世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【仕事の心理学】会議は心理戦。

会議。それは、辞書によると「関係者が集まって(一定の手続きにのっとり)議題について意見を出し、相談すること。その会合」のこと。
しかし、自分の体感でも、多くの部外の知人に聞いても、「議題について意見を出し、相談する」は希少。実態は「メンバーのお伺い→リーダーの命令」か「リーダーの指摘、叱責→メンバーの言い訳、屈服」の構図(特に後者が多い気がする)。
それでも、今日も会社のそこここで会議、会議。これについて、考えてみた。

《ポイント》
●リーダーは「自発的に、自分の意に添うメンバーの発言」を期待する。
どのような会議でも、リーダーは「メンバーの発言」を求める。しかし、本当に求めているのは「自分の意に添う発言」のみ。そうでないものは聞きたくもない(←エゴ)。
そして、メンバーから発言がないと「自分の意見がないのか!考えてないのか!」と言い出す。さらにご丁寧なパターンは「どうするべきだと思う?」と、なぞなぞを始めたりする。

●メンバーは「余計な宿題」をリーダーから貰わないことを目的とする。
他方、メンバーの興味はどこにあるか。過去の経験上、思うがままに発言するとリーダーからの指摘・叱責がくること、そうなると余計な宿題を貰うことはさんざん痛感している。
よって「リーダーの意に添う発言以外はアウトだ」と、慎重に発言の際に「忖度」を行うようになる。忖度できない(≒真意がわからない)なら、「雉も鳴かずば撃たれまい」と沈黙に入る。
なぞなぞパターンは、「お前の意向がわからねぇから苦労してるんだ!」と苛立ち、それでも口では「いやー、うーん…」と濁すしかないので、さらにストレスが溜まる。

《問題の所在》
●場にモロに出る、リーダーとメンバーの意識の乖離
上記二つの「リーダー」と「メンバー」の立ち位置の乖離が、お互いの「腹の探り合い」という形で場を凍らせ、自由なアイデアや発言を押しとどめていく。まさに、乖離が作る場そのものなので、両者とも分断感まんまん。リーダーは「メンバーが育たない」、メンバーは「リーダーの意向が忖度できない」と、猛烈な徒労感だけを生む、という結果しか残さない。

リーダー側が場の空気を気にしないタイプだと、リーダーは「自分の言いたいことは伝えた!かつ、意見も促した!」と満足感に浸り、メンバーは疑問符だらけ。この場合は、メンバーの興味が会議の議論内容より「会議を切り抜ける」事に集中しているので、当然、会議決定内容が腹落ちしていない。そのため、メンバーが会議決定内容と違う行動をとり、リーダーが「何故、会議決定内容を守れない!」とメンバーを叱責する悪循環へレッツゴー。

「有能=忖度の出来るメンバー」というのは、21世紀では成り立つのか?勿論、それはそれで能力だが、その他にも「アイデアが出せる」など、様々な能力の組み合わせが可能なのが企業というチームの強み。それが、何故か会議という仕組みになった途端、忖度の出来るメンバーのみが有能になるという罠。

…そもそも「会議」という名称と「忖度」がここまで密接に絡んでしまった現状からすると、「会議」という名前を捨てるところから始めなければいけないのかもしれない。

自戒の念を込めて。