世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】牧野邦明「経済学者たちの日米開戦」

今年13冊目読了。摂南大学経済学部准教授の筆者が、太平洋戦争に突入していった日本の意思決定について、昭和15年から17年にかけて活動した陸軍省戦争経済研究班、通称「秋丸機関」が作成した幻の報告書の謎を解いていこうという一冊。


この機関が置かれたのは「昭和12年日中戦争勃発後、日本では蒋介石の国民政府を支援していると考えられたイギリスに対する反感が強まり、また日本が『日満支経済ブロック』の確立を目指して中国中部から南部に支配地域を拡大していくことによって、香港や上海におけるイギリスの経済活動は大きな打撃を受け、日英関係は一層悪化していく」という流れの結果「イギリスとの関係悪化は、アメリカ合衆国と日本との関係悪化につながり、太平洋戦争を引き起こすことになる」となりつつある流れの中であった。秋丸機関は、中心人物である秋丸次朗の経歴から「いわば『陸軍版満鉄調査部』であった」となり、その考え方は「経済戦の真髄は武力戦と同様に『敵を知り己を知れば百戦殆うからず』」「そのためには彼我の戦争経済=経済戦力を測定し、その優劣を比較することから始めなければならない」「統計学者の確保が何より急務であった」と、非常に合理的である。


では、その分析結果はどのようなものだったか。「ドイツとイタリア、特にドイツの経済抗戦力がどれくらいの大きさなのかによってイギリスが降伏するかしないかが決まる」「独ソ戦が短期で終わればドイツは対英米に長期にわたって対抗でき、英本土攻撃も可能になるが、独ソ戦が長期に渡ればドイツは経済抗戦力を消耗して昭和17年度からは抗戦力が低下していく(つまりドイツは最終的に勝利することは出来ない)」というもので、日本についても「これから戦争をしようとする英米と日本の間で巨大な経済格差があり日本が長期戦を戦うことは難しい、というのはわざわざ調査するまでもない『常識』であり、一般の人びとにも英米と日本の国力の隔絶は数字で公表されていた」というのだから、『じゃ、なんで戦争に突入したんだよ』と言いたくなる。もちろん、「秋丸機関の研究は基本的には軍務局の意向に沿うものであった」「北進すれば作戦がうまく進捗するかどうかにかかわらず『消耗戦争』になるため、結局資源を確保するためにより困難な状況で南進をせざるを得なくなる」というのはわかるのだが、いみじくも「昭和16年末の大平洋戦争開戦まで陸軍は何度も国力判断を行っているが、それは日本に国力が無いことを良く知った上で何とか打開策を探そうとする陸軍の焦りの表れでもあった」と指摘されるとおり、無理があったわけだし…


そこへの読み解きが、なかなか秀逸だ。「『経済力の格差が大きい』『長期戦になれば敗北する』というのは当時自明なことだったので、それを指摘しても逆に『だからこそ戦争により資源を確保しなければならない』というロジックに回収されてしまい、戦争回避の意味を持ちにくかった」と「人間は損失を被る場合にはリスク追求的な行動を取る」といプロスペクト理論を使って説明されると、納得性が高い。だから「日本の指導者にとっては、三年後の確実な敗北よりも、国際情勢次第で結末が変化し、場合によっては日本に有利に働くかもしれない開戦のほうが『まだまし』と思えた」と言われれば、後知恵から考えることなく理解できる。
また、「日本における戦争指導は、陸軍、海軍及び政府の三鼎立の合議妥協によって律せられるのがその実相であり、ややもしれば、思想の統一と施策の決断及び一貫性とを欠如していた」中で「はっきりしない意見よりも極端ではっきりした意見の方が魅力的に思える、また、集団規範や価値に合致する議論が自然と多くなって集団成員がそれに説得されてしまう」という点も、優れた指摘と感じる。


かくて「太平洋戦争はアメリカと戦う戦争であったものの、開戦時に日本が想定していたのはイギリスを屈服させることによって間接的にアメリカと有利な講和を結ぶことであり、アメリカとの直接の『戦闘』についてはせいぜいアメリカ海軍主力が日本に近づいてきた際にそれを迎え撃つということしか考えられていなかった」「一方、陸軍は『アメリカと戦争をする(している)』ちおう意識が極めて希薄だった。陸軍の仮想敵国は第一にソ連であり、またアメリカと戦うことになったとしてもその担当は海軍と考えられていた」「ドイツにとってはソ連、日本にとってはイギリスの打倒が最も優先されるべきであり、その時点で戦争の目標が大きく異なっていた」というボロボロな戦いの始め方であれば「連合国と枢軸国との圧倒的な国力の差がある以上、それは戦略によって逆転できるものではなく、日本は開戦した以上は何をしても敗北は免れなかったと考えられる」のもむべなるかな。


結局、秋丸機関は「『対英米開戦』の回避に役立ったとは残念ながら言えないが、日本がより悲惨な状態になったことは間違いない『対英米ソ開戦』の回避には役に立ったのかもしれない」という評価になってしまう。では、どうすればよかったのか。「日本の経済学者が『日英米開戦』の回避に貢献できたとすれば、日本とアメリカの経済格差という『ネガティブな現実』を指摘することではなく、『ポジティブなプラン』を経済学を用いて効果的に説明することだっただろう。『ドイツの国力は現在が限界なので数年でソ連英米に挟撃されて敗北する、その後は英米ソ連の対立が起きるのでそれを利用すべきだ』とエビデンスを踏まえてヴィジョンを示せれば、『臥薪嘗胆論』に説得力が増し、『日英米開戦』は回避された可能性がある」は、なるほどなぁと唸らされる。


「現在の社会において『エビデンスとヴィジョン、そしてレトリックを使って、より良い選択をするためにはどうすればよいか』を考える機会となれば幸い」という筆者の結びの言葉は、コロナ禍に苦しむ2021年の日本にとっても大事な警句である。これは、読みごたえがあり、面白かった。