世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】カミュ「ペスト」

今年40冊目読了。20世紀のフランスが生んだ名作家が、第二次世界大戦終戦後まもなく対ナチス闘争の体験を寓意的に描き込んで圧倒的共感を呼んだ小説。


けっこう長編であるが、新型コロナウィルス(COVID-19)が猖獗している2020年4月だからこそ、読んでみた。現在の状況においては、正直、対ナチスの寓意とは読めず、真正面から「疫病感染にさらされたときに、人間はどのようになってしまうのか」という点に重心を置いてしか読めなかった。


ペストに対し、それぞれの考え、立場から変わろうとする人々・変わらずにいようとする人々の営みが織りなす物語は、非常に考えさせられるものがある。


そもそも、立ち上がりにおいて「彼らは自ら自由であると信じていたし、しかも、天災というものがあるかぎり、何びとも決して自由ではありえない」「愚行は常にしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいなければ、そのことに気が付くはずである」という警告は、まさに新型コロナに襲われた21世紀の我々にも厳しく突き刺さる。


20年4月現在の日本の状況を、まさに表すような記述は、流行初期に散りばめられている。「病疫の無遠慮な侵入は、その最初の効果として、この町の市民に、あたかも個人的感情などもたぬ者のようにふるまうことを余儀なくさせた」「ペストは、彼らを閑散な身の上にし、陰鬱な市内を堂々巡りするより仕方がなくさせ、そして来る日も来る日も空しい追憶の遊戯にふけらせた」「この見捨てられた応対は、長い間には結局人々の性格を鍛え上げるべき性質のものであったが、しかし最初はまず人々をつまらぬことに動かされる浮薄な人間にした」「正確な知識というものは、明らかに興味をそそるものであるにもかかわらず、人々が決して心を向けようとしないもの」のあたりは、本当に心寒からしめるものである。こんなに人間の思考や行動というのは変わらない、パターンに陥るものであるのか…と絶望的になる。


そして、そうなると、感染流行が進んだ場合も同様になってしまうのではなかろうか。「同情がむだである場合、人は同情にも疲れてしまう」「ペストの日差しは、あらゆる色彩を消し、あらゆる喜びを追い払ってしまった」「自分の眼で見ることのできぬ苦痛はどんな人間でも本当に分かち合うことはできない」「絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪い」のあたりは、実際に世界の主要都市で発生しているものであり、もうすぐ日本にも襲い掛かる状況なのではないか、という暗澹たる気持ちになる。


他方、今の時代はインターネットがある。「長い別離の期間のはてには、彼らはもう、かつて自分たち同士のものだったあの親しさも、また、いつでもその方に手をかけることのできた相手が、自分のそばでいったいどんなふうに暮らしていたのかも、想像できなくなってしまった」「住民たちは彼らを近づけ合う温かなものへの欲求を深く感じていると同時に、しかもまた彼らをお互いに遠ざける警戒心のためにすっかりそうなりきることもできない」のあたりについては、バーチャルではありつつも繋がり続けることができるわけで、ここは当時の人びととは大きく違うところである。このメリットはしっかりと享受し、精神の安寧を保っていきたい。そして、何とか解放の日を迎えるまで、「今日まで過ぎ去った幾月かは、彼らの解放の願いを増大させながらも、一方また用心深さというものを彼らに教え、病疫の近々における終息などますます当てにしないように習慣づけていた」というレベルになるまで我慢を続け、この疫病を克服したいものである。


このような苦境において人間が陥りがちな罠である「最も救いのない悪徳とは、自らすべてを知っていると信じ、そこで自ら人を殺す権利を認めるような無知の、悪徳にほかならぬ」「彼らが不幸なのは、自分で心の手綱を弛めないから」というあたりには、十分に気を付けていかねばならない。


疫病との向き合い方についても、多くのヒントを授けてくれている。「ペストのもたらした光景を解釈しようとしてはならぬ、ただそこから学びうるものを学びとろうと努めるべきである」「ペストと生とのかけにおいて、およそ人間がかちうることのできたものは、それは知識と記憶であった」「希望なくして心の平和はない」「天災のさなかで教えられること、すなわち人間のなかには軽蔑すべきものよりも賛美すべきもののほうが多くある」あたりは、まさに新型コロナという厄災に見舞われた21世紀の我々の心の支えとなり、行く先を照らす松明となりうるものである。