世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【免許更新講習と心理学。】

昨日、免許更新講習を受けて、驚いた。「だろう、よかろう運転はダメだ」「事故の悲惨さ」というかつての内容とは一新され、「事故を起こすときのドライバー心理」というDVDになっていてのだ!!うーん、こんなところにも心理学。

《ポイント》
●直接原因だけに、目を向けない。
今までの講習は「見落としは怖い」「ちゃんと一旦停止」など、直接原因だけに目を向けていた。しかし、今回のDVDは「焦っていたのではないか」「1つ確認して、安心していたのではないか」と、直接原因ではなく、それを引き起こした背後要因の心のメカニズムにも切り込んでいて、面白い。

●他者にも、背後要因がある。
さらに秀逸なのは「他の人も、同じように背後要因を抱えているのではないか?」と言及していること。もともと、人間は、他者の心の動きは見えない。しかも、ドライバーは車という「鉄の殻」によって分断されているので、なおのこと、である。
でも。「他者の背後要因」に思いを至らせることができたら、単純に「自分の目から見て、不合理な行動」に感情を波立たせるのではなく、その背後要因に共感する事もできる。これは、とても大事なセンスだ。

《問題の所在》
●感情そのものは、操作できない。
このDVDで少し残念だったのは「冷静になろう」と呼び掛けていたこと。そう思っても、沸き上がる感情は操作できない。
一番効果的なのは「あ、今、感情に乗っ取られている」と気付くこと。それだけでいい。感情を押さえ込むのではなく、気付いて自分の掌の上で扱う。それさえできれば、OKだ。

とはいえ、「人は一度にたくさんのことに注意は向けられないが、時間をずらせば順番にたくさんのことに注意を向けられる」など、今までの感情に訴えるだけのDVDとは本当に一線を画していた。かなりのレベル向上で、個人的には拍手を送りたい。
いやいや、警察でもこういう言及をするようになったあたり、「科学の発展と暴走の20世紀」から「ヒトの心を扱う21世紀になったんだなぁ」と痛感する。言わんや、ビジネスシーンにおいてをや。

自戒の念を込めて。

【死中に活アリ。】

ここんとこ、様々な課題を抱えて立ち往生していた。ようやく、自分の中で焦点が合わせられたが、それまでは迷い、戸惑い、辛かった。そんな体感から。

《ポイント》
●ピンチはチャンス。
課題や覚えることが多いと、誰でも「これはピンチだ!」と認知する。しかし、それは、他者評価を気にしてのモノ。あくまで自分基準なら「成長するチャンス!」と思える。しかしながら、ミスや叱責で、自信を失う。そんなフローは、山ほど見てきた。

●苦境は、必要なところに来る。
かつて、先輩が、半分冗談、半分本気で言った言葉。「仕事はできる人のところに集まる。酒は飲める人のところに集まる。」
…まぁ、これは笑い話だが、付け加えるならば「苦境は、必要なところに来る」だな。乗り越えられる苦境しか、人生には回ってこない。それにアタックする勇気を持てるか。それが、人生の質を決めるのではなかろうか。


《問題の所在》
●課題を、チャレンジでなく不幸と捉える。
人間は、誰しも、恐怖に弱い。これは、進化の歴史と脳の構造からして、猿時代に「不安を過大評価しないと、取って喰われる」という事実があって、刷り込まれたもの。
…なので。不確定要素は「良くないこと」と捉える。それが、DNAレベルに染み着いている。
しかし。人間は、理性がある。課題を、感覚の赴くままに「不幸」と捉えるのではなく、理性で「チャレンジ」と捉えた方が、絶対、自身の成長に資する。

自戒の念を込めて。

【引継という魔物。】

どんな仕事においても、業務引継は発生する。そして、自身を含めて「うまく引き継げた」という話はあまり聞かない。

《ポイント》
●目先は手順だが、理解は理由。
まずは、異動者は「仕事を平常な形で回す」事が求められる。それ故に、引継書は、どうしても「手順」を記すことに終始しがち。
しかし、一定の習熟をすると「なぜ、先人たちはこうしたのか?」という疑問に突き当たり、往々にして、引継書にはそこまで書いていない。「取り敢えずを乗り切る」だけの書面になりがちだ。

●あくまでも「全体の小分け」がパーツ。
引継を何度となく受けてきたが、ありがちなのは、仕事をパーツ分けして説明をすることに終始するパターン。確かに、日々の仕事はパーツをそれぞれこなすことであり、その観点からすると、その引継になりがちなのはよくわかる。
しかし、小分けの仕事をまとめて持っているのには、何らかの理由がある。それこそが、「担当者の仕事全体のミッション」であり、これがわからないと本当の意味での習熟や深度化は難しい。

《問題の所在》
●「知らない」認識のギャップ。
当たり前だが、前任者は後任より仕事を知っている。そして、前任者も「知らない」時代はあったはずなのだが、一定期間の業務の積み上げにより、その「知らない」は「理解した」になっていく。そうなると、「知らない」頃に、何に苦しんだのか、すら忘れてしまう。
引き継ぎの直前に資料を作っても、「知らない」認識が既にしてズレているので、後任にとっては、何がなんだか?になったり、さわりしか書いていないので使えない引き継ぎになったりしてしまう。そして、前任者が苦しみ、傷つきながら覚えた事と同じ羽目に陥る。

一番効果的な引継は「覚える段階で、仕事の趣旨や理由を書きながらマニュアル化する」こと。ギャップも発生しないし、その後の業務改善の時の拠り所にもなる。勿論、アップアップしながら、は大変だが、「苦しみ、傷つきながら覚える」ループを断ち切るには、踏ん張りが求められる。

自戒の念を込めて。

【苦境との付き合い方。】

仕事してれば、一定量、苦境に立たされる事はある。そこと、どう折り合っていくか。

《ポイント》
●物事のマイナス面に目が向く。
仕事のボリュームが多いということは、トラブル確率が同じであれば、単純にトラブル件数は増える。
しかし、トラブル処理は(特に疲れている状況では)ストレスがかかるので、つい、その側面に目がいきがち。よって、実際には仕事が進捗しているにも関わらず、「うまくいっていない」という感情ばかりが膨らんでしまう。

●不調は、呼吸に現れる。
疲れは、心身の状態を悪くする。苦境に陥ると、「何とかしないと…」という思いが身体反応として出てくる。
わかりやすいのは、呼吸。常に緊張を強いられるような状況になると、極めて浅くなる。これは、一つのバロメーターであり、対処法も「深呼吸する」というシンプルかつ簡単なので、目安にすると便利。尤も、追い込まれていると、これにすら気づく余裕がなくなるのだが…

《問題の所在》
●物事を絶対視し過ぎている。
忙しい、という感覚は、仕事の量だけで計れるものではない。仕事量が多くても「面白い」「自分が制御している」感覚があれば、案外、苦にならない。
他方、忙しい時は「やらねばならない」ことがてんこ盛りの場合。自分ではコントロールできない、というところにだけ目が行っているのだ。
…しかし。どんな仕事でも、自分なりの工夫はできる。処理することを絶対視するのではなく、その気持ちを持つことが、大事。これが現実にはなかなか難しいのだが…

自戒の念を込めて。

【ミスの連鎖と、偶然から学ぶ。】

ミスの連鎖と、偶然から学ぶ。】

ここのところ、仕事を追いかけるのではなく、完全に「仕事に追われている」。ボリュームが、完全にキャパシティを超えている。そうすると、自然と粗さが出てきて、ミスも比例して発生。なんとかせんと。

《ポイント》
●人間の集中力は有限。
もともと、人間が集中できる度合いは極めて低い。だいたい、日々の食事すら同じでは飽きるような人達が、飽きっぽいのは当然だ(笑)。
…それを、無尽蔵と思う設計こそ無理がある。あぁ、自縄自縛(爆)。

●故障予防は、余力が生む。
これは、あらゆる事象が証明している。無駄は捨てるべきだが、システムの故障予防には、余力が必要。
…でも。偉い方々は「余力はコスト」と、切り込みたがる。故障予防の弾力性に繋がるか否か、という視点でのコストカットであるべき。

《問題の所在》
●「全力」ではなく、「むやみやたら」に陥る罠。
まさに「自戒の念を込める」のだが、むやみやたらに陥っていた。とにかく、今の職場を何とかしたい…でも、なんともならない。このままいけば、自分が壊れる。
で、あれば。やはり、冷静に「やるべきこと」「急がない大事なこと」「急ぐけどちまいこと」「どーどもいいこと」の、KJ法で切り分けるべき、だな。反省。

そんなことを考えていると、すれ違う人のパーカーの胸の文字に「苦い人生」の文字。思わず苦笑い。
…あ。今日、そもそも職場で笑ってなかったな。完全に無表情に陥っていた。職場の指導的立場の人間が、それではいかん。苦笑いでもなんでも、「苦境に笑い」は、かなりな特効薬。

明日は、作り笑いでも、笑おう。そしたら、脳が「お、まだ余裕あるな」と勘違いするから。

自戒の念を込めて。

【リリーフ自炊、失敗。】

昨日は休み。息子と留守番してると、夕方に嫁から「娘の病院、待ち時間が半端ない。副菜は作ってあるので、メインのエビマヨは作れるか?」との相談。

レシピどおり作ってみた。が!!片栗粉がボロボロにこぼれ、フライパンに焦げ付いてしまう。結局、衣なしみたいな仕上がりになってしまい、まるでプリプリ感のない「エビのマヨソース炒め、片栗粉の残骸添え」という酷い代物に。
※到底、写真には残せない。

失敗した理由もよくわからんし、何より一人飯でないので「家族を巻き込む」ことのダメージがでかい。安定的に、うまい飯を作る、って、とんでもない技術力なんだなぁ…

【紙と電子のせめぎ合いから。】

仕事上、時刻表は業務に手放せないところにいる。その状況の中で、中堅世代(アラフォー)で話をしている時に「最近の若い社員は、Yahoo!検索を真っ先にする。どう考えても時刻表のほうが速いのに」と盛り上がっていた。
…実は、このとき、雰囲気、口をつぐんでいた。「単純検索なら、どう考えてもYahoo!が速い」と思っていたので。でも、自分以外の全員が「時刻表が速い!」と断言。これは、何なのだろうか。紙と電子のせめぎ合いという観点で、考えてみた。

《ポイント》
●紙と電子には、特性がある。
紙媒体は「一覧性」が強い。だから、多数の情報を一覧したうえで、一つの情報を抽出する場合には、やはり紙媒体のほうが速い。
他方、電子媒体は「検索性」に優れる。必要な変数がある程度確定しているのなら、まさにYahoo!検索のように一発で最適解を探し当てられるから、こちらが優れている。

●自分の経験は、絶対化しやすい。
昔は電子検索などないので、当然のこと、紙媒体で調べるしかない。当然、その制約の中で苦しみながら覚えていくわけだが、その「苦しんだプロセスと、その結果として得た知識」は、今であればもっと手軽なプロセスで手に入るかもしれない。
しかし、それを認めると、自分の苦しんだプロセスを否定するように感じるので、どうしても自分の経験を絶対化し、認めたくなくなるのだ。

《問題の所在》
●合理性より、自分の体感を優先する罠。
中堅世代だって、もちろんスマホを使っているし、自身の近所のお出かけの際にはアプリ検索を行っているはず。つまり、電子の優位性は合理的に認めているのだ。
しかし、仕事となると、自らの過去が「紙で覚えたほうが力がつく」という体感を持ち、それが確固たる信念となっているせいで、時代に適合できない。

必要なのは「どの場合は紙が、どの場合は電子が優れているのか。そのうえで、学習として頭の中で構造化するためにはどうなのか」という、網羅的な考え方。ついつい、自分の経験にとらわれがちであるが、これだけ時代の変化が速い中で、中堅層は「経験の一般化」と「技術変化へのキャッチアップ」を怠ってはいけない。

自戒の念を込めて。