世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】椎名美智「『させていただく』の使い方」

今年89冊目読了。法政大学文学部英文学科教授の筆者が、「させていただく」という言葉を通じて日本語と敬語のゆくえを考察する一冊。


言語学の部分は少しかったるいが、基本的に社会学的な指摘は面白く読めた。新書ではあるが、ちょっと重たい内容。


筆者は、そもそもの問題意識は「多くの人が『正しい』と考えるかどうかではなく、人々が『普通の敬語だと敬意が足りない気がする、さて、どうしよう?』とあえぎながら、これでもかこれでもかと『させていただく』を連発している敬語のインフレ現象」とする。


言葉の変化についての「言葉の使い方はスピーディーに変わっていくし、私たちの方も、新奇な使い方でも何度か聞いているうちに慣れてきてしまう」「高校生くらいの女性の言葉の使い方が一番斬新で刺激的。父親が使うようになったころにまだ娘さんが使っていたら、その用法は定着しているといえるが、使っていなかったら死語の世界に入っている」という言及は、アラフィフのオッサンにはきついが、確かにそうだろうな。


言語変化については「社会言語学では、産業革命以来の地方から都市への人々の流入による匿名性の高まり、身分制度がなくなったことによる民主化、それに加えて身分の流動性の高まりなどによって、人々の距離感や言語意識が変化し、人々は相手に対して失礼のないように配慮して話すようになったというのが定説」と指摘。
そんな中で「敬語は、含まれている敬意が使われるうちに少しずつすり減ってくる」という特性により「敬意が減少してくると、人々は敬意が足りないと感じるようになり、敬意を高めようと敬語を追加していき、結果として敬意のインフレーションが起こる」とする。これは「身分社会が水平化し、自分が対面している人がどんな出自の誰なのかがわからないとき、対面する相手をどのように遇すればわからなくなり、寄る辺なく敬意にすがる」ためだと主張する。


そんな状況で、させていただく、が使われるようになったのはなぜか。「『させていただく』を使うと、話し手と聞き手は近づきすぎず遠ざかりすぎず、絶妙の距離感を保ってコミュニケーションができる」「『させてください』は相手に触れるので敬意漸減が起こり、敬意不足が感じられるようになる。そうなると、『ください』は依頼というより命令の意味合いを帯びてくる。そうした『させてくださる』の変化が背景にあって、少し距離をとる自分を主語とする『させていただきます』が使われるようになったと考えられる」点だと指摘。
しかしながら、この言葉が「慇懃無礼というのは、気がついてしまうと、とても腹の立つもの」という状況に陥ることがあるのは「『いただく』は相手に触れないというまさにそのことにおいて、結果だけを『もらっちゃうからね』と言われているような感覚を与えてしまう側面がある。それが、否定的な受け止め方を生じさせてしまう原因の一つではないかと考えられる」と説明する。


敬語の将来について「敬語とは、そもそも尊い他者に対して敬意を向けるものだった。それがいまや、人々は敬意を他者に向ける代わりに謙虚な自分を示すことにひたすら注力している。現代日本語の敬語が行きつく先にあるのは、敬意が他者へ向かない敬語、他者を必要としない敬語かもしれない」と言われると、暗澹たる気持ちになる。複雑で面倒な敬語だが、世の中が平板になっていく、ということか…