今年50冊目読了。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授にして、思想界をリードする気鋭の哲学者である筆者が、勉強というものについて哲学的に捉えた読み解き方を書き記した一冊。
〈お薦め対象〉
勉強の意義について考えたり迷ったりしている人
〈お薦め度(5段階評価)〉
★★★★★
〈実用度(5段階評価)〉
★★★★★
自分の問いは3つ。
『言語の特性は?』には「言語習得とは、ある環境において、ものをどう考えるかの根っこのレベルで洗脳を受けること。言語は、私たちに環境のノリを強いるものであると同時に、ノリに対して距離を取るためのもの。可能性をとりあえずの形にする、言語はそのためにある」。
『勉強とは何であるのか?』には「生活にわざと疑いを向けて、問題を浮かび上がらせる。かつてノッていた自分をわざと壊す自己破壊。そもそも不確定なコードを、アイロニーとユーモアでますます不確定にする」。
『勉強するにあたっての心構えは?』には「自分の状況は、大きな構造的問題の中にあり、自分一人の問題ではないというメタ認識を持つ。アイロニーの批判性を活かすため、絶対的なものを求めず、複数の他者の存在を認める。どこまでが他人が考えたことで、どこからが自分の考えなのかをはっきりと区別して意識しなければならない。情報過多の現代においては、有限化が切実な課題」。
サブタイトルが「来たるべきバカのために」と書いてあったし、そこまでガッチリした雰囲気の本でもなかったので、ちょっと楽しみ…くらいで手に取ったが、これはとんでもない硬派な本だ。勉強というものに対する切り込みの鋭さ、比喩の絶妙な上手さ、それでいて哲学的な(難解なれども確固たる)思考。それでいて読みやすい。こんな本があったのか…ただただ、驚愕する。
「勉強するにあたって信頼すべき他者は、勉強を続けている他者」「深く勉強するとは、言語偏重の人になる事」「勉強の継続とは、ある結論を仮固定しても比較を続け、別の可能性につながる多くの情報を検討・蓄積し続ける」など、含蓄ある言葉もいくつもある。現代を生き、情報の洪水に呑まれている我々だからこその必読書と言えよう。絶対に一読をお薦めしたい。