世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】伊東潤「茶聖」

今年41冊目読了。歴史ものを得意とする作家である筆者が、千利休茶の湯にかけた生涯を描き出す一冊。


フェイスブックで、会社の同期が薦めていたので読んでみたが、これが実に面白い。500ページ越えのぶ厚い小説なれど、一気に読み切ってしまった。


武士に対しては、かなり突き放した見方で「武に生きる者たちの結束は堅固に見えても、実はもろいものだ。武とは欲得と同義のようなもの」「邪心とは他人を陥れてでも己が上に行こうとする心」「武士は恩を直接受けた主人には忠節を尽くしても、代替わりすれば、その後継者には意外に薄情だ」などと述べる。確かに、武士道は「後付け」であるのは間違いない。


武士と茶の湯の関係については「茶の湯は茶室という別世界で、身分などの世俗的なものを忘れて一時的な遁世を行い、一視同仁(平等)、一味同心(心を一つにする)、一期一会(一度限り)、一座建立(最高のもてなし)といった概念を実現するものだ。しかしそうした概念には形がなく、武士たちにはわかりにくい。そこで名物茶道具によって茶の湯の精神性を代弁させようというのが、信長の狙いだった」「武士たちの荒ぶる心を鎮めるために、茶の湯を敷衍させていく」というようなことを述べつつ、利休は「茶の湯は武士の魂を鎮める薬であり、また武士の序を突き崩す毒でもあるのだ。それは、茶室では皆同格という意味の『一視同仁』の思想にも表れている」とみている。


利休と言えば秀吉。「何事にも相通じるものだが、二人で何かを作り上げようとすれば、そのうち互いの距離が接近し、相手が煩わしくなる。そして作り上げてきたものが完成に近づけば、次第にその大半を己一人で作った気になってくる。挙句の果ては、言わずもがなのことだな」という指摘が、まさにそうなんだろうな、と感じる。


茶の湯についての「茶の湯とは己の創意を凝らすことだ。胸中からわき上がる創意を作意に昇華し、一つの作品として提示する。それをどう見られるかで、茶人の値打ちが決まる。侘数寄とは、しょせん人がどう感じるかだ」「茶の湯は宗教ではない。人の心を慰めるものの一つ」「茶の湯とは、何人なりとも同じものを生み出せないところに値打ちがある。水から湯の加減など、茶人個々が苦労して会得したものだけが、味になって醸し出される」などの記述を見ると、茶道を嗜んでみたい、という気持ちにさせられる。やはり、芸事を極めるというのはそれなりの鍛錬と、その人間性が出る、ということか。


利休の気構えで「大望を抱く者は何事にも耐えねばならん」「それぞれの道は、それぞれが決めればよい。他人がとやかく言うことではない」「人は穏やかな生涯を送るよりも、大義のために生き、大義のために死ぬことの方がよほど幸せだ」「いつ捨てても惜しくない命とはいえ、無駄には捨てたくない」のあたりは、現代を生きる人間にも必要な部分のように感じる。


千利休という人物は非常に掴みづらいところがあったのだが、「利休には『異常なまでの美意識』という聖の部分と、『世の静謐を実現するためには権力者の懐にも飛び込む』という俗の部分があった。この水と油のような二種類の茶が混淆され、利休という人間が形成されていた」というのは、一つの解をもたらしてくれたような感じだ。


戦国好きであれば、ぜひ一読をお薦めしたい一冊だ。面白かった。