世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】チャールズ・ディケンズ「クリスマス・キャロル」

今年21冊目読了。19世紀に活躍した筆者が、クリスマスを切り口に人間の過去・現在・未来を見つめる名作。

守銭奴スクルージといえば、ヴェニスの商人に出てくるシャイロックと並び称されるほどのインパクト。そのスクルージが、4人の霊とのやり取りによって、不思議な体験をすることを通じて心が揺さぶられていく…というのが概要。まぁ、あまりにネタばらしするのは本意ではないので控えるが、その結末は、個人的には「おいおい…」と感じてしまう(←ひねくれ者)。

ただ、「人間は経験という時間の連なりによって自らの行動を知らず知らずのうちに縛られている」「破滅的な未来を目前にしないと(いや、目前にしてもなお)なかなか人は変化することができない」など、きわめてU理論の提唱する原理と同様のことが記されている。これは、驚きと共に「やはり真理は昔から見えており、それを学ばず体感しようとしない人類は何度も同じミスの罠に陥るんだな…」と、なんとも複雑な気持ちになる。

そして、周囲から見ると「なんだその行動は?!」と見えることでも、本人からしてみれば「いや、周りがみんなわかっていないだけだ!!」という認知のズレが発生している。このあたり、本当に巧みに描かれているなぁ、と感嘆する。

余談だが、西洋のクリスマス観を大きく作り上げた、という点でも背景がわかって面白い。

【読了】瀬戸賢一「時間の言語学」

今年20冊目読了。言語学者にして大阪市立大学名誉教授の筆者が、時間という概念をメタファーから読み解こうと書き記した一冊。
 
〈お薦め対象〉
時間という概念、そしてメタファーに興味のある人
〈お薦め度(5段階評価)〉
★★★☆☆
〈実用度(5段階評価)〉
★★★☆☆
 
自分の問いは3つ。
『時間という概念の特徴は?』には「『動く時間』は過去が前で未来が後ろ、『動く自己』は未来が前で過去が後ろ。時間という概念は、明治初期に西洋時計という道具と共に導入された。『とき』は昔からあり、『時間』は計量思考がまとわりつく」。
『時間とメタファーの関係は?』には「現代釈迦は、『時間はお金』というメタファーにコントロールされている。辞書の記述すら、時間についてはメタファーに頼っている。時間のメタファーの中審義は『流れ』」。
『我々は時間をどうとらえたらよいか?』には「時間は命と捉える。時間を直線的にとらえず、自然の概念に基づいたゆったりとした時間の環を回復させる。ときが熟するのをゆっくりと待つ」。
 
正直、途中まではかなり退屈な雰囲気の本だった。言語学というのが、概念を扱っている部分であり、きわめて曖昧なのでわかりにくいなぁ…と思いながら読み進めていた。しかし、終盤になって一気に面白くなった。筆者の提唱するメタファーは、非常に理解できる。「時間が運動と連動してみなされるのは、天体の円環運動が背景にある」「日本語はナル型、英語はスル型」など、なるほど納得の記述も多い。
 
ただ、一般的にお薦めできるか、というと疑問符。ま、筆者ももともと幅広い読者層なんて前提にしていないだろうし、あくまで興味があれば、という程度。

【読了】アーサー・コナン・ドイル「失われた世界」

今年19冊目読了。名探偵シャーロックホームズを生んだ筆者が、南米の秘境への探検を描き出した小説。

世に出たのが第一次大戦前の1912年。それから100年以上経ち、もちろん探検は数々なされ、様々な生物多様性が見つかっている。しかし、そんな今でもなお、まったく色褪せない探検物語。動植物の描写の細かさ、生き生きとした雰囲気もさることながら、探検隊のメンバーの個性が非常に際立っていて、これがこの小説を一世紀以上生き残らせてきたんだろうな、と感じる。研究者同士の意見の対立、ひと山当てようという冒険心、そして主人公のやや邪な動機。このほかの登場人物も含めた心理描写と行動描写が実に面白い。

個人的には、探検の「後日譚」がまたスパイシーで楽しい。研究者の論敵とのバトル、主人公の思い描く姿と現実のギャップ。特に後者は「まぁ、さもありなん」という感じである。やはり、人間、自らの強い使命感でなく、甘い欲望で動くとろくなことはない。とはいえ、何がきっかけで人生というものが違う方向に転がっていくのかわからないのもまた、事実。

これを読むと、チャレンジする勇気が湧いてくる。元気のないとき、怯えにとらわれている時に読むと、効用が大きい一冊なのかもしれない。

【読了】ジャン・コクトー「恐るべき子供たち」

今年18冊目読了。麻薬中毒にも陥ったことのある筆者が、独特の筆致で描く世界観と、その不思議な結末。

立ち上がりから、あまりにも現実浮遊していて、なんともモヤモヤしながら読み進む。しかし、終盤になると、それまでのゆっくりとした前段を一気に巻き上げるが如く、物凄いスピード感で進み、結末になだれ込む。

むしろ、現実浮遊しているからこそ、愛憎相半ばともいうべき感情を剥き出しに描き出しているように感じる。他者への憧憬、好意、それからくる負の感情、失いたくないという嫉妬心。コクトー自身が描いたという挿し絵とともに、人の感情の脆さ、そしてそれでもすがる気持ちを生々しく味わう事になる。いやはや、こんな話なのか…ネタバレになるので詳細は控えるが、「心が巻き取られて寂寞感が残る」という読了感はかなり独特だ。

人は皆、純粋な想いを抱いている。しかし、同時に傷つきたくないし、それ故に様々な経験と向き合わずに不合理に美化して折り合ってしまう。そんなことと向き合わされる、謎の小説だ。

ボリュームは軽いのだが、中身はかなり重い。心して読みたい一冊だ。

【男の一人飯ランチ。】

今日は嫁が幼稚園の集まりで不在、子供たちも給食・弁当。ということで、かなり久々に「男の一人飯ランチ」。余り食材から、食いたいメニューを作る。

<昼食>
・ツナの天津飯
・余り野菜の味噌汁


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所要25分。見た目がだいぶいけてなかったり、片栗粉と思って使ったのが小麦粉だったり(どうりでなかなかとろみがつかなかったわけだ)、と色々あったが、味についてはまぁまぁいける仕上がりになった。「天津飯かにかま」というのは思い込みなんだな。こういった「応用編」があるのが、料理の面白いところだ。

それにしても。一人飯となると、いつもできていない「料理を目で味わう」ということが、さらにできなくなってしまうなぁ…

【国宝検定:実は簡単だった!】

国宝検定の受験データが公開された。個人的には「たかがマークシート集計に3ヶ月もかけるのか?」という感覚だが…

男性63%と、女性受験者が多い世界遺産検定とはまるで逆の傾向。そして、試験会場でも感じたが、平均年齢49歳は、資格試験としてはかなり高い。40過ぎのオッサンが平均年齢を引き下げるとは、なかなかだ(笑)。まぁ、国宝って、年配者に受けのいい(←裏を返せば、若者は関心が薄い)言葉だからなぁ。

ところが、合格率を見て、仰天。
初級:95.1%
上級:78.2%
…をい。初級はともかく、上級で4人に3人受かるって、それは大盤振る舞いを遥かに超えているぞ。確かに、受けてみて「模擬問題やってりゃ解けるように設定してきたな(≒思ったよりかなり簡単)」とは感じたが。

受験者心理としては「資格は取りたいが、一定のハードルとしての難易度は確保して欲しい」というところだ。そうでないと、チャレンジする意味がない。学び、自己研鑽し、目標(資格取得)を達成する。そこに面白さがあるのに、「なぁんだ、この程度か…」と思ってしまうと、挑戦意欲が損なわれてしまう。運営側からしても、一発で合格されると、そのぶん受験料収入が減る。
そう考えると、世界遺産検定一級の「受験者の20%」ってのは、一定の理解ができるレベルだ。

で、今後の国宝検定を勝手に想定してみる。
〈パターン1〉
・第二回は滅茶苦茶難しくなり、受験者が減る。
・第三回以降、「それなり」の合格率に落ち着く。
〈パターン2〉
・第二回はとてもしょぼい規模で実施され、そのままフェードアウト。

どうも、パターン2になりそうな気がする。なぜなら、主催者である小学館としては、冊子「ニッポンの国宝100」の販促狙いであり、その売り出しが完了した以上、追加投資をするメリットが薄い。検定主催者の、試験終了後のまったりとした動きから、そのにおいが感じ取れる。

でも。この検定をきっかけに、国宝、ひいては日本の文化財に興味を持った者としては、継続して、国宝についての啓発を促し続けて欲しい。それは、ただ検定で儲ける、という事ではなく、日本の文化財保護に資する、という社会的意義を考えて(←勿論、持ち出しでは継続できないのもリカバリーできるが)。

受験者層からして、ネット発信力が弱いのがネック故、蟷螂の斧であっても、このブログでちょこちょこ国宝と国宝検定について発信していこう。それが、自分なりの「国宝の伝道師」としての役割だ、と勝手に自認して。

【国宝:雪松図屏風】

先日、昼休憩に国宝を見てきた。三井記念美術館では、1月に国宝が見られるのだ。来年は、職場が移転するので昼休憩では到底見られなくなるので、このチャンスに。

〈雪松図屏風〉
円山応挙が18世紀後半に描き、三井記念美術館所蔵。陽光にきらめく雪の中に3本の松だけが迫真性をもって描かれる。
応挙は1733年に丹波国の農家に生まれ、京都の高級玩具商の尾張屋に奉公。主人・尾張屋勘兵衛のつてで石田幽汀に絵の基礎を学び、宝鏡寺蓮池院尼公に仕えてパトロン円満院祐常を得て狩野派や既存の画法、中国・西洋絵画まで学び、本草学(博物学)や中国写生画の流行を背景に、写生(ものの形を完璧に写し取ることを通じて本質に迫る)に目覚める。そのわかりやすさは、宮廷から富裕町人層まで幅広い人気に。与謝蕪村とも交流があり、後に円山四条派という流派を生み出し、源碕、長沢芦雪などの弟子が活躍した。


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右隻には一本の老松、左隻には二本の若松、画面下方の金砂子があらわすまばゆい雪の輝きが、粉雪のイメージと重なる。


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老松は上部の松叢から枝が真っ直ぐ伸び、迫り来る視覚的効果を生んでいる。若松は、左が少年、右が青年のごとく樹齢が異なり、左手前から右奥へ伸びている。これにより、三次元的空間を感じさせる。
雪は、金砂子で光の反射を、白い紙の色という塗り残しで表現。
松は、輪郭線を使わず、筆全体に淡墨を含ませてから穂先に濃い墨をつけ、筆を寝かせて描く「付け立て」と、モチーフの片側を徐々にぼかす「片ぼかし」で描く。
離れてはじめて背景のような迫力を持つため、応挙みずから「遠見の絵」と呼んでいた。

やはり、本物の国宝は、いい!!近づいてじっくりと、そして応挙が言うように遠くから。屏風の放つエネルギーに、鳥肌が立つ。本物が持つ価値、というのは、こういうことなんだろうな。

絵画、工芸品系の国宝は、公開タイミングを狙わないと拝見できないのが難点だが、実際に見ると、それだけの価値がある。豊かな休憩時間を過ごすことができた。