これだけ切り口が多く話ができる事象もなかなかない。最後は、組織論の観点から。
《ポイント》
●プレッシャーによる管理は、言論と自由な思考を奪う。
組織人なら、多かれ少なかれプレッシャーを感じることはある。そして、そのストレスが人を成長させる、という側面もある。
しかしながら、強度のプレッシャーにさらされると、人間は「どう上の意向に沿うか」という適合を始める。まず言論が取り除かれ、そうなっていくと「上に怒られない」戦略ばかり探すようになり、前提を疑うような自由な思考が奪われる。かくて「絶対指導者と、多数のコマ」という組織が完成する。
●恐怖に憑りつかれると、組織は暴走を始める。
人間の脳は、生存本能のため、恐怖に非常に弱くできている。そのため、組織が恐怖で人をまとめようとすると、「従わないと、生きていけない」と、組織外のルールより組織内のルールを優先する。
しかも、今回(実際の発言はどうあれ)監督からの数少ない情報から、加害選手はかなりの「忖度」を行って事件を起こすに至った。「加害選手は、きちんと監督と話をすべきだった」という声がほぼ上がらないのは、「言っただろ! 聞いてないけど すみません」というサラリーマン川柳が示すとおり「生存のために、長いものに巻かれる」ということは、多かれ少なかれ組織にいる人間は体感しているからだろう。
《問題の所在》
●20世紀型の「人間不信、恐怖による統制」はベストパフォーマンスを生まない。
基本的に、20世紀の官僚システムたる「人間不信、恐怖による統制」は組織操作はしやすいが、ベストパフォーマンスを生まないと考えている。※この点において、日大アメフト部が甲子園ボウルで優勝した、という事実だけは、不適合を起こしているのだが。まぁ、「短期的成果」は出ても長期的成果が出ない、ということにおいては間違いないだろう。
特に、技術革新、情報爆発の現在社会においては、一人の優秀な指導者と、あとはコマ、というスタイルではすぐに行き詰まる(現代社会は、一人の頭で処理しきれる情報量ではないボリュームを扱わねばならない)。
自由な言論と思考を担保するために「安心できる場創り」が、21世紀に適合する組織のカギになる、と考えている。
自戒の念を込めて。