世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】松島駿二郎「タスマニア最後の女王トルカニニ」

今年18冊目読了。旅行作家の著者が、オーストラリア・タスマニア島タスマニア人少女トルカニニが、はからずもタスマニア人絶滅に加担し、自ら最後のタスマニア人として生涯を終えた経緯をたどる一冊。


マヤやインカのように優れた文明を持ち合わせていたわけではない、自然の楽園タスマニア。しかし、ここでも先住民に対する圧倒的な植民地政策の悲劇が発生していた。ロンドンの貧しいレンガ職人ロビンソンが融和の名のもとに巧みに先住民に入り込むことと、好奇心旺盛なタスマニア人の少女が協力することが、その哀しい運命を導く姿が痛々しい。


そもそもの植民地政策からして「タスマニアの場合は産業革命の結果の人口の都市集中に対する人的ゴミ捨て場という要素も見逃せない」というひどいものである。それに乗っかったロビンソンも「金の力に打ち勝つことはできなかった。権力にも弱かった。犠牲になったのは、タスマニア人たちである」という体たらく。途中、先住民との融和を考えていた時期もあったイギリス人であったのだが、最後は金と権力に目がくらんだということだろう。そして、イギリス政府の姿勢もひどい。科学至上主義の名の下に、最後のタスマニア人の頭蓋骨を保存しようとしたのだ。筆者が述べるとおり「タスマニア人の絶滅に至る過程には目をつぶり、最後のタスマニア人の骸骨にのみこだわるのは、理性的反応とはいえない。サイエンスが平常の理性的判断力を失った時、極めてグロテスクな展開を見せるのは、中世の錬金術師となんら変わるところがない」。


他方、滅ぼされたタスマニア人の特性も冷静に見ている。「楽園の要件の1つは安定である。競争がなく、大きな争いもない。これを逆にいうと、前進がないという事である」「文字は記録として後世に残るために、社会の進歩を促す役割を果たす。文字を持たない文化は脆弱である。それらの民族は、歴史の中で一部が消滅していかざるを得なかった」という分析は当たっていると感じる。


そのほかにも「新しいもの、未知なるものへの純粋な好奇心は偏見をやわらげる」「日本の文化は過去においても、現在においても、外部文化の文化的同化の風土のうえに築かれていた」など、納得の記述が多い。そして、この本の核心は「だれも、ひとつの民族を他の民族と明確に区別する方法など持っていないのだ」。


読み物として(悲劇的ではあるものの)非常に面白いし、文化、文明、人類について考える契機にもなる良書。これは、一読をお勧めしたい。

L・フェスティンガー、H・W・リーケン、S・シャクター「予言がはずれるとき」

今年17冊目読了。スタンフォード大学教授、ミネソタ大学準教授、コロンビア大学教授の三名が、この世の破滅を予知した現代のある集団に潜入し、そこで起きる心理を学術的に検証した一冊。


サトウタツヤ「心理学の名著30」で紹介されていたので読んでみた。
「人々がある信念や行動に深くコミットするとし、明らかにその誤りを証明する証拠を得た場合には、ただ、さらに深い確信と布教活動の増大という結果が生じる」という驚きの法則を見出す。その理由は「不協和(注:信念と現実の乖離)は不快を生み出し、それに応じて、不協和を低減させたり除去させようとする圧力を生じる」からであり、具体的には「人は、不協和に関わる信念、意見、あるいは行動のうちの、一つあるいはそれ以上を変化させようとするかもしれない。また、すでに存在する協和を増大させ、それによって不協和全体を低減させるような、新しい情報あるいは信念を獲得しようとするかもしれない。あるいは、不協和な関係にある諸認知を忘却してしまうか、その重要性を減少させようとするかもしれない」と読み解く。


そして、終末思想については「キリスト教の伝統においては、神によるこの世の創造という始まりがあり、したがってその終わりもある、という直線的な歴史観がある。」としたうえで「終末論的な予言が強く信じられる一つの有力な心理的要因として、現実状況において、強い恐怖ないしは不安がそもそも存在していたことが考えられる」とする。


この本の結論である「もし、人がいったん行った行動とその人の本当の信念とが食い違っているならば、大きな不協和を生じるはずであるが、いったん行動をとった以上は行動したことを取り消すことはできないわけで、不協和を低減させるには、主として、自らの信念を変化させ、すでに行ってしまった行動に対応した協和的な信念をもたざるをえなくなる」は、誠に至当であり、その価値は高い。


しかし、あまりにも潜入調査の記述が冗長かつ迂遠であり、本当に読み疲れる。5,000円という価格からしても、明らかに専門書。上記のまとめは示唆に満ちているが、一般人が読むものではないな…

【レベルアップの計画を握れ。】

だんだん、若手という立場から抜けてくると、上司もそれなりに「考え方を見せてくれる」ようになる。その中で、今なお血肉となっているのは、「職場メンバーのレベルアップ設計」という思想。


<ポイント>
●昇格タイミングを見計らって仕事を割り振る。
このときの上司が秀逸だったのは、「今期はAさん、次期はBさん…」と、数少ない「プラス評価資源」を的確に割り振っていったこと。それにより、メンバーの昇格、ステップアップをスムーズに動かしていく組み立ては、本当に見事だった。


●からくりを、かなりメンバーにオープンする。
今考えると「よくそこまで教えてくれたよなぁ」と思うが、この割り振り設計をリーダーがかなりメンバーにオープンにしたことは極めて印象深い。少人数職場で、メンバーの特性を見ていたからできた荒業だろうが、これにより、プラス評価資源が回ってこなかったメンバーにも納得性を持たせたことは本当に辣腕だと感じる。


<問題の所在>
●「成長」を見込まず「現状」で役割を割り振ってしまう。
短期的成果に目を向けるリーダーだと、どうしても「現状、これが得意だから…」「これをやらせておけば安心だから…」ということで、「今すぐ上がってくる成果」を求めがちになる。しかし、それではメンバー側は「また同じような仕事かよ」と飽きを感じるし、またやる意義を見失いがちになる。
他方、成長を期待して仕事を割り振り、特に「あなたには、今期のタイミングでこれを頑張ってもらって、こうなってほしい」というように未来像を握ることが出来れば、大きな成長を促すことが出来る。


戦力配置は、その時のベストではなく、成長、ステップアップを見越しながら。その教えは、今なおチームビルディングに取り込み続けていきたいところである。


自戒の念を込めて。
 

【読了】サトウタツヤ「心理学の名著30」

今年16冊目読了。立命館大学文学部教授、立命館グローバルイノベーション研究機構副機構長である筆者が、心理学の古今東西の名著30冊を紹介する一冊。


紹介された30冊のうち8冊しか読んでいなかったため、なかなか参考になる。そして、心理学というのは世間の要請に応じて発達してきたんだなぁ、ということも改めて痛感する。


筆者の紹介が、またわかりやすい。「心理学には、1.動物界の一員としてのヒトの心理、2.発達・成長する存在としてのひとの心理、3.社会を作り、社会で生きていく人の心理の3つの側面がある」「私たちは概念で世界を語ることによって失ったものがある」「ストレスを情動として捉えれば、私たちの生活における様々な出来事とその影響はすべて関係的なものであり、こうした現象を捉えられるのは物語アプローチなのである」「教育とは、良い手助けを与えながら、次々と自力でできることを拡大していくことだ」など。


現代への警句も多い。「罰が問題なのは、罰に効果がないだけでなく、人格的なダメージを与えることにもある。さらに、何が良くない行動であるのかということを罰を与える人が決定している点も問題である。まさに自由と尊厳を脅かす手法なのである」「手助けを得ながらやり遂げることを禁止するより、最初は一人でできなかったことが、他者とのやり取りを通じて自分でできるようになる事、また、さらに難しい課題において他者とのやり取りを通じて課題解決できるということ、それこそが、今日のネットワーク社会において重要」「正義の反対語は『悪』だと思っている人が多いが、そうではない。正義の反対語は『もう一つの正義』である」「速考と熟考、経験する自己と想起する自己、これらの対立を超えたところに、人生の幸福を理解するためのカギがある」など。


心理学という世界の手引きとしては、なかなか有用である。ぜひ、一読し、心理学の世界に足を踏み入れていただきたい。


余談だが、言語マニアとしては「Emotionは時に情動と訳されるが、Eは向かう、motionは行為、であるから、まさに行動に駆り立てるものが感情」「聖アウグスチヌスの根源的イデアという考えを参照して元型(archtype)と呼ぶ」「ニーズという語があり、それはたいてい必要とかニーズと訳されているが、その本来の意味は欠乏である。そして、その欠乏を埋めるための行動が、動機づけられた行動ということになる」などの言及は実にワクワクする。言葉の起源というのは、概念化の際には特に影響を強く持つからなぁ。

【新型コロナウィルスについて。】

現在、猛烈な勢いでニュースを席巻している新型コロナウィルス。
で、そもそもコロナウィルスって何?と思って調べてみると、単なる風邪ウィルスのことだった。そうなんだ…そして、なぜコロナウィルスって言うの?という疑問についても調べてみると
「直径約100nmの球形で、表面には突起が見られる。形態が王冠”crown”に似ていることからギリシャ語で王冠を意味する"corona"という名前が付けられた」(国立感染症研究所
とのこと。いやいや、これまた知らなかった…


で、最近はドラッグストアでマスクが箱買いされていて、すっからかんになっている。通勤時も、心なしかマスク着用者が多いように見える。でも、マスクって、本当に感染予防効果があるのか?対応として適切なのか?


新型コロナウイルス(Novel Coronavirus:nCoV)感染症患者に対する積極的疫学調査実施要領(暫定版)」国立感染症研究所・1月28日版によると
○「濃厚接触者」については、咳エチケットと手洗いを徹底するように指導し、常に健康状態に注意を払うように伝える。
○「濃厚接触者」の家族や周囲の者(同僚等)に対しては、特段の対応は不要である。
※濃厚接触者とは、確定患者の同居人や、確定患者の飛沫に感染予防策なしで接触した人。


とのこと。「特段の対応は不要」って、マスクしろ、なんて全然言ってないじゃん。


それなのに、マスコミはマスクの売り切れを騒ぎ立て、挙句の果てには「行動経済学の観点」などとして「マスクと自動車のシートベルト、着用しないと危険なのはどちら?」なんて煽って「いずれにせよ、今この時点で言えることは、マスクをなるべく早く手に入れて着用することが望ましい、ということでしょう。」なんて結論を導く噴飯モノの記事まで出てきている(クリック数を増やしたくないのでリンクは貼らない)。不安を煽られると人間はパニックに陥って合理的判断を失う(=マスクを買い占める)、という結論なら、とっても行動経済学的なんだけどなぁ。


困った時は原典にあたれ。マスコミの騒動に流されるな。それこそが、大事な姿勢、なんだろうな。
 

【国立博物館、料金値上げへ。】

ねずみの「夢の国」の値上げが発表となった20年1月30日、衝撃のニュースが飛び込んできた。日本を代表する博物館である東京国立博物館京都国立博物館奈良国立博物館の3館が、4月1日より常設展(平常展)の料金を値上げすることを発表したのだ。


国立博物館の中でも、東京・京都・奈良の3館は数多くの国宝を所蔵しており、日本の文化財保護の実務的最前線を担っていると言ってもいい。その3館が値上げ、ということはどういうことか。


1)ランニングコストすら賄えない実態。
驚くべきことに、来館者が増えている東京国立博物館ですら、ランニングコストすら賄えていない状況だという。これは文化財保護という観点から、極めて憂慮すべき事態である。文化財保護という重要な枠割を担っている国立博物館が、このような状況に陥っていては、文化財保護を行う職人にお金が回らず、職人の技術衰退→文化財の崩壊、というサイクルを招きかねない。この状況からすると、値上げしてでも保全の原資を確保する、ということは極めて大事だ。


2)多言語対応という課題。
もう一つの理由として、「多言語対応ができていない」ということが挙げられている。日本の文化財の中核をなす国立博物館の展示において、外国語対応は確かに貧弱だと感じていたので、これは同意できる。また、世界から「日本の文化財」を見に来た観光客に対し、日本独自・独特の文化をアピールする意味でも、この多言語対応は21世紀の人口衰退が不可避な日本国においては、是非もない選択だと感じる。


ということで、値上げそのものとしては「文化財保護、文化財価値のあまねく周知」という目的に則して、致し方ないものだと感じる。


●疑問:負担の「振り向け先」は相応なのだろうか?
しかし、値上げは一般枠(東京国立博物館においては、620円が1,000円に値上げ)のみ。70歳以上のシニアと高校生以下と18歳未満は無料のまま。これでいいのだろうか?
18歳以下の無料は大賛成。今後を担う子供たちが文化財に触れ続ける機会を確保することはとても有意義。しかし、70歳以上のシニア無料はどうなのだろうか。むしろ、次世代に文化を承継する義務がある人々であり、現在の人口構成、さらに言えば貯蓄状況を勘案すると、この層こそ、金を支払うべきと思う(見たい人は、金を払ってでも見るはずである)。受益者負担の考え方からしても、次世代に文化財を残していくという考え方からしても、シニア無料は肯んじない、というのが個人の感想である。


博物館法は、以下のとおり定める。
(入館料等)
「第二十三条 公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。」


現状においては、原則論(対価を徴収してはならない)は無理がありすぎる。世界遺産、国宝どちらにおいても言えることだが「保全、保護には金がかかる」ということを、もっと認識していくべきだろう。

【メンバーのパターンを見抜く。】

尊敬する上司には、自分のパターンを打ち砕かれたこともいい思い出だ。そして、その体験がその後の役に立っている。


<ポイント>
●殻にこもってやり過ごすのは、相手の話を聞いていない。
若かりし頃、自分は困った時には何も考えずに「すみません!」と誠心誠意謝る、という手法を取っていた。が、これ、新入社員ならともかく、入社数年経ってからは「何も考えずに、自分の殻にこもってやり過ごす」だけの逃げに陥っていた。おまけに、何を言われても「すみません!」と謝るだけなのだから、相手の話なんてまるで聞いていない。どこが誠心誠意なんだよ(苦笑)。


インパクトを与えて、殻を打ち破る必要がある。
しかし、自分は超真剣なので、そのような自覚が全くない。なので、
自分「すみません!」
上司「謝ったって解決しないだろう。お前、謝るな!」
自分「すみません!」
というギャグのようなやり取りが発生する…。
そこで、尊敬する上司が取ったのが荒療治。「お前、いっつもいっつも謝ってるだけで、何も解決しようとしてないんだよ!それじゃダメなんだ!」と言われ、灰皿を蹴飛ばされた。灰が飛び散る様子がスローモーションのように感じられたのは、今でも思い出す。ま、灰だからスローモーに舞い散るのは普通なのだが、そんな光景にはついぞ出会っていないので…
これはインパクトがあり、さすがに反省した。それから数か月して、この上司から「最近は青天井に伸びているよね」と言われたときは本当にうれしくて、飲みながらガッツポーズしそうになった。


<問題の所在>
●「その場しのぎ」の勝ちパターンは成長を阻害する。
結局、振返ってみると、それまでは一切相手のことを考えないで、自分のリズムでしか仕事をしていなかった(←ダメサラリーマンもいいところだ)。その場さえしのげればいい、それが勝ちだ、と無意識に思い込んでいたのだが、結局、自らの成長を阻害していただけであり、中期的に見ると最悪の負けパターンだった。
要するに、その後上司から「青天井に伸びている」と褒められたものの、所詮「止まっていた成長をしはじめた」だけであり、人並みに追いつき始めただけだった、というのがよくわかる。
いや、まったく汗顔の極みだ。


そして、月去り星は移る。いつの間にやら、自らが殻にこもるレベルから、逆に殻にこもったメンバーの成長を促す立場になった。インパクトを与えることは大事だが、その前提として、信頼感、安心できる関係性が不可欠である。それを築き上げたうえで、行動する必要がある。


自戒の念を込めて。