世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】小林康雄、中島博隆「日本を解き放つ」

今年107冊目読了。東大名誉教授と、東大東洋文化研究所教授の著書が、日本文化を読み解き、未来に開いていくことを考えた一冊。


非常に哲学的、かつ難解なやり取りが続き、その深淵まで理解できたか?と言われると、押し黙ってしまうようなレベルの本だ…とはいえ、いろいろ思索するうえでヒントになることは出てきている。


日本の特殊性として「火と水こそ、この火山列島の秘密の本質」「超人間的なロゴスか、神への信か、への突き抜けはなかなか日本では起こりにくい。そこを、禅がとてもうまくすくう。禅は、人間の心がそのまま無ですよという、大ロジックを出す。無心。心を否定しないまま、それが無であり全体である」「山海のあいだに、春夏秋冬の時間が循環的に回帰してくる」「神仏習合は、社会を一挙に飛び越えて全宇宙と自分との関係をどう構築するかに関する見事なハイブリッド操作。一方には具体性や現場性があって、他方には抽象的なけっして見たこともない観音や如来が出てくる」などを挙げる。


日本語については「声のインティマシー(注:近接性)と文字のインテグリティー(統合性)、相反するこの2つをどう関係づけるかというときに、実相をもってきた。この空海という人の言語感覚のシャープさというか、シャープさというのじゃ追い付かない、まさに日本語はそこから生まれてくる」「日本語は複合言語。平仮名、カタカナ、漢字、さらにはアルファベットまで並んでいる。これほど異質なものが混淆するハイブリッドなエリクチュール」「日本語は関係の記述を切り離して、異なったものをくっつけて平気」と述べる。


日本人の身体との向き合い方については「からだとこころが一体になっているような道の文化とでも呼ぶべきものが、日本にはある」「海を渡って運ばれてきたことばが器のなで発酵し、もはやこの先の大海は渡れないので、からだへと変容する」「人間のからだは根源的に、天地の垂直性に依拠しており、そこでは天に向かって飛翔するベクトルと大地に向かって下降していくベクトルがせめぎあっている。日本の文化は、からだの中心をもっとも低い、ほとんど座っている位置にもってくることで、極めて特異な文化をつくりあげた」「行為が無になる時点でなおかつ行為が起こっている」ということを指摘する。


その他の問題意識として「近代というのは、自由かつ無意味というなんともいえない微妙な問題を突き付けてくる」「近代的な人間がもっている『自由になりたい』というすごい拘束」「自分が置かれている状況の変化にただただつき従っている。その先に突破の瞬間があるかもしれない」などを提言するが、どれもなるほどと思える。


それ以外にも、数々の有益な提言がある。「知とは、知識ではなく、行為するものでなければならない。ここでの行為とは対話」「感じていても、それが言葉に結晶化しないと、使える概念にはならない」「ある種の変容が自分のなかに生じない限りは、絶対に知性は働かない」「人間は『礼』を通じて、つまり、『かのように』他者を遇することを通じて、変容するべきなのだ」「人間は変容していく存在であり、しかも単独では変容しないはずなので、他者と共に変わっていくあり方が見えるのではないか」「いまこそ、新しい人類的なレベルでの問いを顕在化させなければならないのに、ローカルに特殊な文化を輸出するだけでいいのか。日本と世界のあいだで、新しい普遍性を問うた戦後の創造者たちの問いの力を今一度、思い出すべきではないのか」などは、十分に留意してみたいところである。


とにかく重厚で、一筋縄ではいかない本。簡単にはお薦めしづらい、というのが素直な気持ち。