親父から40年来(恐らく3歳の頃にはもう言い出していただろう)聞かされた言葉に「無知は罪悪なり」がある。この言葉を信じて生きてきたのだが、ふと「ホントにその言葉だけか?」とヤフー先生にお伺いを立てたところ、「無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり」が正解だった。
…えーっと。そもそもこのソクラテスの本来の言葉をフルに知らなかった自分の無知が罪じゃないか(爆)。で、そういうことに仕事上で陥る危険について考えてみた。
《ポイント》
●口頭での伝聞は、情報の正確な引継が苦手。
もともと、言語は変化しながら伝えられてきた。というのも、「記録」ができないから。口伝承で伝えられているうち、その人その人の解釈が交じり、変容してしまうのだ。それはそれで意味深いことではあるが「正確な引継」という観点ではだいぶ問題がある。
●テキスト(原典)の確認が大事。
口語と文語で言うと、やはり「文語」が、情報が固着されているため正確である。世の中で「言った言わない」という話は山のようにあるが、それは「文章で残して、お互いに握る」ということをしておらず、自分に都合よく解釈してしまうから。なので、議事録なんて何の役に立つの?と言われると「後でテキストを振り返れるようにするため」である。
《問題の所在》
●権力者から「それっぽい事」を聞くと、思考停止をしてしまう。
ここでいう権力者とは、会社において「自分よりもかなり発言力の強い人」を指す(立場のみではない)。不思議なことに、仕事をしていると、指揮者の指示は有意・有益であるというバイアスがかかる(組織全体の圧力もある)。
そのため「そんなもんか…」と原典にあたることをせず鵜呑みにすることで、間違った伝聞が原則となってしまい、かつ引き継がれていってしまう。
たとえYahoo!やGoogleであっても「確認する」手間を惜しまない(仕事上であれば、規程や指示文書を見る)。これが、必要。
自戒の念を込めて。