今回の世界文化遺産登録は、どうも疑問が残る。
文化遺産についての専門機関であるICOMOSの「提出された構成資産8つのうち、普遍的価値が認められるのは4つ。かつ、顕著な普遍的価値として認められる基準は、提出された3つのうち2つ」とされていた勧告。しかし、蓋を開けてみると、世界遺産委員会は「構成資産は8つ認める。基準は2つ」とした。
ここで感じるのは「登録という果実を日本に渡し、基準はICOMOSの顔を立てた」という政治解決。まぁ、日本ではそんなこと気にする人はほぼいないのだろうが…
でも、いみじくもアルピニスト・野口健(富士山の世界遺産登録に尽力)が述べているとおり「文化遺産は、ロビー活動の産物」でしかないのなら、「顕著な普遍的価値」という、世界遺産の根幹を揺るがすような問題である。
そもそも、「世界遺産は、増やすことでなく、保全して未来の世代に引き継ぐこと」が目的である。1000を超えて、まだまだ増えることが想定される世界遺産。その一方、増える世界遺産の審査に回る金と労力によって、危機遺産の保全に金と労力が回らない現実もある。
単純に「日本に21個目の世界遺産誕生!」と(その瞬間はともかく、落ち着いて考えてみると)喜べないのは、うーん…と感じる。考え過ぎかもしれないが、現実でもある。
そして、こういう「世界遺産の危うさ」についても自覚し、ただの「世界遺産マニア」として世界遺産を礼賛するだけではない、という姿勢が、世界遺産検定マイスターにも求められる。そういうこと、なのだろう。