世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【トラブル予習の限界。】

昨日は、想定外のトラブルがあり、難渋したので厳しかった…そこから、感じたこと。

《ポイント》
●マニュアル化できるのは「想定の範囲内」のみ。
今時、どんな仕事にもマニュアルはある。また、それなりトラブル対応の手順も書いてある。
しかしながら、それらはあくまで「想定される、それなり発生するトラブル」についてのもの。レアケースほど、マニュアル化はされない。

●人間は「過去の体感」に引きずられる。
人間は、自らの経験を過大評価する癖がある。そのため、「どこに問題があるか?」より「過去のどのトラブルに類似しているか?」を探しがち。結局、間尺の合わない当てはめを優先する事態にしばしば陥る。

《問題の所在》
●トラブル時に「事実を見る」のは、人間にとって極めて困難。

そもそも、人間の脳みそは極めて面倒くさがり。よって、トラブルに接すると、できるだけ手間なく片付いてほしい、という希望的観測に乗っ取られがち。
さらに、経験がない人はパニックになってあれこれ無駄な動きをして疲弊してしまう(←疲労は、睡眠不足と並び、人間の思考力を低下させる)。他方、経験のある人は過去の自らの経験に頼りすぎ、現状を冷徹に見なくなりがち。

では、AIならうまくいくのか?といっても、事柄はそう簡単でない。トラブル対応は、様々な情報から必要なものだけをスクリーニングして結合し、洞察する事が求められる。それには、トラブルの経験を要素としてインプットする必要があるし、結局、その時点では人間の手が必要になる。

今後、コンピューターに仕事を乗っ取られない為には、トラブル対応に向き合って、経験を蓄え、正しく一般化する、という事が求められるのではなかろうか。勿論「人手を介さず自動化する」のが良いのだが、自動化したらしたで、そのマシンの管理は絶対に必要。そのとき、人間は単なる労働力ではいけない。頭を使い、洞察・判断をできないと。

自戒の念を込めて。

【世界遺産は偉いのか?】

世界遺産マニアとしては、そもそものアイデンティティを揺るがすような問いだが(笑)、今回、宮古島を旅行してみて、心からそう感じた。

家族旅行で訪れた、宮古島世界遺産でもなく、国宝もなく、そういった「肩書き」からすると、忘れられた島。でも、実際には、観光客が千客万来、国内のみならず海外からも多数の旅行者が訪れている。これは、どういうことか。

かつてワタクシが訪問したニューカレドニアは「 ニューカレドニアの礁湖:サンゴ礁の多様性と関連する生態系 」として、世界自然遺産に登録されている。それは、筆舌に尽くしがたい美しさだった。


f:id:worldheritagemeister-k:20180807232929j:plain
ニューカレドニアの、「天国に一番近い島」の海岸。

でも。宮古島も、負けず劣らず素晴らしい。


f:id:worldheritagemeister-k:20180807233026j:plain
宮古島の誇る「東洋一のビーチ」、与那覇前浜
海岸。

この違いは何か?

分かつのは、登録基準。ニューカレドニアは「自然美、景観美」の他に「生物多様性」「絶滅危惧種の生息地」として世界遺産登録されている。
しかし、宮古島には、それがない。その違い。

…まぁ、宮古島周辺は、近隣の離島を橋で結ぶなど、地元かつ観光の利便性を優先している感もある。しかし、その海の美しさは、まったく引けを取らない。

勿論、世界遺産は、国際条約で保全の意義と価値が認められている。でも、それだけではなく、「良いものは、次代に繋ぐ」。そういう意識がないと、ともすると世界遺産絶対主義に陥り、地域で必要なものが保全されない。それは、本末転倒。

大事な地球を未来に繋ぐのは、我々の心持ちから。そう、感じる。

【職場の懇親会で、感じたこと。】

昨日は、職場が新体制となり、そのキックオフの懇親会。そこで、感じたこと。

《ポイント》
●職場とは全く違ったエネルギー。
職場では、みんな真面目で、誠心誠意仕事に向き合っている。でも、真面目故に疲労感も漂っている。
他方、懇親会では、若手の多い職場でもあり、エネルギッシュな楽しみ方。このポジティブな空気感は、全く違う。

●みんな「わかってもらい、その上で、わかりたい」。
人間は社会的動物であり、自己受容を強く渇望する。だから、相手のことをわかろうとするより、まず「自分のことをわかってほしい」を優先する。それが満たされて、ようやく他の人に目を向けることができる、というパターンに陥りがち。お互いにそう考えていれば、いつまでも自己受容が満たされる事はないのだが…

《問題の所在》
●メンバーのエネルギーを、組織が生かしきれているのか。
良くも悪くも、真面目さは組織の行動様式として染み込んでいる(『組織文化』とも言える)。そこに、みんなキャラクターを合わせて、本来の伸びやかなエネルギーを押し込めている事が、窮屈さに繋がっているのではないか。
数値目標を達成することでしか自己肯定されないのでは、あまりに寂しすぎるし、何より数値化により「人をモノ扱いしている」ので、モチベーションが上がりようもないのでは?

森田英一氏の名著「こんなに働いているのに なぜ会社は良くならないのか?」が提示した状況に陥っていないか。そこを、見極める必要がある。

自戒の念を込めて。

【読了】ジェームズ・R・チャイルズ「最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか」

今年53冊目読了。アメリカ技術評論家の筆者が、技術の限界に近づくことで起こるリスクとそれに対する人間の行動様式を書き記した一冊。

〈お薦め対象〉
リスクと向き合う仕事をしているすべての人
〈お薦め度(5段階評価)〉
★★★★★
〈実用度(5段階評価)〉
★★★★★

自分の問いは3つ。
『人間の行動特性は?』には「精神的圧迫を受けると、飛躍した結論を出す傾向が強い。一つの行動を決定するとそれにしがみつき、相反する事実が出現しても行動を変更しない。統計ではなく、自分が実際に経験したことによって自分の確率を決める。睡眠不足になると、判断力が大きく減退する」。
『重大事故へと導くものは何か?』には「貧弱なメンテナンス、意思疎通の悪さ、手抜きなど複数の要因の組み合わせ。危機を乗り切るために真剣に対策を考えず、日々のルーチンに固執する。問題回避のゆとりが十分に残っていると決めつける。文章における伝達ぬきの安易な処置。」。
『重大事故を回避するためには?』には「マシンのことをわずかしか洞察できていないという自覚を持つ。安全確保のために余裕をねん出し、状況を検討する。繰り返して話し、情報を正しく伝える。今自分はどこにいて、なにをしたらよいのかを思い起こす。最悪の日には複数のものごとがうまくいかなくなる事実を受け入れる」。

これは、抜群に面白い。事故の研究というと、畑村陽太郎「失敗学」が有名だが、正直、人間行動特性まで抉り込んでいる点で、こちらのほうがはるかに素晴らしいし、学びが深い。
「疑いを持たないことは、何も知らないのと同じくらい危険」「起こるはずがないと思いたい災難の多くは、起りえないのではなく、起こるまでに時間がかかるだけ」「警告メモは、怠惰を正しにくく、上司を困らせる効果を持つほうが多い」「生存には、スタミナと生きることへの執着心が大きく左右する」「怒りを抱けば崖っぷちに立たされ、そこから転落することもたやすい」など、危機管理の観点から、留意すべきヒントが実践から山のようにちりばめられている。

リスクと向き合わない仕事、というのがそもそもなく、どんな仕事もマシンと絡み合っている以上、すべてのビジネスマンに必読の書と言えよう。分厚い文庫本だが、面白いのでガンガン読み進められてしまう。超おすすめの一冊。

【読了】デイヴィッド・ブルックス「あなたの人生の科学(上下)」

今年51・52冊目読了。ニューヨークタイムズのコラムニストにして、アメリカ芸術科学アカデミー会員の筆者が、社会的動物である人間の一生を科学的側面から書き記した二冊。

〈お薦め対象〉
人生という大きな流れを、科学の見地で通読してみたい人
〈お薦め度(5段階評価)〉
★★★☆☆
〈実用度(5段階評価)〉
★★★☆☆


自分の問いは3つ。
『人間の思考・行動の特性は何か?』には「自分の人生の特殊さを過大評価する。ほんの少しの共通点が見つかれば、それを根拠に集団を作る。孤独を感じている人は、周囲の人に批判的な態度を取りがち」。
『人間の成長のカギは?』には「些細なこと、細かいことがきちんとできるようになれば、あとでもっと大事なことを学ぶのがとても楽になる。美徳とは、実践し自分で行動することによってのみ得られるもの。何か一つ自分のすべきことを見つけ、それを生涯続けていく。何か活動する場合、重要なのは内容よりも持続時間」。
『無意識は人間にどう作用するか?』には「無意識は人との調和や絆を求める。人格の深い部分は、外界・他社との関係で成り立つ。その時々の状況、前後関係に大きく影響を受ける」。

 あえて、架空の2人の人物の人生を追うような形で、人生の断面ごとに科学的に考えるという手法を取っている(著者があとがきで述べているとおり、教育における「エミール」の手法)のだが、これが却って「自分に一般化できない」という読みにくさを生んでしまっている気がする。ストレートに、ライフイベントごとに科学的な見地を述べるほうが読みやすかったように思うが…

 とはいえ、「自分の無知を認識し、そこからすべての知恵が生まれると考える」「道徳心を向上させる社会習慣は、礼儀作法、他人との会話、組織の定める規則」「意思決定は私たちの知らないところでなされ、意識にはあとで知らされる」など、意義深い洞察も多く、読んで面白い本であることは間違いない。

 科学で人間を見てみたい、という人であれば、楽しく読めるだろう。ボリュームがかなり多いが…

【読了】千葉雅也「勉強の哲学」

今年50冊目読了。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授にして、思想界をリードする気鋭の哲学者である筆者が、勉強というものについて哲学的に捉えた読み解き方を書き記した一冊。

〈お薦め対象〉
勉強の意義について考えたり迷ったりしている人
〈お薦め度(5段階評価)〉
★★★★★
〈実用度(5段階評価)〉
★★★★★


自分の問いは3つ。
『言語の特性は?』には「言語習得とは、ある環境において、ものをどう考えるかの根っこのレベルで洗脳を受けること。言語は、私たちに環境のノリを強いるものであると同時に、ノリに対して距離を取るためのもの。可能性をとりあえずの形にする、言語はそのためにある」。
『勉強とは何であるのか?』には「生活にわざと疑いを向けて、問題を浮かび上がらせる。かつてノッていた自分をわざと壊す自己破壊。そもそも不確定なコードを、アイロニーとユーモアでますます不確定にする」。
『勉強するにあたっての心構えは?』には「自分の状況は、大きな構造的問題の中にあり、自分一人の問題ではないというメタ認識を持つ。アイロニーの批判性を活かすため、絶対的なものを求めず、複数の他者の存在を認める。どこまでが他人が考えたことで、どこからが自分の考えなのかをはっきりと区別して意識しなければならない。情報過多の現代においては、有限化が切実な課題」。

サブタイトルが「来たるべきバカのために」と書いてあったし、そこまでガッチリした雰囲気の本でもなかったので、ちょっと楽しみ…くらいで手に取ったが、これはとんでもない硬派な本だ。勉強というものに対する切り込みの鋭さ、比喩の絶妙な上手さ、それでいて哲学的な(難解なれども確固たる)思考。それでいて読みやすい。こんな本があったのか…ただただ、驚愕する。
「勉強するにあたって信頼すべき他者は、勉強を続けている他者」「深く勉強するとは、言語偏重の人になる事」「勉強の継続とは、ある結論を仮固定しても比較を続け、別の可能性につながる多くの情報を検討・蓄積し続ける」など、含蓄ある言葉もいくつもある。現代を生き、情報の洪水に呑まれている我々だからこその必読書と言えよう。絶対に一読をお薦めしたい。

【読了】榎本英剛「本当の仕事」

今年49冊目読了。CTIジャパンを設立してコーチングを日本に提供し、現在はよく生きる研究所を設立した筆者が、自分に嘘をつかない生き方・働き方を書き記した一冊。
 
〈お薦め対象〉
自分の仕事が天職である、と言い切れないすべての人
〈お薦め度(5段階評価)〉
★★★★★
〈実用度(5段階評価)〉
★★★★★
 
自分の問いは3つ。
『なぜ仕事を辛く感じるのか?』には「精神的豊かさに対する渇望感が満たされない。日本人が仕事を4つの色眼鏡で仕事を見ている。①仕事は生計を立てるための手段②仕事はやりたくないことをやること③仕事は既存の職業に自分をあわせること④仕事は同時に1つしか持てないこと」。
『仕事をどのように捉えるべきか?』には「仕事とは自らの存在意義を探求し、それを表現すること。世の中に問題がある限り、仕事がなくなることはない。自分の純粋意欲を表す言葉を仕事に付け加えることで、次第に職業にその人らしさが浮かび上がる」。
『人生とどう向き合えばよいか?』には「意味づけ1つで人生は劇的に変わりうる。夢に向かうときに芽生える恐怖心は客体化し、恐怖心に同化するのを避ける。今まで自分がしがみついていた考え方やものの見方を手放す。自分に存在意義があると信じる」。
 
平易な文章で読みやすいが、中身の深さは圧倒的。それでも重く感じられないのは、筆者の温厚な性格に包まれた迸るエネルギーゆえであろう。「天職創造のステップは①自分の純粋意欲に気づく②気づいた純粋意欲を人に話す③そこで起きる共鳴を見分ける④その共鳴を指針として行動を起こす」「心から何かをやりたいという気持ちは、神様が自分に与えてくれた贈り物」「存在意義は、他者、世の中と関わってこそ生きる」など、深く仕事と人生について考えさせられるコメント多数。
 
この方の本はいずれも読みやすく、かつ深いのだが、この本も非常にお薦めだ。「仕事が辛い」と思っている人なら、なおのこと、必読の書と言える。