世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】沢木耕太郎「オリンピア ナチスの森で」

今年100冊目読了。深夜特急を代表作として持つ人気作家が、記録映画の傑作「オリンピア」を撮影した映画監督リーフェンシュタールへのインタビューや、数々のアスリートへの取材を通して1936年ベルリン・オリンピックを描き出す一冊。


今まさに2021年、コロナ禍での東京五輪開催が大きく問題視され、揺れている中で、近代オリンピックの実相を振り返りたいな、と思って読んでみたら、これが実に面白い。圧倒的な取材と丁寧な筆致で、イキイキと往時の雰囲気が蘇ってくるようだ。2019年の大失敗大河ドラマ「いだてん」で40時間ほど費やすより、この本を読みふける2時間のほうがよほど素晴らしい。


天才映画監督と呼ばれ、しかしながらナチスとの関係性の深さに「ヒトラーと寝た女監督」とも揶揄され、苦しい後年を過ごすことになった天才、レニ・リーフェンシュタール。1964年東京以前のオリンピックでは「人々の視覚的な記憶は、新聞雑誌に掲載された写真と、劇場で上映されたニュース映像によって形作られてきた。そのため、どの大会も記憶は断片的なものにならざるをえなかった。しかし、唯一の例外がベルリン大会だった。ベルリン大会にはレニ・リーフェンシュタールの『オリンピア』が存在したためである。少なくとも『オリンピア』を見た多くの人にとっては、ベルリン大会は開会式から閉会式に至る、ひとつの全体的なイヴェントとして記憶されることになった」。
彼女のオリンピック映画は『民族の祭典』と『美の祭典』の2部からなる。「それは、映画が長くて、日本に分けざるをえなかったから。一本目の『民族の祭典』にはオリンピック大会の最も重要な要素を入れた。ギリシャの時代から受け継がれたオリンピックの理念をよく表しているもの、つまりプロローグのギリシャの遺跡や聖火リレーを撮った部分と、開会式と、重要な陸上競技のすべて。二本目の『美の祭典』では、陸上競技以外と選手村での様子が中心。こちらの方は、競い合う姿が中心ではなく、その動きやリズムや美的なものに重きを置いた」とのこと。


リーフェンシュタールは「ヒトラーは私が撮ることになったオリンピックの映画になんの興味も示さなかった。そもそもオリンピック自体に興味がなかった。オリンピックが始まって、だんだんドイツ人が金メダルを獲得していくので興味がでた」とし、筆者も賛同する。が、確かに『国際運動会』としてみればそうだろうが、『イベント』としては違ったのではないか、と思う。ナチスとの繋がりを問われて「歴史的真実はまだ現れてきていない。あまりにもウソが多すぎる!」と言いつつも、「彼女の明晰な話しぶりから記憶もまた鮮明なのだろうと思っていたが、その多くは失われていたのだ。無理もない。60年も前のことなのだ。出来事の輪郭は記憶しているにしても、細部となると古い建物の壁が剥落しているように曖昧になってしまっているのだろう。それがレニの60年だったのだ」というのが惨酷な事実。そんななか「37歳を境にして、以後は落ちるばかりだった、というレニの言葉に胸を衝かれた」は筆者に完全に共感する。


そして、記録映画でも創作でもないのは彼女によると「厳密な意味のドキュメンタリーではない。ただ、それでも創作でないといえるのは、同じスタジアムで、同じ選手で、現実に起こったのと同じ経緯をたどるから。つまり、あれは現実のデュープ(複製)」というのは知らなかった。「創作、撮り直し、置き換え…彼女はその優れた編集能力を駆使し、さまざまなレヴェルの映像を混ぜ合わせた。その結果『オリンピア』は単なるドキュメンタリーであることをやめ、ドキュメンタリーと劇映画のはざまに浮かぶものとなっていた」と言われると、一回この映画を見てみたくなる。


このころから変わらない日本人のオリンピックの受け止め方として「オリンピックを国家間の得点争いと捉える見方が根強くあった。それはやがてメダル争いへと変化していく」「それまで日本から何十通となく送られてきていた手紙や電報も、敗北を境にぱたりと途絶え、わずか一通が届いたに過ぎなかった」「前畑は前回のロサンゼルス大会では僅差の二位だった。今度こそ一位になってほしい、という国民的な願望が、なるべきだという義務の強制に変化してしまった」のあたりがある。不気味ともいえるレベルだ。


そして、この大会のマラソンの頂点に立った孫基禎(ソンギジョン)。日本統治下の朝鮮人で、「彼らの日本の学校に対する対抗意識には強いものがあった。レースでは必ず勝とうとした。そういう機会でなければ、自国を支配している日本人を叩き伏せることはできなかったからだ」「月桂冠を頭にかぶせられると、場内には『君が代』が流れ、国旗掲揚台に『日の丸』が翻った。孫はうつむきながら、どうしてここで『君が代』が流され、『日の丸』が掲げられなければならないのだろう、と無念の思いで聞いていた。孫基禎はこの時、かつてないほど痛切に『亡国』の悲しみを感じることになった」という事実は、日本人としては押さえておくべきことだろう。
他方、「黒人(アメリカ代表・オーウェンス)と東洋人(日本代表・孫)が、オリンピックの華ともいうべき百メートルとマラソンに優勝した。そのことは、少なくともスポーツにおいては、白人が世界の主役であり続けることは不可能かもしれないという惧れを、ヨーロッパ中にもたらすことになった。オーウェンスと孫は、オリンピックが変容していくだろうという予感の、その象徴的な存在となったのだ」という筆者の『オリンピックを舞台とした人種差別への冷徹な目』の視点は大事だ。


この大会は、どのように映ったのか。「ベルリンの開会式には一分の隙も無い。ほとんど完璧といえる運営には、ドイツ国民とナチス政権の、オリンピックにかける執念のようなものが感じられた」「この大会がナチスの総力を結集して行われたものであることは誰の眼にも明らかだった。競技場の建設から、大会の運営に至るまで、ナチス・ドイツは金と労力を惜しまず注ぎ込んだ。その結果、ベルリン大会は過去最多の選手と観客を集め、多くの世界新記録とオリンピック新記録を産み、多くの感動と興奮のうちに終わろうとしていた。すべてに清潔で効率的で機能的だった。しかし、それらには、町に氾濫するハーケン・クロイツの旗にも似て、どこか不安を覚えさせる過剰さがあった」というのはうわべの姿。
実際には「ベルリン・オリンピックには、以前から、大会の開催そのものを危うくするひとつの火種があった。ナチスが政権を奪取して以来、ドイツ国内で強力に推し進められてきた反ユダヤ政策が『人種と宗教による差別』を禁じているオリンピック憲章に反するのではないかと見なされた」。が、アメリカ・オリンピック委員会の代表ブランデージが「いささか病的なアマチュアリズムと権威主義があり、そこにナチスの外見的な清潔さと規律正しさを受け入れる素地があった」ことで、開催された、とする。
…となると。2021年、コロナ禍での東京大会はどう記録・記憶されるのか、暗澹たる気持ちにしかならない…


ぜひ、一読して、オリンピックという国際イベントの過去、そして本質を感じ、2021年東京で行われる(そもそも行うべきなのか)の意味を考えることは大事ではなかろうか。