合』を実現したい組合双方の思惑が一致した結果、労使癒着の構図が生まれた」「これらはすべて、JR北海道という経営基盤がぜい弱な会社が、生き残るためにやらざるを得なかったこと。部外者からすれば、行き過ぎた『労使癒着』、『歪な労政』に見えるかもしれないが、我が社は発足当初から、生き残りのための労使協調、あなたからすれば『癒着』の道を選ばざるを得なかった」のコメントは重い。
しかし、筆者が指摘しているとおり「JR北海道経営陣の”思い”が組合側に利用され、最大労組を偏重する歪な労使関係をつくり出し、それによって生じた社員同士の分断が、結果的に鉄道事業者にとっての至上命題である『安全』を脅かす要因の一つとなった」「組合に対する経営側の卑屈な態度は、一般の社員に愛社精神を失わせ、彼らから仕事に対する誇りを奪い、会社全体に無気力と厭世観を蔓延させた。それが、あのレール異常放置や検査データの改竄などの不祥事や、相次ぐ事故という形となって噴き出した」ということなのだろう。


大量脱退により、事実上内部崩壊したJR東労組についての一般組合員の言葉は生々しい。「いまどき自分たちの要求が通らないからといって『ストを打つ』などという時代錯誤ぶりにはうんざり」「僕が嫌だったのは、組合の思想ではなく、職場の組合役員連中でした。正直、ウザいというか。はっきり言って、仕事できない奴が多いんですよ。それでいて組合活動になると、目の色が変わるというか、俄然張り切っちゃって、ああしろ、こうしろと偉そうに自分たちに指図してくる。それが何より嫌でしたね」あたりは、リアルなところなのだろう。


筆者は、意外にも、労働組合を否定しているわけではない。革マルに取り込まれた異常な組合活動を批判しているだけであり、「労働組合は『官邸』『労基署』『SNS』に取って代わられた」としつつ「企業を経営する側も、『持続的な発展』という観点から考えると、経営が順風満帆でない時のことこそ、考えなければいけない。その時に、会社側に耳の痛いことを言ってくれる従業員がいてくれるというのは、ものすごく大切」という言葉を引用。JR東労組の崩壊が「今後の日本の企業内労組の在り方、さらには『労働組合』そのものの、存在意義をも問うている」とみている。


正直、知識ゼロでは絶対に読むべきではない(というか読んでも理解不能でしかない)本。だが、過激派、国鉄からJRに至る労働運動について若干なりとも知識があれば、これは非常に読みごたえがある。そして、企業で働くということ、そしてそれに従業員がどのように関わっていくのか。労働組合というシステムを見つめ直すきっかけになるかもしれない。