今年98冊目読了。武蔵野美術大学造形学部教授、MOA美術館館長、三井記念美術館参事の3名により、アート・ビギナーズ・コレクションシリーズとしてまとめられた一冊。
1人の人生を振り返るのに、専門家3名が共著しないといけないことからもわかる、超多才の天才・本阿弥光悦。戦国末期から江戸初期に活躍した光悦が再評価されたのは明治時代。「世界への意識と茶道の伝統の発見という新しい価値観が加わることによって、ようやく近代的評価の枠組みが確立し、明治末から大正期にかけて、西欧ルネサンスのレオナルド・ダ・ヴィンチにも擬えられる万能の天才、あるいは総合藝術家としての光悦像が成立していく」。
そんな彼の出自は「本阿弥家は、刀剣の砥ぎ、拭い、目利きを家業とする京都の富裕な町人層。光悦もまた家業に従事し、その名を著者とする刀剣伝書も残されている。一方、光悦は書や漆芸の分野でも知られ、光悦の名を付した茶碗類も大名茶人に好まれていた」。
あまりにも多芸であった光悦。「光悦と武家階級の交流が、刀にかかわる家業から発展してきたことは容易に理解されるが、その交流をいっそう親密なものにするために、光悦はさまざまな方面に関心を持ち、その結果として多芸になった面もあるのではないかと想像される。つまり光悦にとって多芸であるとは、人々と交わるための社交の手立てでもあり、自らの愉しみの追求でもあったのではないだろうか。光悦を中心において作品や資料を総合的に考察する時、桃山から江戸初期にかけて、趣味や美意識を共有する者同士が階級を超えて作り上げた世界の構図が見えてくる」とみるのも、宜なるかな。
それにしても、片手間でやっていた茶道でも「光悦は茶の湯を生涯の楽しみとして自ら茶を点て、名器は人に与えてしまって残さず、一方新しい道具でも作行き優れたものを見知る様子は生前の利休に似通っている」とは、天才にしかわからない世界があるということか…