今年51冊目読了。33歳にして夭折した戦前・戦中の天才作家が命を削りながら残した短編名作集。
元来、小説はあまり読まない。しかし、この本は別だ。「名人伝」は、高校時代に教科書で読み、「訳わからんなぁ」と思いつつも妙に惹かれた記憶がある。それから、何度か読んでいる。
しかし、40を過ぎて読んでみると、やはり山月記のほうに強く惹かれる。もちろん、名人伝の辿り着く凄まじいまでの悟りの境地も、非常に魅力的であり、年を重ねるごとにその迫力、色鮮やかさに驚かされる。が、やはり、人生の経験を重ねていくと、山月記の主人公・李徴の迷い、嘆き、後悔先に立たず、という思いは深く胸を打つ。
「進んで師についたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。ともに、わが臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である」「事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とがおのれのすべてだったのだ」というあたりは、読んでいたはずなのに、全く読み飛ばしていた…そして、今だからこそ、それが切々と感じられる。それでは遅いのだが…
いや、まだ虎にはなっていない。だからこそ、恥も自尊心も捨てて、自らを伸ばすことに集中する必要があろう。
もちろん、李陵、弟子も非常に読みごたえがあるし、その表現の巧みさ、情景と人心の描き出し方の見事さには何度読んでも感嘆の息を漏らすしかない。典雅な古代中国を、見事な日本語で表した中島敦という才能を、今なお楽しめる、そして切実に感じることができることは、本当に素晴らしいことだ。
そして。次読み返してみた時に、どう読めるのか。この本は、何度となく読み返して、自分の心と魂のありようを照らしてくれる名著だ。短編なのに、本当に恐ろしいエネルギーがある…