世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】ジェイムズ「ねじの回転」

今年48冊目読了。ニューヨーク生まれでイギリスで活躍した「小説の技法を極めた」と評される筆者が書き表した戦慄の物語。

間接間接話法とでも言うべき独特の表現で展開される物語は、初めの穏やかさにもところどころ異常さが散りばめられており、読み始めたら止められない。新任家庭教師が、健やかな兄と妹の存在に癒されながら、彼らに迫る陰と戦う決意を固めて物語は進むのだが、徐々に絡めとられていく心境、そして人間の表と裏。最後は、非常にシビアな結末を迎える。

まずもって、どうやってこんな小説の着想を得たのかが信じられないし、それを描き切る筆致力が半端ない。風景や情景の美しさを細密に表現しながら、必ず何らかの黒い影を織り交ぜているので、読んでいて心地よく落ち着く暇がない。まさに、「ねじが回転する」がごとく、ギリギリと心が締め付けられていく思い。

情景の描写で、人間の恐怖が描き切れる。その事実に気づいて、それを実践したところが凄い。そして、この秀逸なタイトルをつけたことも、また筆者のセンスを感じさせる。いやはや。

【国宝・赤糸威大袖付】

大山祇神社所蔵。やや小さめの黒漆塗りの鉄と、革の平小札を茜染の赤糸で威した鎧。銅は31センチで一続きになっていて、右脇で引き合わせるつくりに。この時代の鎧と胴丸の特色を兼ね備えた鎧で、社伝では源義経の奉納品。

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ここは、海の守り神であり、多くの奉納品が残されている。義経は伊予守を任じられたこともあり、また源平合戦で中盤以降は海戦となったことから、必勝祈願をしたのだろう。歴史の一幕が今なおここに伝わることに、興奮を抑えられない。
時空を超える事ができるのも、国宝の面白さだ。

【読了】モーパッサン「宝石/遺産」

今年47冊目読了。 19世紀フランスが生んだ偉大な作家の中編、短編小説を集めた一冊。

表題作の「宝石」は、パートナーの謎に包まれた二面性を強く感じさせ、またラストのわずかな文での強烈なインパクトがたまらない。「遺産」は、人間のエゴが剥き出しでぶつかり合っていき、欲に呑まれた人々の(ある意味)成れの果てが描かれるところが実に秀逸。

これも光文社古典新訳文庫なのだが、このシリーズは実に良い。読みやすいし、中短編の選び方も絶妙。モーパッサンは厭世的というのは知っていたが、実際に読んでみるとつくづく痛感する。ただ、単純に厭世的なのではなく、人間の本性をしっかり見据え、「こうありたい」という気持ちを十分に汲み取りつつも「現実はこうなってしまう」というところの落差をしっかりと描き出しているところに、人間の哀しい性と、それでも理想を求めてしまう業の深さを知り尽くしているんだろうな、という感じがする。

特に、この本では「家族」「夫婦」というものに対してかなり手厳しく切り込んでいる。親愛と功利という理想と現実。その折り合いをつけるどころか、むしろ生々しくぶつけ合うことにより、現実の厳しさをまざまざと見せつける。

どんな人でも、これは一度読むべき小説だ。さすがは巨匠・モーパッサン

【強みは自覚できず、周囲は把握しているというギャップ。】

SNS上で、凄い友人が「凄い!」と言われたことに対し「自分にとっては普通だし、本人は(何が凄いか)わかっていない」との返しをしていた。そこから考えたこと。

《ポイント》
●得意、強みは自分にとっては当たり前。
人は、なぜ「得意、強み」が自覚できないのか。それは、「意図せずとも一般レベルを超えてできてしまう」から。自分にとっては「当たり前」なので、「なぜ周りができないのか」すら理解できない。

●人はつい「足りないもの」に目が行く。
人間の脳は、つい不足しているものばかり見ようとしてしまう。これは、足りない視野を補って意味あるものにし、危機を回避するという脳の機能。ただ、これが現在では裏目に出て、つい「不足したものに目が行く」となってしまい、「自分が優れている」ではなく「人が足りない」と思い込んでしまう。逆に、人より自分が劣る部分は当然「自分が足りない」と感じる。よって、いつまでも満たされることがない。

《問題の所在》
●他人が見るほど、自分には自分のことが見えていない。
傾倒しているU理論を学べば学ぶほど感じることであるし、またこれは永遠の真理でもあろうと思うのだが、本当に「自分には自分のことが見えていない」。これは、「目が外側に向いてついている」という生物としての機構上、如何ともし難い。

そこで。せめて「自分は自分のことを客観的にわかっていない」ということを自覚しながら、日々、認識のずれを調整して生きていきたいものだ。

自戒の念を込めて。

【イチロー引退によせて:仰木監督の命名の凄さ。】

いまさらイチローの凄さについては素人が語るまでもない。そこで、あえて「オリックスでブレイク前に仰木監督が『イチロー』と名付けたこと」について、考えてみた。

《ポイント》
●カタカナ表記も、すんなりは行わず。
今やだれが見ても「イチロー」が当たり前。しかし、少し待ってほしい。鈴木一朗をカタカナで書け、と言われたら「スズキ・イチロウ」となるのが普通(むしろ当然)である。アナウンサーの読みやすさ、見た目と音の軽やかさから「イチロー」としたのだろうが、そのセンスの良さはその後の活躍で名前が幾度となく呼ばれるたびに痛感させられた。二番煎じの「サブロー」まで活躍したのだから(かつ、千葉マリンで「サブローーーーー」と伸びるアナウンスが定番となった)、やはりこの表記は秀逸だ。

●ローマ字表記、自身の綴りのルールとも逸脱する。
ローマ字表記も、ひとひねり。「ICHIRO」の表記はヘボン式綴りどおりなのだが、実は仰木監督自身の綴りはヘボン式の例外で「OHGI」なのだ(通常は「OGI」となる)。自身の綴りのとおりに書かせるなら「ICHIROH」となる。しかし、それにこだわらず、これまた見栄えの良さを選んだのだろう。尤も、当時話題になったのはイチローよりパンチ佐藤であり、彼の背中表記は「PUNCH」なのだから、仰木監督の頭には「インパクト」しかなく、ルールより先んじていたのだろうが。

《問題の所在》
●失敗には恐怖が伴う。
人間、だれしも失敗はしたくない。しかし、当時自ら「パ・リーグの広報部長」を名乗っており、「話題になったもん勝ち」状態で仰木監督は「攻めていた」。近鉄を優勝に導いた名将であり、オリックスブルーウェーブに身を転じて「いかにマジックを見せるか?」と思われていた中での一手。失敗したら単なる笑いもの。しかし、仰木監督にとってはそんなことは眼中になかった。

この恐怖の克服の仕方は、のちに千葉ロッテマリーンズの優勝捕手となり、またWBC世界一の捕手ともなった里崎智也氏が述べているのが面白く、真に迫っているように感じる。いわく「なんでも言ったもん勝ち、仮に外したとしてもその時には人は忘れている」。このくらい、周囲の眼なんて気にせずやり切るほうがいいのかもしれない(事実、彼は2005年「俺に風が吹いている」、2010年「史上最大の下克上」と語ってマリーンズを日本一に導いた)。

自戒の念を込めて。

【ドコモショップで考えた。】

料金プランが最適かどうかわからなくなってきたし、ネットで見てもどうも理解できないので、ドコモショップへ足を運ぶ。そこで、感じたこと。


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《ポイント》
●直接応対は、安心感がある。
なんだかんだ言っても、ドコモショップみたいな店舗がいまだ健在なのは、実際に「手掛かりもない」くらいにわからない事柄を人間が説明してくれる、という安心感。しかも、電話だと隔靴搔痒の感を否めないが、直接対面は相手の表情もわかるので、安心度が高い。

●共感は、本音を導く。
最近、店員さんがPC操作をしているときに、負担にならない程度に話しかけるようにしている。「料金プラン、難しいですよね。何度も変更されるので、新任の方なんて大変ですよね」と話すと「そうなんですよ。やりながら覚えるしかないんですが、時々『これ、なんだ?』という過去のプランが出てきます。その場合、その人の当時の状況を聞きながら、想像しながら対応します」とのこと。店員自身が混乱するくらいだから、そりゃ素人が理解できるわけもない。

《問題の所在》
●過度のカスタマイズは、ブラックボックス化を産む。
恐らく、これだけコロコロ変化し、かつ複雑怪奇になった料金プランというのは、その時その時に最適と思われるセグメント化と、それに対する設定を行う、ということを繰り返したからだろう。それ故に、自分たちでも理解が困難になるという自縄自縛の状態に陥っている。
しかし。今後、ネットとAIの発達で、「一物一価」はむしろ非常識になり、完全に個人にカスタマイズされた料金提案がされていくと思われる。そうした時に「本当に、それが最適か?」なんて、誰もわかりゃしない。「AIが提案するから、それが貴方にベストだ」と言われてしまうかもしれない。

人間、複雑性には耐えられないので、つい「そんなものか…」と思考停止しがちだ。しかし、そんな中でブラックボックス化をさせないように「消費者としては」厳しい目を向けねばならないし「ビジネス提供者としては」そこにこそ付加価値サービスのチャンスがあると捉えるべき。時代はそちらのほうに変化しつつある。

自戒の念を込めて。

【国宝:翰墨城】

MOA美術館所蔵。

古筆手鑑「翰墨城」は、「藻塩草」(京都国立博物館蔵)「見ぬ世の友」(出光美術館蔵)とともに、古筆三大手鑑の一つとして夙に名高い。

手鑑の中でも早い時期に成立したと考えられ、鑑定の基本台帳として古筆家別家の古筆了仲(りょうちゅう)(1655~1736)に所伝し、のちに益田鈍翁(1847~1938)が旧蔵した。「翰墨城」の名は、翰(筆)と墨によって築かれた城という意味で、まさに名筆の宝庫に相応しい名称といえよう。、奈良時代から南北朝室町時代の各時代にわたる古筆が、表側154葉、裏側157葉の合計311葉収められている。

弘法大師菅原道真小野道風という「書の三聖」の名筆がすべて揃う上に、藤原佐理など「書の三賢」に連なる名筆もあり、まさに圧巻としか言いようがない。ただ書くだけで、これだけのパワーがあるのだから、本当に時代を超えて素晴らしい。


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菅原道真の書。

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小野道風、藤原理佐の書。



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弘法大師の書。