世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

[読了】森絵都「つきのふね」

今年46冊目読了。ベストセラー作家の筆者が、中学生の友情や日常から、深い精神世界を描き出す小説。


「中高生新聞」にお薦めされていたのを、娘が「読みたい!」と言ったので借りてきた。そして、森絵都「カラフル」が読みやすいのに面白かったから、ちょっと拝借して(というかもともと借り物)読んだら、これが大当たり。子供向けと思っていたら痛い目に遭う。そんな面白さがある。


ネタバレ回避で、興味深いフレーズを書き出すが、本当に面白いので、ぜひ、一読をお薦めしたい。


「いざってときに人間がなにするかなんて、そんなのだれにもわかんねえよ」


「ほんとうに絶望的ななにかとむかいあったときは怒っても泣いてもむだなのだ、なげいてもかなしんでもなんの足しにもならないのだと、あたしらはじめて肌身に感じた」


「堕ちた政治家や金もちや、はやらないスーパーの経営者なんかと自分をくらべないほうがいい。自分は自分で生きていかねえと、今の時代、すぐに自分を見失っちまう」


「あんたもあいまいにおかしいんだよ」「人間、よくなるよりも悪くなるほうがらくだもんなぁ」「だれだって自分のなかになんかこわいもんがあって、それでもなんとかやってるんじゃないのかよ」


「どうせオレはおせっかいだよ。人のことばっか気にしすぎてんだよ。でもな、オレから見りゃおまえたちみんな、自分のことばっか気にしすぎてんだよ」


「人より壊れやすい心にうまれついた人間は、それでも生きていくだけの強さも同時にうまれもってるもんなんだよ」

【読了】サラ・マレー「死者を弔うということ」

今年45冊目読了。元フィナンシャルタイムズの記者である筆者が、世界の各地に葬送のかたちを訪ね、そこから死について考察する一冊。


出口治明お薦めということで、読んでみた。確かに面白いのだが、いかんせん、あまりにも記述が冗長すぎて、だんだん疲れてくる。


死についての「死は、混沌と悲しみの底に私たちを落とし入れるが、同時にまた書類の山と数々のうっとうしい手続きをも迫るものである」「死というものが苦痛に満ちて尊厳を失わせるという、陰鬱で容赦ない事実だけではない。それは同時に、人を絶望に陥れる」という分析は、実際に筆者が父の死から体感したことだけに、真に迫る。


死と文化の関係についての「死者の扱いは、人間という種について多くのことを明かす。葬送慣習と墓所の多様さは驚くほどに豊かな形をとって現れる。それらには来世に対する考え方が反響する。それは私たちの文化を映しだす」「悲しみの表現をかたちづくるうえで最大の役割を果たすのは、文化的な慣習と精神的な信条である。そのことから、ある人びとにとっては涙する状況でも、他の人びとにとっては涙と関連づけられない状況が生じる」のあたりは、各国の葬送を調べ上げた本書ならではの価値観だろう。


そして「死者儀礼に哀歌を用いる伝統は、20世紀半ばまでアイルランドギリシャ、ロシア、そして中国にまで及ぶ広い地域を特徴づけた。核心にあるのは、即興的な内容をひとつの形式に標準化することで極度の感情を抑制しバランスを取ること」「たとえ骨の成分がたんなる無機質だと知っても、私たちにはその物質とそれがかつて属した故人とのつながりを振り切ることができないようだ」と、死というものの悲しみと繋がりの分断というのもよくわかる。故に「私たちは死による決定的な終わりに怖れをいだき、どうにかその終わりを新たな始まりに変えようと可能なかぎりを尽くすのである」という感じになるのだろう。


死と向き合うことを忌み嫌う最近の風潮については「死の計画について大抵の人は肩をすくめて、話題を変えようとすることが多い。しかし食事や睡眠が必要なのと同じように、人が死ぬ運命にあるという事実は、人間存在にとってもっとも重要な側面でもある。食事や寝床についてはいそいそと支度し、たしかに、これらは自分の存在の消滅に向き合うよりも魅力的な活動ではある。けれども死もまた現実問題なのだから、同じように支度すべきではないだろうか」「『死の顕現化』に苦しむ私たちにとって、自身がもっともコントロールしたいこと、つまり命の終わりをコントロールできない現実に対して、自分の好きな形で別れを演出することは小さなせめてもの慰めにならないだろうか」と、敢然と疑義を呈する。確かに、メメントモリ(死を想え)が忘れ去られることで、かえって『生きる』ことが軽んじられている感覚はあるなぁ。


なるほど、と思ったのは「見方を変えれば、死こそが私たちを偉大にするのかもしれない。永遠の命を生きるとしたなら、後世に残すべく作品も偉業もめざすことはないだろう。だが終わりある命と向かい合ってこそ、儚いばかりの肉体よりも息の長い足跡を残そうとする」という点。確かに、もっと死と向き合う必要があるのかもしれない。


死を忌み嫌う現代に対するアンチテーゼとしては非常に面白かったが、読み疲れ感は否めなかった…

【読了】宇野重規「民主主義とは何か」

今年44冊目読了。東京大学社会科学研究所教授の筆者が、1人1人がそれぞれに民主主義を選び直すことを提言する一冊。


まず、民主主義を理解する上で「『これが唯一の正しい民主主義の理解だ』という答えにすぐ飛びつくのではなく、変化し、相互に矛盾する多様な民主主義の意味を、丁寧に解きほぐし、分析していくことが大切」と前提を置き「民主主義は参加と責任のシステム」ということを突き詰めていく。
「民主主義の本質は『同質性』、自由主義の本質は『討論』」というのも、意外に見逃してはいけないポイントだと感じる。


なぜ、現代において民主主義を考えるのか。筆者の「今日における民主主義の危機の第一はポピュリズムの台頭、第二は独裁的指導者の増加、第三は技術革新、第四はコロナ危機」「民主主義は本当に人類の共通の未来なのか、あらためて疑問視されているのが現在という時代」という問題意識は、なるほど共感できる。


「人類の歴史を振り返れば、自治的な集会は世界のあちこちで開かれていたはず」という中で「古代ギリシアは、民主主義の営みがきわめて徹底化されたこと、民主主義の制度と実践についてきわめて自覚的だったことに独自性がある」とする。


各国の民主主義の成り立ちが非常に興味深い。「英国の議会主権の成功は、中下級貴族が地主のジェントリ階級と結びつき、議会を拠点に王権に対抗したこと。結果的に、産業化に反対する強固な貴族・地主階級が存在しなかったことが、英国の発展につながった。逆に言えば、ドイツなど多くの国においては、農村に基盤をもつ貴族・地主階級が保守・反動勢力となり、民主化に抵抗していた」「フランスでは、中央集権化によって貴族たちは土地との結びつきを弱め、行政の実務を担ったのは、王が派遣した官僚たちだった。結果として、貴族たちは特権を享受し続けることで、平民たちの憎悪を買うことになった。政府は有力なエリート層を十分に支配できず、むしろより弱い人々に重税を課すことで、その後のフランス革命の勃発を招いた」「アメリカの建国の父たちが理想としたのは『高い知性を持つ、有徳な人々』による共和国。アメリカ独立をもって、近代における民主主義の大きな出発点というには、どうしても躊躇してしまう」は、なるほどと唸らされる。
そして、「古代の民主主義と近代の民主主義を隔てるポイントの1つは、政党の承認にある。党派を嫌った古代の民主主義に対し、近代の民主主義はむしろ、その本質の一つとして政党を受け容れた」という流れは今に繋がるものであるが、「政治学の『常識』の歴史は2世紀にも満たないものであり、けっして完成されたものではない。過去の議論を踏まえつつ、現代的なバージョンアップが求められている」は確かにそうだな。


そして、20世紀の状況について「各国において平等をもたらしたのは、総力戦、相続税累進課税の導入、そして高度経済成長。これらの結果、格差拡大が一定程度に抑制され、戦後民主主義の安定期を迎えた」「1970年代後半以降、再び格差拡大へと向かった欧米諸国において、相続による富が経済の主要部分を占めるようになり、不平等が20世紀初頭の水準へと戻ってしまった。この結果、民主主義を支えるとされた中間層の没落は、政治の分極化を招いて民主主義の運営をより困難にした」とみるのは、思わぬ気づきだ。なるほどなぁ…


日本の民主主義の経緯について「幕末の『公論』の理念に『政治』の契機を見出し、明治憲法体制における議会制と複数政党制による政党政治に、一定の制度化を見る」ことができるものの、「結局、日本において拡大する格差と不平等を是正することになったのは、皮肉なことに総力戦体制(国家総動員体制)」であり、「戦前から戦時中にかけて、人々の精神に重くのしかかった国家の存在が取り除かれた結果、人々は貧困と欠乏にもかかわらず、ある種の自由や開放感を感じた。このような感覚こそが、戦後民主主義の基底にあった」とする。そして投票率低下など、日本の民主主義は危機的状況にあるものの「日本の民主主義の歴史を振り返れば、深刻化する社会の諸課題に対し、政治が有効に対応しきれないとき、不満が蓄積すると同時に、新たな民主主義への胎動が加速してきた」と、その可能性を信じる記述があるのは少し救われる。


そんな民主主義のポイントは「民主主義の原動力にあるのは自治であり、人々は自らの地域の問題を自らのことがらとして捉え、それゆえに強い関心をもっている」「『政治』の成立を前提にして、初めて民主主義は実現する」「民主主義には、有権者は明確な意志をもち、合理的な推論を行うことができるという前提がある。しかし、現実には群衆になると、人々の責任感が後退し、思考力が低下することがしばしば」であるとしたうえで、どうすればよいか。
現代民主主義で留意すべきは、筆者は「安全、経済、自由は同時に実現が難しい、いわばトリレンマ。この難局をいかに民主主義が乗り越えて行けるかが、今後の最大のテーマ」「厳しい時代においてこそ、人は何を信じるかを問われる。第一に『公開による透明性』、第二に『参加を通じての当事者意識』、第三に『判断に伴う責任』」と主張する点、なるほど納得だ。


それにしても。「人々は伝統社会から遠ざかるにつれ、他者との結びつきが弱まっていく。他者との関係をあらためて再構築しない限り、人々は孤独に陥りがち」「自由な民主主義社会をつくるためには、日常的なレベルで人と協力する練習をしておいた方がいい」という19世紀貴族であるトクヴィルの指摘が、現代社会に驚くほど当てはまることが凄い。
知っているようで知らない民主主義。それを体系的に総ざらいして、かつ安易な結論に飛びつかないあたり、これは良書だ。

【読了】永井路子「炎環」

今年43冊目読了。ベストセラー作家の筆者が、鎌倉初期の様子を4人の人物に焦点を当てながら人間模様を紐解いていく小説。


筆者の「北条政子」は肌合いが合わないな、と感じたが、阿野全成梶原景時、阿波局、北条義時というそれぞれの視点で描き出すこの本はとても面白く読めた。


阿野全成のパートでは「人よりも嫉妬や猜疑の激しい筈の頼朝が、こうして静かさを保っていることが、むしろ薄気味悪く思われた」「阿野全成はぎくりとして頼家の顔を見た。思いがけない陥穽におちた感じだった。彼は兄の一挙一動に注目していた余り、この蕩児の甥の瞳を見逃していたのかもしれない。目をふせたとき、頼家は急にやさしい口調になった。『禅師、源家の血は冷たい…な、そうは思われぬか。しかし冷たいのは、源家の血だけではなさそうだぞ、禅師…何か叔父御は思いちがいをしておられぬか』時政、政子、四郎義時などの顔が目の前に泛んでは消えた。-裏切ったな、さては…」のあたりのセリフが非常に心に迫る。


梶原景時の頼朝評も「公家的な風貌、身のこなし、人ざわりのよさ…あれが武家の棟梁とよばれる人間なのか?自分から座をとりもつような上機嫌な態度も、わざと旗揚げ当時のことに触れない態度も、むしろ景時が京で接したことのある公家連中の狡猾さに通じるものが感じられる。しかも近習とのやりとりをみると、頼朝はかなり神事仏事に熱心な様子である。鎌倉に新府を開いたばかりだというのに、早速神仏いじりに明けくれるというのは、武家の総帥としてなすべきことだろうか…その振る舞いが優雅であればあるほど、彼は頼朝への失望を禁じ得なかった」など、なかなか鋭い。
それでも「めったに本心を見せない頼朝は、誰かに動かされてという形をとりたがる。非難をうける恐れのあるときは特にそうだ。が、景時はそれと知りつつ進んで頼朝の意向を代弁する役を引き受けた。それによって頼朝の東国の王者としての位置が強まるのなら何のためらいが要ろう」という梶原景時が悪人としてレッテルを貼られるのも致し方なし、ということか。ましてや「坂東武者の伝統をうけついだ連中は向こう見ずで、戦好きで、平家追討、藤原氏追討になくてはならない人間だった。が、世の中が収まってくると彼らは非常に厄介な存在になってきたのである。一本気で単純で喧嘩が好きで、法を守ることを知らない。彼らも景時から見れば鎌倉には用のない人間だった」と、リアルに政治を扱うことができるマキャベリアンだからなぁ…


大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を楽しんでいる身としては「頼家の時代には、単なる武家の象徴としての将軍家よりも、もっと逞しい土のにおいのする彼ら自身の代表者の登場が望まれだしているのだ。が、具体的に比企か北条かということになると複雑な利害がからみあってどうにもならず、とどのつまりが合議制に落ち着いた。独裁好きな日本人の歴史の中でこれは珍しいことだが、一見合理的にみえるこの制度は彼らの野望の渦が苦し紛れに生み出したものでしかなかった」「合議制-一見非常に合理的に見えるこの制度はなかなかのくせものだ。御家人たちはこのために、かえってお互いに牽制し合い猜疑心を深めていった。人々は腹を探り合い、隙があれば相手を蹴落とそうとする。独裁者を失ったために相剋は益々激しくなったのである」の分析はさすがだと感じる。まさに、これが鎌倉初期の血で血を洗う酷さを表している。


そして、北条義時について「頼朝のように公家の顔色を窺って妥協を繰り返す武家の棟梁ではなく、はっきりと自分たちの側にたって権利を守り抜く新しい代表者、北条四郎を御家人たちは見出す。非情なまでに冷静な、気心の知れない策略家とだけ思われてきた四郎が、俄かに小細工をかなぐりすてた力の人として彼らの眼に映り始めた。都方が小手先の取引の具にした地頭問題で、かえって四郎は人々の心を捉えてしまったのだ」とするあたりは納得。


大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をさらに深く楽しむことができる良書だ。

【読了】ケイト・マーフィ「LISTEN」

今年42冊目読了。ヒューストンを拠点に活動するジャーナリストである筆者が、知性豊かで創造力がある人になることを提唱する一冊。


ついつい自分がしゃべってしまい、傾聴の大事さは「知識としては知っている」ものの、実践できない身にとっては、色々と耳に痛い…


そもそも、聴くことについては「感情の深みを育むには、相手の声が自分の体と心の中で共鳴する必要がある」「本気で耳を傾けるとは、相手の話によって、身体的にも、体内物質のレベルでも、感情的にも、知的にも、動かされるということ」「つながるという行為は必ず双方向」「よく『聴く』とは、相手の頭と心の中で何が起きているかをわかろうとすること。そして『あなたを気にかけているよ』と行動で示すこと」と、その重要さを述べる。


現代社会がSNSに乗っ取られていることの影響については「ソーシャルメディアは、『あらゆる考えを世の中に向けて発信する、仮想のメガホン』と、『自分に反する考えを取り除く手段』をすべての人に与えた」「あなたは一体どのくらいの頻度で、誰かと直接会って、話をじっくりと掘り下げる時間を持ったり、持つ努力をしたりしているか?」「携帯電話を見ている間に『何かを生み出す時間』を失っている」「人が注意力散漫であればあるほど、企業はお金になる」「デバイスは、人と親密になることを恐れる私たちを甘やかしている。私たちは人の面倒くさいところや欠点を避け、比較的安全なデバイスの中へと引き込まれ、気ままにスワイプ、削除を繰り返す。その結果、人間同士の交流から豊かさや細かな陰影が失われ、忍びよる不満感にさいなまれる」と指摘。これは確かにそうだな…


人間真理の仕組みについては「人の心を本当に理解することなどできない。そして詮索は、人の信頼をもっとも速く失う」「相手を嫌いになるのは、理解してもらえるという期待が裏切られたとき」「目立ちたい人は、自分が『十分ではない』ことをカバーするために自己顕示する」「不正確なうわさ話は、ほとんどの場合好ましくない行動をする人を厳しく罰したいという欲求によってなされる」と負の面に触れつつ「話を聞いてもらえないと、人は孤独になる」「友情を維持する第一の方法は『日常的な会話』」「知的、精神的な元気がないから今は聞けない、というのはダメなのではなく、人間らしい」などの面にも言及しており、なるほどなぁと感じる。


対話の重要性については「適切な質問さえすれば、誰もがおもしろくなる」「人はたいてい、とりわけ社会的には不確実性を嫌う。しかし逆説的ではあるが、生きた実感をいちばん味わわせてくれるのは不確実性」「人として成長する唯一の方法は、反対意見に耳を傾けること」「相手とつながっているという感覚をいちばん実感できるのが『笑い』」「自分の感情をひとまず置いて、先に相手の話を聞いてみよう」のあたりが心に響く。


そして、傾聴するということの土台にある心構えやポイントとして「好奇心があるということは、思い込みがないこと」「『良い聞き手』とは、話し手と同じ感情になって聞ける人」「『事実』の奥には、必ず感情がある」「優れた聞き手は、余っている処理能力を頭の中での寄り道に使わず、相手の話を理論的にも直感的にも理解するために全力をあげている」「優れた聞き手になるには『自分の弱さを理解する』」「話に素直に耳を傾けるには、冒険心がいる」「脳をできるだけ柔軟にしておくためには、できる限り多くの情報源に耳を傾ける」「右耳は言葉を聞きとり、左耳は感情を聞きとる」のあたりは意識したいところだ。


一番重たく感じたのは「私たちが皆、人生でもっとも求めているのは、人を理解し自分を理解してもらうこと。これが唯一実現できるのは、急がず、じっくり『聴く』時間を意識的にとるときだけ」のくだり。自分を反省するしかない、というところだな…

【読了】美智子「橋をかける」

今年41冊目読了。上皇后陛下が皇后陛下であらせられた1998年、国際児童図書評議会に寄せた基調講演を収録した一冊。


端的にまとまって、読みやすく、中身も感じ入るものがある。本当に素晴らしい良書。ページ数は少ないが、充実の内容。特に心が動いたところだけ、抜き書きさせていただく。


「生まれて以来、人は自分と周囲との間に、一つ一つ橋をかけ、人とも、物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり、かけても橋としての機能を果たさなかったり、時として橋をかける意志を失ったとき、人は孤立し、平和を失います。この橋は外に向かうだけでなく、内にも向かい、自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ、本当の自分を発見し、自己の確立をうながしていくように思います」


「一国の神話や伝説は、正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します。それに民話の世界を加えると、それぞれの国や地域の人々が、どのような自然観や生死観を持っていたか、何を尊び、何を恐れたか、どのような想像力を持っていたか等、うっすらとですが感じられます」


「本というものは、時に子供に安定の根を与え、時にどこにでも飛んでいける翼を与えてくれるもののようです」


「『喜び』は、これから先に触れる『想像力』と共に、私には自分の心を高みに飛ばす、強い『翼』のように感じられました」


「子供時代の読書とは何だったのでしょう。何よりも、それは私には楽しみを与えてくれました。そして、その後に来る、青年期の読書のための基礎を作ってくれました。それはある時には私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。この根っこと作っては、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました」
「読書は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした」
「そして最後にもう一つ、本への感謝をこめて付け加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。」

【読了】阿川弘之「米内光政(上下)」

今年39・40冊目読了。海軍経験のある筆者が、戦時中に首相も務め、敗戦の中で日本を守った米内光政大将の人生を描き出す一冊。


これは良書だ。三谷宏治おすすめも、宜なるかな。まずもって「敗戦と亡国とはちがう。古来いくさに勝って国が衰亡した例は少なくない。逆に戦いに敗れて興隆した国がたくさんある。無謀の戦争に此の上本土決戦の如き無謀をかさねるなら、日本はほんとうの亡国になってしまう」の言葉が、この国を支えてくれたことを痛感する。


米内のプライドと冷静さは「如何に偉効を立樹てた軍人といえども、これを神格化するなどは、以ての外」「国が独立を脅かされるときには、とにかく立つ。そのためには軍備というものが必要だ。そのかわりに、味方をつくっておかなけりゃいけない。自分じゃ勝てない。正々堂々の主張をするならば味方ができる」のあたりから感じられる。


リーダーシップについて「物サシの具合をよく見て、その限度内で働いている間は、僕はほったらかしとくよ。ただ、能力の限界を越えて何かしそうになったら、気をつけてやらなくちゃいかん。その注意をしそこなって部下が間違いを起こした場合は、注意を怠った方が悪いんだから、こちらで責任を取らなくちゃあね」のあたりは、頭を垂れるしかない。


ドイツ熱にかられていた当時において「米内は権謀術策大嫌いである。彼がヒットラーのドイツに信を措かなかったのも、陸軍のやり方を嫌ったのも、性格的にマキャベリズムを好まなかったからで、マキャベリヤンという言葉は、米内にとって英語の辞書の示す通り『無節操、破廉恥』と同義語」「大きな流れに流されながら、少しも節を曲げず、終始醒めた眼で抵抗し続けていた」「陸軍がさかんに精神論をやる。そりゃ精神のないところに進歩も勝利もない。しかし、海軍は精神だけで戦争できないんだよ。工業生産の量、機械の質、技術の良し悪しがそのまま正直に戦力に反映する。国民精神総動員とか、陸軍のような大和魂の一本やりで海のいくさはやれないんだ」という米内光政が本領を発揮できれば…と、忸怩たる思いを禁じ得ない。そのくらい、先見の明があった将官なんだな。


過去に拘泥する人間の罠についても「明治時代の実権を握った顕官たちは、みな維新の時白刃の下をくぐった経験を持っていた。文に武の心得があり、むしろ文の方で武の領分をおかす恐れがあった。だから、兵馬の権は独立させ、文と武を分けて天皇のところでしめくくる、これでよかった。ところが大正時代に入って、天皇は御病弱、国際関係は複雑になってくる、軍備の必要は質量ともに増大する、軍人が軍事上の立場からそれを要求する、明治陛下の側近のような剛直の臣はもういない。そうなったら統帥権独立という制度は不適当」というくらい冷静な視点を持っているのは、本当に凄い。昭和初期の日本に、これだけの人物がいたことを忘れてはいかんな。


彼が述べた「国民思想は科学技術より大事だよ」「負け惜しみや希望的観測はやめて、実情に即し、冷静合理的な判断をしよう」は、未だに日本人が苦手としつつ、克服すべき課題を浮き彫りにする?


読書好きとしては「どんな本でも、自分の頭で読むようにし給え」「書物はその時々で受ける感じがちがうから、一度読んだ本を何年かして読み返すと、また別の味わいがある。本と言うものは、繰り返し読むべきもんじゃないかね。僕は一冊の本が気に入れば、少なくとも三遍読むよ」のあたりも、留意したい。


歴史に埋没した、米内光政。そこに光を当てた良書だな。