世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】山内智恵子「ミトロヒン文書」

今年62冊目読了。日本IBM東京基礎研究所を経て英語講師を勤めている筆者が、旧ソ連KGBのもたらした諜報工作に関する文書を和訳し、日本に紹介する一冊。


もちろん、亡命KGBであるミトロヒンの言葉がすべて完全に正しいとは思わない。しかし、その歴史背景や流れ、実際の展開などを考えると、近現代史KGBの暗躍が凄まじいものであったということは間違いないように感じる。


そもそも、情報史学というものが日本においては重んじられてきていないが、「『インテリジェンス』というのは、情報を集めて、どれが信頼できるかを判断して、役に立つものを使い、信頼できないものは捨てる」という日常生活の作業の延長だと指摘。「インテリジェンスで最重要なのは、『相手が何を考えているか』を正確に把握すること」


共産革命によって誕生したソ連という国について「秘密警察による弾圧、強制収容所への大量収容、『反革命』勢力の『陰謀』に対する警戒心と猜疑心といった、いわゆるスターリニズムの特徴とされるものは、実際にはレーニン時代にすべて出そろっていた」「共産党にはもれなく非合法組織がついてくる」とその本質を見据え「ソ連は、自国への国際的な陰謀が存在することを前提にして、体外交策で常に謀略を仕掛けてきた。自分の側が謀略をすればするほど、相手も自分にやっているに違いないと、さらに確信が強まっていく構図。それが結果的に、自滅と大量粛清につながっていく」と喝破する。
そして、1930年代のソ連の実態として驚くのは「ソ連の主敵はイギリスであり、アジアでは日本が最大の警戒対象。当時はまだ、ソ連にとってアメリカでの諜報活動は優先順位が高くなかった」「秘密警察が暴力的に農村を弾圧したから飢饉が起きて、ものすごい社会的混乱になったのに、その混乱を収めるために秘密警察の顕現が『焼け太り』するという皮肉な成り行き」という記述。
そんな中、猛威を振るう秘密警察。「中身はほとんどソ連工作員に牛耳られ放題だったルーズヴェルト政権や、情報機関でフィルビーを大出世させていたイギリスに比べたら、ゾルゲ事件なんて本当にかわいいもの」という指摘には驚くばかり。


では、なぜ、ソ連の西側諸国への諜報は成功したのか。「大恐慌による経済崩壊と、ナチスドイツに代表されるファシズムの台頭」「『世界最初の労働者と農民の祖国』というイメージを信じ込み、ここにこそ人類の未来があると期待して思想的にソ連共産主義にのめり込んだ知識人やエリートがいたから」という指摘は、後知恵でみればバカげているのだが、大恐慌の前に資本主義に対して絶望した当時の人達の感覚を感じ取らねばならないだろう。それは、コロナ禍という状況において監視社会を安易に許す風潮においても同じかもしれない。
他方、「戦後、西側でソ連工作員になる人たちの同期は、はっきりとカネ目当てに変わっていった。ソ連対外工作の黄金時代は、二度と取り戻せない過去の栄光になっていた」というのも納得がいくし「情報機関と言えども、お金がなく、組織の存続も危うくなれば、背に腹は代えられない」もまさに『貧すれば鈍する』の典型ともいえる。


そのわりに、ソ連が適切に政治判断できたかというと、それは別。「スターリンは正しい情報を挙げてきた人たちを誹謗中傷するばかりで、頑として受け入れようとしなかった。こんな状態が続けば、下は上が喜ぶ情報しか上げなくなるので、どんなに優秀な諜報員や工作員がいても意味がない」「どんなに良質の情報があっても、正しく分析して国策に活かすことができなければ何にもならない」「言論の自由が尊重されない社会では、どんなに強力な諜報組織も機能しなくなる」は、まさにそのとおりだと感じる。


ここ数年の安倍・菅政権のグダグダな運営を見るに「文書というものは、政府機関の決定が事後に問題になった時、責任が誰にあるのかを示す拠り所。いざというとき責任の追及から自分の身を守るのも文書だし、政敵の政治生命のみならず物理的生命すら奪う武器になり得るのも文書」「オリンピックは堂々と外国に秘密諜報員、スパイを送り込むことができる絶好の機会」という筆者の記述が哀しいほど嫌な形でよく理解できる。「善政を行うことが防諜の基礎」なのだが…


ソ連は崩壊したが、筆者は「ソ連の工作はどこまでうまくいって、どこに限界があったのか、それ以上にうまくやるにはどうすればいいかを、目を皿のようにして調べて検討している国が絶対ある」「ソ連に比べると、今の中国ははるかに強か。思想や言論の自由全体主義的に規制しつつ、技術革新は積極的に進める体制を作り、西側の市場に打って出ている。中国は西側から奪った知財で製品を作り、西側の市場を奪いに来ているから、脅威の大きさはソ連と比べ物にならない」と指摘。
それに対する日本としては「日本の安全保障は、有事及び平時の破壊工作のための施設・計画・要員が国内に存在していることを前提に考えるべき」「ソ連・ロシア、中国、そして英米諸国の情報工作に振り回されないためにも、日本は日本の立場で情報史学に取り組み、各国の機密文書を読み解く体制を構築してなければならない」とする主張は、とても共感できる。「そのためにもまずは、世界各国の『情報史学』研究に対する理解者が増えていくことが望ましい」と述べる江崎道朗氏の「監修によせて」の言葉は重い。


非常に面白い本であったが、こういった諜報活動の根っこにあるのは「人は弱いので、淡い希望にでもすがりたいもの。いつかは少しはよくなるという希望がなければ、人は生きていけない」という人間の特性のように感じた。